7-3
墓地に到着するとそこには大量の鬼哭アルカロイドが所狭しと存在していた。
「お墓だからこんなにたくさんいるんですかね?」
とぼくはレッドさんに訊ねる。霊的磁場がどうとかいう話かなと思ったのだ。するとレッドさんは薙刀を手に持って言った。
「いやそれは関係ない」
「ないですか」
「うん」
それなら関係ないのだろう。ぼくは素直に納得する。
墓地の中をウヨウヨと蠢く鬼哭アルカロイドたち。そして当然目につくのは無数の墓石たち。
「世の中にはいろんな人がいる」
MPを高めながらふとレッドさんがそう言って、まさにぼくもその通りだと日々考えているので、
「そうですね」
と、ぼくも同じようにMPとやらの意識をしながら応える。
「トキオはそういうことをかなりナチュラルというかシンプルというか、そのまま丸ごと受け止めてるみたいだね」
「そうですね。実際そうだと思いますし」
「だからこそ俯瞰で見られるのかもな」
俯瞰ねぇ。
「ぼくからすれば、もうちょっとみんな穏やかにやれないもんかなって思うんですけど。傍観しすぎちゃってるのかもしれないんですけど」
「そうだねぇ」
葉っぱを木槌に変えながら、もしかしたらぼくの思考は鬼哭アルカロイドの影響なのかもしれないな、と、ふと思う。他の人には見えないものが見える、という大前提の人生を生まれたときから送ることで、つまり他の人たちにもぼくには見えないものが見えているのだろう、という大前提を持つに至ったのかもしれない。
見えている世界はそれぞれ違う。それは陰陽連の隊員たちというどちらかといえば特殊な世界の人間たちを引き合いに出さなくとも、例えば名梨なんかもぼくの見えていない世界が彼には見えているのだろう。
「世の中って、色々な人が色々にいるのが“普通”だと思うんです」
「同感。要は多様性だね」
「流行りに乗ってるわけではないんですが」
「流行りとかじゃなくて、世界はもともと多様にできているんだよ」
レッドさんがアイコンタクトを取ってきたのでぼくは背中合わせに立った。
「まさに」
今回、あまりにも大量に出現しているので一体一体を相手にしていては疲労が溜まってHPがなくなってしまうとのことだった。それより他の全員が到着するまで抹消できるものは一気に抹消してしまおうというのが今回の計画だった。よって全体攻撃をする必要があるのだが当のレッドさんはその全体攻撃が可能な人材だった。ただ普段よりMPを多く使う、ということなので疲労はやむを得ないとのことだった。
というわけでぼくは自分のMPに集中する。これは、要はステータスとかパラメータとかそういうのを強くイメージするということだった。前回の遊園地でイリスに気を集中させたものの発展系だよ、とレッドさんは教えてくれた。なのでなんとなくイメージでやってみる。ぼくは自分の霊的な力が高まっていき、それがレッドさんの力によって彼と“同期”していくのを感じる。
やがてレッドさんは薙刀を振り払った。すると目標は次々に光を放って消滅する。ぼくはやや疲れたが、レッドさんも同じようだった。なるほど、魔法というのも結局は体が資本なのだな。
「大丈夫かい、トキオ?」
ぼくを心配してレッドさんがそう声をかけたので、ぼくは、はい、と答えた。
「なんとか」
「若いね。おじさんには堪える」
「そんな年齢ではないでしょう?」
「でも若者とは言えないよ」はは、と笑った。「特にバイタリティ溢れる中一男子と比較しちゃえばね」
それはまあわからなくはない。確かにぼくは十代の少年として体力というかエネルギーが有り余っている。そして、その延長線上に対鬼哭アルカロイドがあるということだ。ぼくの場合、より良い回復方法があってつくづく良かったと思う一方で、しかしこのような力がなければそんな回復方法を取る必要もないんだよな、とも、つくづくそう思うのだった。
でも、これがぼくの日常。リアルな日常である。
「さっきの話だけどね」
と、レッドさん。MPを高めるに当たって一定の間を必要とするため雑談でもしようとのことだ。
「はい」
「今の時代は多様性を大切にしようとか、多様な生き方を認めようみたいに言われているけど、そもそも世界は多様にできているんだよね。それをオレたち人間の側が一方的に単一化、画一化させているだけのこと」
「これはこうだ、みたいな」
「多様性っていうのは面倒臭いものなんだよ。みんながものを考えて、あらゆる場面や領域や次元でケースバイケースに臨機応変に決めていかなくちゃいけないから。それよりも、これはこうだ、と、画一的にルールを決めちゃった方が楽なんだよね」
「便利ではあります」
「ただ、わかりやすいルールや基準やガイドラインを示してくれっていうのは、まあわからなくはないんだけど、でも世界っていうのはそんなに単純にはできていない。世界とは複雑で繊細で難解にできている、ダイナミックかつデリケートなものだ。だから今までの単一性の時代には限界が来ているんだね」
ふとぼくはその理由として思いついたことを言ってみた。
「ネットの力かな?」
レッドさんは多分にその可能性はある、と言った。
「“世の中には色々な人がいる”ってことが完全に可視化されたからね」
「可視化ですか」
「でも、単一性が必ずしも悪いものなのかっていうと、それはそうじゃない。例えばだからこそみんなで一丸となって一つの目標に立ち向かえるとか、メリットもある。要するにオレなんかは道具主義だから、多様性にしろ単一性にしろ、便利なものは使えばいいんじゃないのって思う派なんだけどね。例えば左だからって右のいいものは使えばいいし、右の立場だからって左の有益なものは使えばいいしみたいな。わかるかい」
『世の中を変えるのは“自分は絶対に正しい”という、おぞましい人』
ふと相沢さんの主張を思い出した。政治や思想や主義主張に関してぼくはあまり詳しくないが、でも、レッドさんのいう右とか左とかという立場に立脚している人たちは、思想的な違いはあれど本質的には同じなのだろうとぼくはなんとなく思う。
こうすればいいんだ、こうすれば世界は平和になるのだ——と、みんなそう思っている。思想や主義が違えど、あるいはそれが対立関係にあろうが、結局のところはみんな、『自分の言うことに従え』ということを主張しているに過ぎない。
「右の人は、『バカなあなたたちはそのままのバカなあなたたちのままでいいんだよ』と言い、左の人は『バカなあなたたちは学ばなければならない』と言っている。そして両者とも、『よってバカなあなたたちをこの私が導いてあげましょう』と言っているわけだ」
「同感です」
「ま、陰陽連合もね。色々あるのさ」
……ふむ。
確かに巨大(かどうかもそういえばわからないのだが)組織としては、そういうことにどうしてもなってしまうのだろう。主流派とか過激派とか穏健派とか折衷派とか、同じゴールを目指していてもアプローチの仕方が異なる。
だから——人と人とは争い合うのだろう。だから人と人とは、分かり合えないのだろう。
「そういえば相沢さんがこないだ言ってたことなんですけど」
と、ぼくはこの議題の一つの結論として、彼女が言っていたことをレッドさんに言ってみる。
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