第31話
期限の三日目になるころには、ゲルヒトの丸太小屋の隅には書類がうず高く山と積まれていた。偉大な失敗者は書類に目を通して整理しながら、シヴァドに話しかける。
「どうだね、欲しい資料は集まったかね?」
「ここまでたくさん集まるとは思っていませんでした。ありがとうございます」
シヴァドのお礼に満足して微笑み、スケッチが終わった植物の標本を台紙に固定しているトオガにも声をかけた。
「お前も今回は随分といい材料を集めたようだな」
「まあそりゃあ、この俺が集めるんだ。そうそう間違いはねえよ」
口端は笑っていたが、目はいつものように穏やかではない。様子の変化に目ざとく気づき、クロナがトオガの顔を覗き込む。
「何か心配なことがあるの?」
「ああ。ルイズのことがちょっとな。ルイズが教会に留まるなら、本人が教会にメリットを示せた方がいい。教会は外部から俺たちみたいな研究者を招き入れるくらい研究に力を入れている。そんな組織があの研究を求めないわけがないんだが、肝心のルイズ本人には研究を世に広めたいとか、協力者を募ろうとか、そういう欲がちっともない。俺が今作ってるのはあいつの保険みたいなもんだ。お節介かもしれないけどな」
別の書類を手に取って眺めながら、トオガは答える。
この大陸には錬金術師みたいな話の通じないやつがいて、しかも教会勢力の足並みも揃ってはいない。そんな環境に生きているルイズに対しての、トオガなりの応援のようにも見えた。
「自分以外の人間など世に存在しないと思い込んだクソガキだと思っていたが、信頼できる人間のために動こうとは……」
ゲルヒトが目尻に涙を浮かべながらトオガを見る。感情のわりに言葉が汚すぎるような気もするが、彼なりに弟子の成長を喜んでいるのだろう。ドアをノックする音が聞こえ、アザハが対応する。
「ガイノス司祭に派遣された御者です。お迎えに参りました」
「少し待ってください。準備を整えますので」
「なるべく早くお願いしますよ。私が司祭に怒られてしまうので」
「急ぎます」
それからすぐ、俺たちは纏めるものもろくにまとめないままで馬車に乗り込んでいた。一部の書類はゲルヒトが預かり、後で俺たちに送ることになった。丸太小屋から馬車が遠ざかるにつれて、小柄なゲルヒトがさらに小さくなってゆくのを、トオガは名残惜しそうに眺めていた。ゲルヒトの姿が見えなくなって、シヴァドはトオガに語りかける。
「どうだった?久しぶりに師匠に会った気分は」
「悪い気分じゃない。もっと気まずいかとも思ったけど、そんなこともなかったよ」
「良かった。師匠は大事にするんだよ」
言葉の重みを感じ取って、トオガは頷いた。風景はゆっくりと進み、すぐに森を抜けて平原の空気を馬車の中に迎え入れる。
「久しぶりだな。もう四年も経つのか……」
「ここを出たのは四年前なのか?」
「ああ。……この大陸では俺が生まれる前後に宗教勢力と貴族の大規模な戦いがあって、戦争孤児が山ほど増えた。貴族を抑え込んだ教会勢力はそこに目をつけて孤児院を設立した。俺も最初は孤児院にいたが、神の教えってやつに俺は馴染めなかった。教会にとって神は絶対だが、俺は絶対なんかないと思ってた」
トオガの記憶の流れのように、真昼の暖かさと日差しが窓の外から入っては出てゆく。彼の横顔に少しだけ、幼さが見え隠れした。
「十歳の時、宣教師が体調を崩して、代わりにゲルヒトが教壇に立った。ゲルヒトは自分のズボンの右ポケットから土の塊を取り出して口に含み、含まれる鉄と塩の量を言い当てた。それから土と植物の関係について、当時の教会の教えとは全く違う話を始めた。まだ戦争の影響が強かったから、教会はいろんなものを自分に都合よく説明したがった。教会は祈りと歌によって植物は芽生え茂ると説明したが、ゲルヒトは観測と分析に基づき、日射量と土の性質による影響が非常に大きいと説明し、戦争が起きた土地における植生を予測した。俺がゲルヒトと暮らすようになったのは、それからすぐのことだった」
「孤児院は俺を厄介払い出来て喜んでいるようだったが、俺もゲルヒトと暮らせるのは嬉しかった」
「じゃあなんで……」
「一言でいえば、ゲルヒトの研究にたいする姿勢が気に食わなかったんだ。ゲルヒトが失敗ばかりの研究者と言われる理由もそこにある。あいつは自分の成功があれば、手伝った助手にそれを再現させ、まるごと助手の功績にしちまうんだ」
なんとなく、ゲルヒトが自分の失敗を誇らしげに話す理由も、トオガ以外の弟子がいるらしい理由も察することができる。トオガは自分の右太ももに触れた。
「俺が我慢できなくなって問い詰めると、あいつは『済まない』とだけ言った。それが最後だった」
窓の外で、家屋が草原に点在し始めた。トオガは何かに気付いたようにシヴァドの方を見た。
「喋りすぎたか?俺……」
「いい話が聞けて嬉しいよ」
白く巨大な建物が並ぶ中、円形の広場に馬車は止まった。
「着きましたよ」
御者が俺たちに声をかけた。トオガはドアを開けて飛び降り、続いて他の三人も馬車から降りた。ガイノスのところにいたシスターが、俺たちを案内するべく待ち構えていた。
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