第40話

そろそろテスト週間だと事あるごとに強調する教師のおかげか、空が開催する数学の勉強会では昨日の人数より少し多めの生徒が集まった。席が全部うまってはいないが、もう少しで空席はなくなる。

福永さんの方は知らない。彼女がどの教室でやるのか知らないし、見に行こうとも思っていない。

空が教科書を取り出して黒板の前に立ち、重要なところを口頭で言っていく。

私も皆もマーカーを出して線を引いていく。本音を言うと私は数学なら大丈夫だ。意外と楽しいので授業中はどの教科よりも熱心に話を聞いている。空に教えてもらわなくても八割は取れそうだ。空の懇切丁寧な教え方が良いのか、各々抱えていた疑問が解消されていき今回の数学は前回よりも期待できるかも、と口々に言う生徒たちの顔が崩れたのはその直後だった。


「空くーん、わたしもここ良い?」


教室の扉を開けて入ってきたのは昨日同様、皆から反感を買っていた福永さんだった。

空の返事を待つ前に嬉々として入ってくる彼女を見て空は一瞬固まった。


「えっと、福永さんなんでここに?」

「理系の人、頭良すぎるのか知らないけど誰も来なかったんだよね。だから手伝いに来たよ」


空は笑っているが、内心迷惑に思っているのが分かる。

折角空の説明で数学の勉強をしていたのに急に入ってくるものだから室内は静まり返った。

誰も来なかったのは福永さんに教わりたくないだけではないか。彼女は誰も来ない教室に一人楽しみにしながら待っていたのだろう。


「大丈夫だよ、俺一人で」

「でも人数多いし」

「二人で説明するとややこしくなるから、俺一人でいいよ」

「そう?うーん、でも」


それでも粘る福永さんにどこかのクラスの中心的な存在であろう女子が強気に言った。


「空くん教え方上手いし、手伝いとかいらないよ」


皆の総意だろう。だがこの発言にムッときたのか福永さんも負けずと返す。


「でも空くん一人に負担させるのはどうかと思う」

「じゃあ貴女はどう手伝ってどう空くんの負担を減らすの?」

「皆からの質問に答えることはできるよ」

「でも貴女の説明でもよく分からなかったら結局空くんに聞くんだから変わらないよね」

「空くん、なんなのこの子ー」


噛みついてくる女子が鬱陶しくなったのか笑顔でその女子生徒を指さす。

その女子は思い切り福永さんを睨みつける。


「福永さん、ここは俺だけで大丈夫だから帰ってもいいよ。自分の勉強もあるだろうから」

「でも空くんも自分の勉強あるでしょ?」

「ないよ」


にっこりと言い切る空に「えっ」と意外そうな声を出したかと思うとさすがに居心地が悪くなったのか「じゃあその言葉に甘えるね」と言いながら出て行った。

彼女が出て行くと空は何事もなかったかのように進めるので、その場にいた人たちは福永さんのことをとやかく言うこともなく勉強会は再開された。


彼女が出て行ってから少し時間が経過した。私も数学ができるとはいえ今回は良い点を狙っているので真面目に空の説明を受けていた。しかし途中から私の得意分野に入ると、やることがなくなった。特にすることはないので、トイレに行ってこようと思い退室した。

放課後の廊下は人気がなく、静かだ。真っ直ぐ歩いていると、通りがかった教室から声が聞こえた。


「えぇー、そうなの?」

「そうだよ、だからそこの勉強じゃなくてこっちもした方がいいよ」

「ありがとう福永さん」


福永さん、という名前を聞いてその教室の前で足を止めた。中を覗いてみると、福永さんと数名の女子と男子がいた。福永さんを中心としているその輪は、どうやらテスト勉強をしているようで、机の上には教科書やノートが開かれていた。

福永さんはもう帰ったものと思っていたが実は他の子に勉強を教えていたのか。

それも、クラスであまり目立たない立場の人たち。空に追い返されたものだから、今度は自分の話を聞いてくれる大人しめな人をターゲットにした、というところだ。

好意的に接してくれているようなので福永さんも満面の笑みで、誇らしげに自分の持つ情報を披露している。

私の視線に気づいたのか福永さんは話の途中こちらを向いた。そして更に目を細めて笑った。


「優ちゃーん!!空くんの授業どうしたのー?」


大きな声で叫ぶ福永さんは私と空と仲が良いですよとそこにいる人たちにアピールしたいのだろう。現に「えっ、友達なの?」と目を丸くして私と福永さんを交互に見ている。

分かりやすい女だ、もう少し隠せばいいものを。だから好かれないのだ。

私は彼女たちと話すことはなかったが、このままトイレに行くのも面倒になってその教室へ入った。


「空くんの授業抜け出してもいいの?」

「私、数学はできないわけじゃないから」

「へえ、意外」

「福永さんは帰ったんじゃなかったの?」

「いや、帰ろうと思ったんだけどさー、なんか教えてくれって頼まれたからさ」

「ふうん」


この会話にも嫌味が取り入れられている。彼女の言葉と顔を見れば一目瞭然だ。

あの空くんの授業を抜け出して私の方に来てくれたんだね、という優越感。あなたは数学が苦手な馬鹿にしか見えなかった、という嘲笑。そして最後の、教えを乞われて仕方なくここにいますという、自慢。分かりやすいったらない。どうしてこんな人間になったのか、育った環境が悪かったのか。しかし父親はどこぞの社長らしく、休日は父の仕事の手伝いをしているといつしか自慢気に語っていた。

それにしても、小学校で「されて嫌なことは人にしては、いけません」と教わらなかったのか。彼女と話をするのはとても疲れる。

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