第29話

翌日、俺たちは遺跡に向かった。

トオガがなにやらぶつぶつ呟いていたのが気になっていたが、その理由は目的地に着いた途端にはっきりした。

「トオガではないか!久しいな!」

トオガはげんなりした様子で声の聞こえてきた方を向いた。実地調査だというのにぴっちりしたスーツを身につけた小太りの男性が、赤ら顔に笑顔を浮かべて歩み寄ってきた。

「ちょっとは声抑えらんねえのかよ、ゲルヒト」

「不可能だ!こういう気概が研究には大事ではないか!」

「分からんでもねえけど」

トオガは気恥ずかしそうに首を掻いた。

「あー、このチビオヤジはゲルヒト。俺の師匠みたいなもんだ」

「先頭の君がシヴァドだな!」

トオガの紹介を聞き流して前に出てきたゲルヒトは自身のがっちりした手を差し出し、シヴァドもそれに応えて握手を交わした。

「ファーゼンから手紙が届かない時点で何となく察しはついているが、彼はどうしているんだ?」

シヴァドが一通り事の顛末を語ると、重々しく頷いた。

「そうか……不可解なことは多いが、良き人生であったことを祈るしかあるまい。彼には私も随分世話になったものだ。きっとそういう人は多いはずだ」

それから彼はパンっと手を叩いて、俺たちを促す。

「偉大な友人の話はあとだ。まずは私が一通り遺跡を案内してやろう」

言われたとおりについていくと、巨大な洞窟に辿り着いた。入り口は周囲の樹木よりも遥かに高く縦に伸び、黒々と空気を吸い込んでいる。

「ここが、魔族を封印した洞窟だ。一通りの前知識はあるだろうから、三日間では採集や視察、変化の状況などを主に記録してゆくことになる」

ゲルヒトは次に、洞窟の裏に広がる森の入り口に向かった。想像の何倍も広く暗い森では、天を突くような巨木も泰然と伸び、見たことのない生物もちらほら見かける。そう長い間歩くこともなく、もう一つの遺跡に辿り着いた。

「これが巨大魔法陣だ」

魔法陣には何か所か欠落している箇所があったが、それでも十分に巨大だった。切り開かれた森の一区画に敷き詰められた石のタイルの上に、幾何的な模様を描く枯れた塗料が貼りついている。

「君は魔法粒子理論というものを提唱したそうだな。この魔方陣の説明も可能なんだろうな?」

「部分的には。特に大きな問題である、魔法陣による魔法の発動条件については説明できそうです」

シヴァドの言葉を聞いて、ゲルヒトはにかっと笑った。

「この周辺にはあの洞窟くらいしか遺構はないが、少し国境を越えると勇者の祭壇がある。今度時間ができたら行ってみるといい」

説明はそれだけで終わった。遺跡のガイドとしても例のない短さだったが、十分だったらしい。シヴァドとアザハがともに行動し、ゲルヒトは案内そっちのけでトオガと植物採集に勤しんでいる。

「あれ?」

クロナが地面に何かを発見した。

「ゲルヒトさん」

「なんだね、魔族の少女よ」

「これ、誰の靴の跡?私達じゃないよ」

爪先の尖った靴の足跡が、湿った土の上にくっきりと刻み付けられている。

「……まだ新しいな。急いで調査したほうがいいかもしれん」

「なんだか焦ってるみたいだが、どうしたんだ」

トオガの問いかけに、心底嫌そうな面持ちで答える。

「こんな靴跡を残すのは派手好きの商人か曲芸師か、錬金術師教会の連中しかおらん」

確かザーヒルは、教会内の過激派『ケルニエ派』とつながりのある連中が錬金術師だとか言っていた。どうせロクな連中ではないだろう。

「どうだね二人とも、そろそろ戻ろうか」

ゲルヒトに声をかけられた二人は頷いた。クロナは少し名残惜しそうに洞窟を見てから、俺たちの後をついてきた。

その日はゲルヒトの丸太小屋で休み、それぞれの意見をすり合わせることになった。

「どうだね、神話は集まりそうかね」

「はい。既にいくつかの節の断片を見つけたので、なんとか解読したいと思います」

それから、隅の方で採集した植物のスケッチを取っているトオガに声をかけた。トオガは面倒くさそうに輪に加わった。

「どうだトオガ、いい成果はあったか」

「まあな。魔法陣の近くと遠くとでは、植物に露骨に差が出る。特に根の形状だな」

それを聞いて満足そうに頷きながら言葉を続ける。

「私は常に失敗し続けてきた。興味を持って初めても思うようにはゆかず、突き詰めれば破綻してきた。気がつけば私は『偉大な失敗者』と呼ばれるようになった。私と同じ轍を後進の者たちは決して踏まなんだ。意味はあったのだ。それでも」

ゲルヒトはトオガのスケッチに視線を落とす。

「やはり、成功してほしいのだ。大事な弟子だからこそ、正しく名を売り、自分の望むような研究ができる環境を作ってほしいのだ」

トオガは照れと寂しさがごちゃごちゃになったまま吐き捨てる。

「馬鹿なこと言ってんじゃねえぞジジイ。お前が成功しねえと俺に箔がつかねえだろうが」

「そうか、そうだな」

ゲルヒトの口端には静かに微笑みが浮かんだ。

「開けてもらおう」

ドアを叩く音が、突然鳴り響いた。

「誰だ」

ゲルヒトの問いに、門の向こうから尊大な返事が聞こえた。

「錬金術師協会の者だ。この周囲で人を見なかったか?」

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