土曜日

翌日、土曜日


片山は午前、中学校で仕事を済ませた後、午後には車で隣町、暗与町の10階建てマンションを訪れていた。

金本家はリョウタ君と母親の2人暮らしで、父親はリョウタ君が小学生時代に病気で亡くなったという。


806号室、表札には『金本』と書かれていた。

片山は玄関チャイムを鳴らすのを少し躊躇った。

しかし、少し考え玄関チャイムを鳴らすと、中から女性の声が聞こえた。

しばらくして玄関扉が開かれた。先程の声の主、金本リョウタの母親、金本ミツキだった。


「お休みの日にすみません。私は明津中学校で教員をしています片山と申します。」


片山は金本に名刺を渡して自己紹介し、金本は微笑み片山を家に招き入れた。

片山はまず、金本リョウタの遺影に手を合わせた。


「あの…」


片山は金本の声で振り返った。


「隣町の先生が何の御用でしょうか。」


実は…と言うと片山は、自身の学校で起こっていること、金本リョウタ君との繋がりを匂わせている行動があることを伝えた。

金本はその話を驚いた表情で聞いていた。


「お母さま、息子さんから何か聞いておりませんでしたか?」


片山の質問に金本は首を横に振った。


「では、恐れ入りますが、息子さんの部屋を見せてもらうことは可能でしょうか?」


どうぞ、と金本は片山を連れてリョウタの部屋に案内した。

6畳ほどの部屋に勉強机と本棚、ベッドがあった。もちろんベランダも…

片山は手を合わせて部屋に入った。

勉強机にはやりかけと思われる塾の問題集とノート、教科書が開いたまま置いてあった。


「リョウタは勉強熱心で、私が言わずともその机に向かって勉強していました。塾もどこから聞いたのか有名塾に通いたいと言われたので行かせました。あの真面目な顔と塾から帰ってきたときの笑顔がなんとも…」


