金曜日
翌日、金曜日
午前6時、片山は携帯電話のアラームで目を覚ました。
シャワーを浴びて着替えるとカバンを持って車に乗り込んだ。
朝早くは道が空いている。
ものの10分で学校に着いた片山はいつもの場所に車を停めた。
職員室に入り荷物を置くと直ぐに2階渡り廊下を見に行った。
しかし異常らしい異常はなかった。
今日は生徒くつ箱、つまり1階渡り廊下で見守る当番だ。人が途切れた時に見に行こうと片山は考えていた。
午前7時、片山は北階段の真裏辺りに立って挨拶し始めた。少しずつ生徒が登校してくる。
「おはようございます。」
声をかけてきたのはユリカだった。
「あぁ、おはよう。今日は早いな。」
「まぁ…」
片山の言葉に口ごもるユリカだったが、近くの女子ハンドボール部の1年生がユリカに声をかけてきた。
部長も大変だなぁと思いながらも片山は視線を玄関の外に向けた。
すると1人の女子生徒に目がいった。
…カナエだ。
「奥宮さん、大丈夫かい?」
昨日の早退を気にかけ片山が心配した。
「少し悪いですけど、授業は受けれますので…」
カナエは語尾を濁して教室に向かって行ったが、片山は「きつい時はいつでも言ってくれ。」と後ろ姿に声をかけた。
カナエは律儀に軽い笑顔で片山の方へ向き直した。
「はい。」
少し顔を赤らめたカナエはそのまま教室へ向かった。
片山はその姿を見送り玄関へ視線を戻した。
しばらくすると人の流れが丁度途切れたのだ。
「片山先生!」
片山はそろそろ行くかと動こうとした時、背後から呼び止められた。
そこにはユリカが立っていた。
「どうした近松。」
片山は身体ごとユリカを向いて尋ねた。
しかし目線が合わない。
心理学専攻の片山は即座になにか後ろめたいことがあると直感で感じていた。
「…社会の教科書忘れちゃいました。」
数秒待って出てきた言葉に片山は「なんだそんなことか」と少し安堵した。
「珍しいな。まぁいい、隣の黒川に見せてもらいなさい。」
優等生でも忘れることくらいあるのだろうと片山は怒るわけでもなくユリカに返答した。
ユリカは「すみません」と一言片山に言い、またくつ箱に居た女子生徒に声をかけ始めた。
片山はそれを見届け北階段を上がっていった。
するとまた、同じような胸騒ぎが片山を襲った。
それと同時に早くなる片山の足は、歩く、というより最早走っていた。
2階の渡り廊下に出て掲示板を見ると、いつもの通りメモが同じ場所に貼り付けられていた。
「クソッ!!」
片山は拳を壁に走らせた。
大きな物音を立てた片山は直ぐにメモを剥がして開いた。
『 私達は決心した。
勝利の日まで、決して屈したりしないと。
話し合いに応じるならば態度で示せ。
猶予は1日。』
片山は驚いた。
明らかに昨日までと違う書き方だったからだ。
ニュアンスもイメージも全く異なる。
この時片山は何かよからぬ方向へ進みそうな気がして仕方なかった。
片山はすぐさま階段を駆け下り、職員室へ向かった。
「おはよー、先生。」
するとくつ箱から声がした。
声はナギサだったが、後ろには靴を履き替えているトシミツとその隣にユリカが立っていた。
「あ、あぁ…おはよう。」
片山は慌てる気持ちを自制し、無理に作った笑顔で挨拶を交わした。
しかし3人は話に夢中で片山のことなど気にも留めていなかった。
「にしてもびっくりした!トシミツが裏から来るなんて初めてじゃない?」
「ちょっと運動がてらな。」
「なにしてんのよもう…」
3人の話し声が聞こえてきたが、確かにトシミツは汗をかいていた。
しかし片山もそんなことを気にしている場合ではなかった。
3人が片山の横を通ると片山は校長室に駆け込んだ。
佐田に報告するとすぐに大山と各学年主任が呼ばれた。
「内容が少し変わってきたな。」
大山は文章の『私達』という文言を指差して呟いた。
「私達は全校集会まで開いて呼びかけているのに…」
学年主任の1人が悔しそうな表情を見せていた。
「やり方が違うか…」
「それとも目的が違うのか。」
別の学年主任がつぶやくと、昨日の片山との会話を思い出した佐田が口を開いた。
「目的?」
大山は意表を突かれた顔で聞いた。
「死にたくて辛い人間ならすぐに申し出ているはずです。金本君のことを匂わせている点や、この『勝利の日まで、決して屈したりしない。』という点を踏まえると…」
片山はそこまでで言葉を切った。
そこまでの言葉でも全員の頭の中には『復讐』の2文字が浮かび上がったが、誰もその言葉を発したりしなかった。
「とにかく、最悪の事態だけは防がねばならない。」
大山の言葉は皆同じ気持ちであった。
しかし、片山はメモの文面に言い知れぬ違和感を感じていた。
この場では各クラスの担任と生徒が面談し、一昨日、昨日、今日の三日間で2階の渡り廊下に行った者の時間帯と、金本リョウタを知っているかどうかを調べてほしいと片山が要望した。それで会議はお開きとなった。
