第33話

二台の馬車が大きく揺れながら道を急ぐ。片方の馬車にはガイノス、シヴァド、クロナ、ケラーが、もう片方にはトオガ、アザハ、セモンが乗っている。

ケラーはあまり元気がなく、クロナが問いかけてもぼんやりした答えしか返ってこなかった。濁った灰色の雲は、何か良くないことを知らせるかのようにどろどろと流れ続けている。シヴァドはガイノスから渡された書類と自分のスケッチを見比べ、ガイノスはシヴァドの論文を読んでいた。

「ガイノスさん、ケラーの様子はどうでしたか」

シヴァドは司祭のほうを見て唐突に尋ねた。

「特に変わった点は無かったように思う。ルイズという司祭や君たちのことを頻繁に話して聞かせてくれたが、それくらいだ。基本的にはセモン司祭が自ら名乗り出て面倒を見ていた」

「そうなの?」

シヴァドに問いかけられて、ケラーは肩をびくっと震わせた。そして一つうなずいた。ポケットの内側にいる俺でも、ケラーの態度から言い知れぬ緊迫感を窺い知ることができる。

「大丈夫?」

クロナがケラーの顔を覗き込む。

「大丈夫。大丈夫だから、ほっといてよ」

「噓」

両手で俯いたケラーの頬をつかみ、自分のほうを向けさせた。

「辛いことは辛いって言うべきだよ。信じてよ」

視線を逸らすこともできず、ケラーはクロナをまっすぐに見つめる。目の奥で困惑が揺らめいている。

「わからない」

ようやく絞り出した掠れ声は、今まで聞いたことがないくらい弱々しかった。

「辛いのか辛くないのか、よくわからない」

クロナは手を下ろした。目はまっすぐ見ていたままだった。

「分かったら、教えてくれる?」

「うん」


馬車はとうとう目的の聖堂に到着した。ルイズが俺たちを出迎えるために門まで歩いてきていた。

「急な呼び出しですいません。ザーヒル様が体調を崩されてしまいまして」

ガイノスが表情を変えずに尋ねる。

「容体は」

「今は落ち着いていますが、今後どうなるかはわかりません。胃の病のようです」

そう告げて、すぐ後ろのケラーに声をかけた。

「何か怖いことでもありましたか?」

「ル、ルイズ様」

ケラーは安堵と不安の入り混じった表情を浮かべた。

「少し待っててくださいね。話を聞きますから」

無言でうなずくケラーを見てから、俺たちにも顔を向けた。

「ザーヒル様は皆さんのことも呼んでいました」

「俺らを?」

「はい。こちらです」

聖堂はあまり大きくなく、わずかなカビの臭いと排水の流れる音が静かな廊下を支配していた。一番奥の部屋の一つ手前の部屋をノックすると、しわがれた老人の声がお入り、と返事をした。

部屋は殺風景だった。閉じられた窓から風は入らず、空気は沈殿している。

「ありがとう、ルイズ。よく連れてきてくれた」

大司教は痩せて、ベッドに横になっていた。ゆっくりと上体を起こし、あまり広くない部屋に入ってきた全員を見回した。

「食事が入らないんだ。食べてもすぐに吐き出してしまう。……こんなにもいきなり弱るとは思わなかったよ」

乾いた笑いは弱々しく、ただ穏やかだった。ザーヒルはシヴァドをまっすぐ見た。

「皆さん、わざわざ来ていただいてありがとうございます。調査はどうでしたか」

「……上々でした。報告書をご覧になりますか」

「読み上げてくださいますか。文字を読むのが難しくなりまして」

シヴァドは報告書の冒頭の部分だけ読み上げた。

「魔法陣は、魔法粒子理論の実証例の一つとして捉えることができる。魔法陣は一定以上の魔力を注ぎ込むことで効果を発揮していたが、メカニズムは理解されず経験的な運用が続けられてきた。魔法粒子理論は、魔法陣を描く素材、魔法陣の大きさと形状によって主な効果が変わるという経験則のメカニズムを説明できる理論であると言える」

ザーヒルは読み上げている最中、うんうんと頷きながら聞いていた。読み終えると、ありがとうと礼を言った。

「あなたたちのような人と会えてよかった。どうか続けてください」

「もちろんです」

それから手招きしてガイノスを呼んだ。

「私の遺言書を君に託す。枕元の棚にあるそれだ。守り抜き、私の死後に読みなさい。君以外が開封してはならない」

ガイノスは何か言おうと口を開いたが、何も言えず口を閉じた。

「君はきっと理を重んじるのだろう。それは正しい。しかし、人は理だけでは動かない。いつか目を見開くことを願っているよ」

「分かりました」

ザーヒルはその返答を聞いて、満足げに頷いた。直後、表情を曇らせた。病状が突然悪化したのかと思ったが、シヴァドも何か違和感を覚えたらしい。勢いよく部屋のドアが開かれ、御者が転がり込んできた。「れ、錬金術師です!数人じゃない、何人も、この聖堂を……!」

ザーヒルは杖を手に取り、ベッドから出た。

「止めないでくれ。考えあってのことだ」

その歩みは頼りなさを隠し、震える手がドアを開けた。

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