そこまで金本が話すと言葉に詰まり、次第に嗚咽へと変わっていった。

無理もない、あんないじめにたった1人の息子を奪われたのだ。私が同じ立場なら恐らく正気では居られないだろう。片山はやるせない気持ちになっていた。

しばらく見ていると勉強机の棚に伏せられた写真立てを見つけた。

これは…と片山が尋ねると、「こんな伏せたかしら」と首を傾げて写真立てを元の位置に戻した。そこにはピンク色の花畑の中で親子2人が笑顔で写っている写真が入っていた。


「これは去年の秋に明津町のコスモスの原に行った時に写真なんです。」


片山はその言葉に引っ掛かりを覚えた。


とは、誰に?」


片山が尋ねると意外な言葉が返ってきた。


「はい、リョウタのお友達に。」


「お友達?」


「確か…別の中学校に通ってる同い年の女の子だったと…」


報告書にはそんなことは書かれていなかった。


「どこの中学校ですか!?」


「そ、そこまでは…」


片山は少し興奮してしまったと思い、一旦、金本と距離を置き咳払いをした。


「失礼。その子の特徴とか、その子が写った写真とかありますか?」


片山の質問に、そういえばと言うと金本は部屋から出てアルバムを取って戻ってきた。

1枚1枚めくると金本の手が止まった。


「この子ですか?」


片山が指差す写真には、金本リョウタと仲睦まじく写る、えくぼが特徴の色白少女が居た。


「いえ、その子はリョウタの幼馴染の女の子なんですが、小学校卒業して引っ越してしまったみたいで。」


それから1枚めくると金本は1枚の写真を指差して「この子です。」と答えた。

そこに写っている人物を見て、片山は目を見開いた。


「お母様、この写真をお借りしてもよろしいですか?」


片山が尋ねると金本は快諾し、写真を片山に渡した。


「ちなみに、コスモスの原ではリョウタ君はどんな感じでお友達に接しておりましたか?」


「あの時、リョウタはお友達と手を繋いでいました。付き合ってるの?と聞いたら2人とも顔を赤くしちゃって。お友達の方なんかは耳まで赤くして本当に…」


ここで思い出したのか金本は静かに啜り泣いていた。


「お母様、ありがとうございました。今日はここで失礼させていただきます。」


頭を下げて見送る金本に、片山は、どうか無理をなさらずに、と声をかけて玄関の扉をゆっくりと閉めた。


片山は車に乗り込むと直ぐに走らせ、とある一軒家の前で車を止めた。日が傾き、夕日が片山を照らす中、一軒家の玄関のインターフォンを鳴らした。


「はぁーい。」


玄関を開けたのは笑顔のカナエだったが、片山を見るなり笑顔が消えた。


「奥宮さん、話があるんだけど、ちょっといいかな?」


片山の言葉にカナエは家の中を気にしていた。


「あの…弟がいるので外でいいですか?」


「もちろん。」


カナエは一旦家に戻ると、薄い上着を羽織り戻ってきた。


「立ち話もあれだから、ファミレスに行こうか。」


片山は近くのファミレスに誘った。


「手短にお願いします。」


片山はカナエを助手席に乗せてファミレスに向かった。

ファミレスに入り、席に着くと店員にアイスカフェオレとココアを注文した。

しばらくするとテーブルに2つとも届いた。


「体調はどうだい?」


「すっかり良くなりました。」


お互い本心ではない。

しばらく沈黙した後、片山が切り出した。


「奥宮さん、今教師たちが見ているのがこれなんだけどさ…」


片山はテーブルに、金本リョウタに関するいじめ調査報告書を置き、カナエの前に動かした。

表紙の金本リョウタの写真がカナエの目に入ると、昨日のように表情を曇らせて報告書から目線を逸らした。


「先生、どうして私に見せるんですか…?」


片山はカフェオレを一口飲むとグラスを持ったまま話し始めた。


「勉強熱心で浮いた話ひとつ聞かない…」


グラスをテーブルにコツンと置くと話を続けた。


「金本君は彼氏だったのかな?」


カナエはその言葉を聞くと、悔しいような悲しいような、はたまた怒りとも取れる表情になっていた。


「な、なんのことですか…?私に彼氏なんて……」


カナエは顔も耳も赤くして否定した。


「赤いよ。顔も耳も。コスモスの原でリョウタ君のお母さんに同じこと聞かれたんだろ?」


片山は金本リョウタの母から借りた写真をカナエに見せた。

そこには笑顔で映る金本リョウタとカナエが手を繋いでいた。

その瞬間、カナエは全てを悟った。

目を閉じて深呼吸をするとゆっくり瞼を開いた。

その目は少し、赤くなっていた。


「…去年の春のことでした。」


カナエはゆっくりと話し始めた。


━━━━━━━━━━━━━━━


私は暗与町にいる親戚の家に制服を見せに行ったんです。

その帰り道でした。

日は落ちて暗かったのですが、公園で人が殴られているところを目撃しました。


「何してるの!!」


私は無我夢中で助けに入っていました。

私の声で殴っていた人たちは全員逃げていきましたが、彼は怪我をして倒れたままでした。

私はハンカチで怪我したところを押さえながら彼のマンションまで介抱しました。


「助けてくれてありがとう。でもこのことは内緒にしてて欲しいんだ。」


「どうして…」


「君に迷惑がかかってしまうし、そもそも学校は何もしてくれないからね。」


この言葉で察しました。この人は死んでしまうと。


「死なないで…」


今思えばなぜそう思ったかは分かりません。

でもその時は一緒に居たいと思ったんです。


「私、明津中1年の奥宮カナエっていうの。だから死なないでまた会ってください!」


「…俺、金本リョウタ。このハンカチ、洗って返したいからまた会って欲しい。」


それがきっかけでした。


私たちはそれから直ぐに会って話をしました。

ハンカチを返してもらうだけのはずでしたが、それから毎月会うようになって、去年の8月に海に行った時にリョウタから告白を受けました。もちろん断る理由なんてありませんでした。

10月にはコスモスの原に偶然を装って一緒に行きました。幸せでした。

でも、今年に入って一層アザが増えたんです。


「これ、どうしたの?」


「あぁ…またやられてさ…」


「リョウタ君を殴るやつなんて許さない…!」


「大丈夫だから、心配しないで。」


私はずっと心配でした。でも高校は一緒の場所に行こうと話してくれたんです。この幸せがずっと続けばと、願っていました…


でも、


現実は最悪でした………


『今日午後、暗与町のマンションから男子中学生が転落し、亡くなりました。男子中学生は暗与中学校に通う金本リョウタさん14歳と判明し、警察は事件、事故の両面から捜査をしており…』