1時間目は2年6組で授業だった。
いつも通りの号令で授業が始まるのだが、片山は黙っていた。
6組の生徒たちは訳も分からず静かに片山を見つめていた。
「…すまんが、ドアも窓も閉めてくれ。」
生徒達は片山の指示通りドアも窓も全て閉めた。
「この時間は面談にする。出席番号順に非常階段に来てくれ。」
片山はそう言うと出席番号1番の麻田トシミツを連れて非常階段の上から5段目くらいに座った。
「すまんな。聞きたいことがあるんだ。」
片山の言葉に動じるわけでもなく、トシミツは静かに見ていた。
「一昨日から今日までの三日間で2階渡り廊下に行ったか?」
片山の問いにトシミツは表情を変えずに答えた。
「昨日会ったじゃないですか。その時だけですよ?」
昨日の3時間目が始まる直前の事だ。もちろん片山は覚えている。
「そうだったな。」
片山はノートにメモをしながら次の質問をした。
「じゃあ金本リョウタっていう人は知ってるか?」
「いえ、聞いたことないですね。単に名前知らなくて顔は知ってるかもしれないですけど。」
間髪入れずに答えたトシミツに、片山は金本リョウタの写真を見せた。
しかしトシミツは首を横に振った。
「すいません。お役に立てなくて。」
片山は中学生でそんな言葉が出てくるのかと感心し「いや、いいんだ」と返答した。
「すまんが、今話した内容は決して誰にも言わないようにしてほしい。要らぬ噂で不安になる人もいるからな。」
片山の言葉にトシミツは頷いた。
「もちろん、お前と話した内容は理由なく他の人に話したりしないから安心してくれ。」
トシミツは「わかりました」と答え次の人を呼んだ。
何人か終えた後、カナエの番になった。
「すまんな奥宮。」
カナエは階段に座って静かに片山を見つめた。
片山は全員に聞いてきたアリバイについて尋ねた。
カナエは階段の下へ目線を移し何かを呟いた。
しかし片山は、小さい声を聞き取れず「え?」と聞き返した。
「毎日…通ってます…。」
ここで有力人物が登場した。
その事実を片山は平静を装い聞いていた。
「なるほど…。一昨日はいつ通ったんだい?」
「一昨日は…昼休み始まったくらいと5時間目が始まる前です。」
「昨日は?」
「1時間目終わったあとと4時間目の途中で通りました。」
「なるほど…。で、今日は?」
「…先生と朝話してからすぐです…。」
片山は持っていたペンの尻でポリポリと頭を搔いた。
アリバイがないとカナエは証言したからだ。
片山が内容を記録していると、「重たくて…」とカナエが呟いた。
「えっ?何がだい?」
「…生理が…」
その言葉を聞いた片山は大慌てで頬を赤らめるカナエの言葉を止めた。
「そ、そこまで無理に話さなくても大丈夫だからな。」
片山は焦った。いや、大焦りだ。
咳払いし、心を落ち着けた片山は話題を変えた。
「ちなみになんだけど、金本リョウタ君って知ってるかい?」
カナエは片山が見せてきた写真から目を逸らして顔を曇らせた。
「いえ…知らない人です…」
もちろん片山はそれを見逃さなかった。
「そうか、ありがとう。」
お決まりの守秘義務文句を伝えた片山に、カナエは「はい」と笑顔で答え教室に戻って行った。
その後、出席番号順に面談していったが、誰も2階渡り廊下を通った者は居なかった。
金本リョウタの写真に関しては、ニュースで顔が出回っていたため、ほとんどニュースで見たことがあるという答えだった。
この日は通常通り1日を終えて各担任から面談の結果を聞いていた。
驚くべきことにこの3日間、怪しい時間帯を全て通ったと証言したのは奥宮カナエただ一人だった。
だが片山はカナエが犯人ではないという確信があった。犯人であるならば心理的に容疑から外れたいと考え、行ったことは隠すはずだ。しかも理由を述べようとしたカナエは顔を赤らめていた。嘘でそこまでできる子ではないことは担任である片山は分かっていた。
「あ、あと片山先生、関係ないことですが、うちの生徒が麻田君と近松さんが付き合ってるんじゃないかって言ってたんですよ。」
ゴシップネタ好きな2年3組担任、本田タカコ先生がおもむろに片山に告げた。
「今年の3月くらいからよく2人で居るところを見かけてるらしいんですよ。」
あらヤダ奥さんスイングを流しながら片山は考え込んでいた。
一体誰が、何故、ということも気になるが、カナエが金本リョウタを知らないと嘘をついたことが1番気になっていた。
「片山先生。」
後ろから声をかけてきたのは佐田だった。
片山は佐田の方を向いて一礼した。
「昨日の家庭訪問の件、許可が出たので行ってきてください。」
佐田は昨日の金本リョウタの家に行きたいという片山の願いを通してくれていたのだ。
「ありがとうございます。」
「少し骨が折れましたがね。」
佐田は片山の肩を軽く叩いて去っていった。
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