週刊八龍ポップより悪意をこめて

第27話 キャンディー・ボーイ:少年

 僕たちが育ったのは色褪せた児童養護施設だった。古いコンクリートと安い洗剤の匂い、怒鳴り声と溜息と、何考えているのか分からない子供と大人の目、いつだってざらざらした空気が僕を取り囲んでいて、思い出すだけで憂鬱になる。その中でも「普通じゃない」僕は、必死に良い子で暮らしていた。だって、「普通じゃない」事が見つかってしまったら、僕はきっと別のところに移される。そうしたら、お母さんが迎えに来れない。お母さんは、いつか迎えに来てくれるから、僕は待っていなくちゃいけない。だから、隠さないといけない。でも、ちゃんと隠していたのに、「あいつ」は簡単に見つけた。そして、自分も同じだと言った。

 秘密を暴いたそいつを睨みつけていると、そいつは手の中に持っていた枯葉を潰しながら言わないよ、と言った。

「言ったらどうなるか分からないじゃないか」

「わからない?」

「"じっけんもるもっと"にされるかも。施設の子だから。この間、マンガで見た」

「……なにそれ」

「バラバラにされるんだ、俺たち」

「言わないで!」

 怖くなった僕はそいつに縋りついた。だから言わねえって! とそいつは声を荒げた。

「だから内緒な」

「うん」

 僕は頷いて、そいつの手に飴玉を乗っけた。

「……いいの?」

「うん」

「……これって食えるやつ?」

「食べれるよ」

 サンキュー、とそいつは金色の飴玉を太陽に透かして見た。

「おー……お前みたい」

「ぼくぅ?」

「"コハク"って言うんだぜ、こういう石」

「飴だよ」

「そういうピカピカの石があるんだよ」

「ほんと?」

「ほんと。図鑑に書いていた」

「じゃあ見せて」

「帰ったら見せてやる」

 一通り眺めて、そいつは口の中に飴玉を放り込んだ。

「ん、甘い」

「飴だもん」

「飴好きなのか?」

「好き。お母さんがよくくれたの。大好きって言いながら、くれたの」

 そいつは僕の顔をじっと見てから、少し黙って、それから、へー、と僕の足元で揺れるタンポポを見ながら言った。

「いいおかーさんだな」

 嘘だと思ったけど、そう言ってくれたのが嬉しくて、僕は両手でほっぺたを押さえた。お医者さんが貼った湿布の端が少し捲れた気がしたけど、気にせずにえへへ、と笑った。

「優しいねぇ」

「……俺?」

「うん、優しいよ」

 そいつは変な顔をして、口の中の飴玉を噛み砕いていた。ゴリ、ゴリ、という音に、僕の身体からドクン、ドクン、と変な音が聞こえ始める。

「そう言ったの、琥珀だけだよ」

 まるで、お母さんが呼ぶように、そいつは「琥珀」と呼んでくれた。その時、初めて僕は、お母さんが迎えに来なくたっていいやと思った。

 それから、僕たちは二人で過ごすようになった。小学生、中学生、高校生になってもそれは変わらなかった。そして、それは当然だった。だから、僕はいいよ、と言ったのだ。

 高校生三年生の春だった。進路も何も決めていなかった僕たちは、古ぼけたバスの一番後ろに並んで座っていた。いつの間にかうたた寝をしていた僕が起きた時、あいつは言ったのだ。

「琥珀、八龍に行こう」

「いいよ」

「八龍がどんなところか知っているのか?」

「どこだっていいよ、一緒なら」

 当時、八龍は怪と奇怪病で危ない街だと言われていた。治安最悪な街、行ったら帰ってこれない、そんな街。でも、そこは奇怪病を持っていることを隠さなくても良いし、それで差別もされない。そこでしか生きられない人がいるのも確かだ。僕らがそこでしか生きられないかは分からない。でも、二人でいられるなら、どこだっていい。

「一緒なら、そこが楽園だよ、きっと」

 僕はそう言って、あいつの乾いた指先に触れて、肩にもたれた。硬い肩の骨が、分厚い学生服の下にある。秋の真ん中みたいな乾いた香りがして、どうやらまたこっそり奇怪病を使って遊んできたんだと察する。どうせなら、僕も誘ってくれれば良かったのに、と思って、触れていた指先に爪を立てた。

「いて」

「一人で行く気だったんだ。僕を置いていこうとしたんだ」

「そういうわけじゃ……」

「でも、悩んだでしょ。わかるよ、僕」

「……ここより自由だけど、危ない場所だって聞いたんだ、悩んだってしょうがないだろう……」

「平気だよ、だって、守ってくれるでしょ」

 僕は指先から手を離して、おもむろに、彼の唇に触れた。乾いて、皮が逆剥けた荒れた唇が怯えたように震える。

「君の奇怪病は、強いでしょ」

「……琥珀」

 彼は僕の手を唇から離すと、大きく溜息を吐いた。僕に完敗の合図だった。



 僕は口の中に僅かに残っていた飴玉を噛み砕いた。大して甘くもない、不味い飴玉だった。

「許さない」

 ずっと前の記憶、やり直し前のセーブデータみたいな記憶、何よりも大切な思い出は今は無惨にも踏み躙られ不必要だと上書き保存された。でも、僕にとっては違う。誰もそれを分かってくれない。

「許さない」

 僕はそれだけ呟いて、家から出る。その時にはもう、普通の少年の顔になっていた。

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