あの日は家でニュースを見ました。

私は何かの間違いだと思ってメールも電話も何回もしました。

でも返信はないし電話もかからない…

次の日、彼のマンションの管理人さんから全てを聞いたんです。

飛び降りて亡くなったと………


━━━━━━━━━━━━━━━


「どうして彼がこんな目に遭わないといけないんですか…?彼はどんな悪いことをしたって言うんですか……」


カナエは静かに泣いていた。彼女の目からは大粒の涙が零れ、頬を伝って落ちていった。

片山は何故か頭を下げていた。

教師として彼女に許しを乞うためかもしれない、担任として彼女の気持ちに寄り添えなかったことを謝したいのかもしれない、彼女の涙に居た堪れなかったのかもしれない…


「なんで先生が頭下げるんですか…?」


「君を…泣かせてしまったからだ…」


単に片山は同情したのだ。

教え子を泣かせる自分自身や教育現場が許せないのだ。


「先生。」


カナエは片山を呼んだ。

片山はどんな言葉でも受け入れる覚悟でカナエの顔を見た。


「先生が担任でよかった。」


カナエの言葉で思い詰めていたものが全て出てきた。こんな教師でも良かった、と言われることがこんなにも嬉しいとは思っていなかった。

カナエはそんな片山を心配したのかハンカチを片山に差し出してきた。


「どうして…」


「だって優しいもん。彼と同じで。」


その言葉に片山は言葉が出なかった。

ハンカチを受け取ると片山達は和やかな雰囲気に戻った。

その後、ファミレスを出ると空は暗く、星が煌々と2人を照らしていた。


「ごめんな、時間取っちゃって。」


「いえ、先生のおかげで気持ちが少し晴れました。やっと、前を向けた気がします。」


片山はカナエを車で家まで送った。


「明日の午後、時間あるかい?」


突然予定を聞かれたカナエは自身のスマホのカレンダーを見た。


「ありますけど…どうしたんですか?」


「リョウタ君の家に行ってみようかなって。まだ手、合わせてないんだろ?」


片山の言葉に頷いたカナエは真っ直ぐな目をしていた。


「リョウタ君のお母さん、きっと喜ぶよ。」


カナエはその言葉に涙を溜めながら微笑んだ。


「じゃあおやすみ。」


「おやすみなさい。」


今まで片山が抱いていた内気のイメージとはかけ離れていたカナエは片山と連絡先を交換して車を降りた。

彼女は家の玄関扉を開き、ただいま、と元気な声で家に入っていく。

片山はそれを見届けると、ゆっくりアクセルを踏み車を出した。

車中、片山はどうやって炙り出そうかと、ずっと考えていた。

しかし、妙案が出ることはなく橙色の街頭を何個も通り過ぎるだけだった。

片山は速度を落として脇道に入り、駐車場に車を停めた。

片山は車を降りて鍵を閉めるとゆっくり歩き始めた。

妙案のみの字も出ることなく自宅の玄関扉を開けた。


「あらスグル、おかえりなさい。」


「か、母さん…!?どうして俺の家にいるんだよ…!」


扉を開けた先には片山の母だった。


「帰ってきて早々うるさいわね。ほら、ご飯できてるから食べちゃいなさい。」


片山が部屋の奥に入ると掃除の暇もない男の一人暮らしの部屋が綺麗な部屋へと変わっており、テーブルには食事が用意されていた。


「あんたちゃんと食べてるの?食器とかフライパン埃被ってたわよ?」


「あはは…」


そりゃそうだ。

なぜなら毎日コンビニ弁当とチューハイで、昼食も給食でまかなっているから弁当なんて無縁。

片山はネクタイを外すと椅子にかけて座った。


「今度は一体何をやらかしたんだ親父は。」


片山はご飯を食べ始めて早々に尋ねた。


「あの人自分はしないくせに私にはとことんあーしなさいこーしなさいとうるさいんだから!」


片山の親夫婦は月に1度のペースでよく喧嘩している。

今回は母が出ていく程の喧嘩だったというのを片山は話を聞きながら察した。


「…で、いつ帰るの?」


「ほとぼりが冷めるまで?」


「そんな犯罪者みたいな…親父から電話かかってきてたぞ。」


そこまで言うと、ふと、片山の脳裏に金本夫人の姿が過った。

親子の話…金本さんはこれも奪われたのか、と。


その姿を察したのか、片山の母は片山の顔を覗き込んだ。


「…ん?何?」


片山は顔を覗き込まれて食事を再開した。


「あんたがそんな顔するなんて珍しいと思ってね。」


「まぁ色々あるよ。この仕事をしてれば考え事のひとつやふたつ…」


そう言うと茶碗の米を平らげた。


「隣町の中学校で自殺があったんですってね。おかわりいる?」


片山の母も知っていたらしいと片山は思ったが、全国放送のニュースで流れたのだから知っていて当然かと納得した。

片山は山盛りのご飯茶碗を受け取ってかき込んだ。


「あれは特殊だからね…」


片山の脳裏には今日の出来事が写し出されていた。

しかし、しっくり来ない。

何かが繋がれば何かが繋がらない。

そしてどこかがおかしい…

片山はそう思い始めた。


「あ、そういえば西山くんがこの前家に来たわよ。」


「西山?誰だっけ…」


「えぇ?忘れたの?ほら、塾で一緒だった…」


母の言葉に片山は思い出した。

中学時代に通っていた塾で3年間同じ塾教室で一緒だった西山のことだと。


「あぁ…思い出した。他校だったから思い出すのに時間が…」


その瞬間、片山の頭に電撃が走った。

金本リョウタの部屋の中で見た情景が一瞬にして片山を飲み込んだ。

ずっとどちらか一方が繋がらなかったパズルのピースがようやくはまり、ひとつになった気がした。


「スグル?どうしたの?」


動作を停止した片山を覗き込む母だったが、片山は「なんでもない。」と言って食事を平らげた。


「ご馳走様。」


食事の後に片山は父に電話をかけ仲裁した。

翌日の朝に帰らせることを約束させ、母を片山の部屋で寝かせた。

片山はその後冷蔵庫から缶チューハイを取りだし開けながらソファに座った。

テーブルにはあの事件の報告書が広げて置かれていた。


「リーチ…とでも言うかこれは。」


広げられたページにはリョウタ君の塾について書かれていた。

塾は明津町内にあり、明津中学校の生徒も通っている個人経営の塾だった。

警察と教育委員会の調査では関係性はないとされていた。


「これは行くしかないな。」


片山は手に持った缶チューハイを一気に流し込むと缶を一気に潰した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る