第2.5話 金星と土星、そして狭間のバグ

私立天邪鬼学園。そこに通う逢沢拓人が、転校生である月城叶恵と日曜日にデートをする約束をした翌日の金曜日のことである。

日曜のことで気が気じゃない拓人には、きっと曖昧な日々の記憶である。

この学園に通う女子生徒の1人、綺羅山灯は所謂、学園の人気者だった。2-Aに所属し、拓人の所属する2-Bの隣のクラスである。演劇部に属しており、その美貌からか誰が見ても明らかに大事にされていた。重宝されていた、という言葉の方が適切かもしれない。

部活以外にも、彼女は生徒会の一員として、1年生の頃から活動をしていた。立候補したのは推薦されて初めて前に出るよりは、と彼女自身が手を挙げて決めたことだった。

彼女はこれまでの人生で、調子に乗る、という態度をとったことが無い。人当たりの良い性格で先輩からも、そして中学の頃は後輩からも慕われていたであろうことは想像にかたくない。教師からの人望も厚く、2-Aのクラス委員長に全員から、本気で推薦されるほど。そこに1人でもひやかしや茶化した様子はまるでなく、全員が彼女であれば、と任せたのである。

清廉潔白、容姿端麗、成績抜群と非の打ちようがない高スペックな上に、人柄にも欠点といえるものがない、ハイパーガールが彼女のことだった。

そんな彼女にも、悩みはあった。

これは、金曜日の生徒会室での様子。

あげつら会長、本当に何とかならないんでしょうか」

「今まで私が進めてきたことの一つだけに、今すぐというのは少し難しい」

そう語るのはこの学園の生徒会長、評海鈴あげつらかいりその人である。3-Aに所属する、この学園きっての最も会長らしい会長と称される人物だった。

というのも、この人なくして今の天邪鬼学園の多種多様な部活の数々は有り得ず、多くの生徒の学園における活動意欲を促進させてきた張本人なのである。

すぐOK出すのが玉に瑕ではあるが。

「それでも、私のファンクラブなんて……」

「募集要項は私も確認したが、実際にお金を取ったりしている訳じゃないんだろう?」

別クラスだが同級生が実際には何も取られなかったと言っていた、と語る会長。

あくまでも目を引くための、注目を集めるためのポスターじゃないのかと考える会長は、事実がそうでない限りは、いきなり動くわけにはいかないと、そういう意見だった。

「誰がメンバーなのかも分からないんですよ…?誰が始めた事なのかさえ分からないのに……」

「不安なのは分かるが、そうだな……」

「もちろん会長は、メンバーを何人か知ってますよね…」

少し考え込む素振りを見せる会長に、不安な様子を隠せない様子の彼女。

自分の知らないところで、自分に関連した活動が勝手に成されている。そういった奇妙な状況を鑑みてか、会長は口を開いた。

「君が一人で動いてしまうのが不安だったから、あえて黙っていたが、深く考えずに許可を出した私にも責任がある。そのクラブ活動の主催者の名前なら教えるよ」

ただし条件として、と付け加える会長。クラブ活動の認可を出してしまった引け目がなければ、教えることは無かっただろうことは、その目が物語っていた。

「1人では絶対に何とかしようとしないこと。これを絶対に守って欲しい」

「……分かりました。どちらにしろ、私1人でできることは限られています」

「私の方で実態の調査は進めておく。噂は噂だと信じたいが、教師まで入会しているというものまであるのは流石にな…」

それは初耳だった、と驚く彼女。実際には、本当に実在しているのかさえ曖昧だったファンクラブの存在に、会長と会話を続けていく中で形ができていく。

彼女はその事がたまらなく怖くて、不安で、得体の知れないものに触れ無ければならない、というどうしようも無い心の拒絶に、苛まれていくのを感じていた。

そしてその事を見過ごせなかった会長が、ある人物の名前を告げた。

「3-Dの舞浜駿すぐる。彼が君のファンクラブの開設者のはずだ。少なくとも、許可をくれと私に申し出たのは彼だった」

心の中で、同級生だったら話をして分かってくれるかもと思っていた彼女の期待は、見事に裏切られた。

それは、面識のない人物の名前。

関わりのない上級生が、自分をたてたクラブを作っていたことに、恐怖するしか無かった。

精一杯振り絞って出した声は、否応なく震えるしか無かった。

「私、そんな人知りません……」

やがて、耐えきれなくなったダムは決壊する。ポロポロと涙を流し始めた彼女と、言葉の意味に唖然とする会長。

よく知りもしない人が、勝手にその人を祭り上げるクラブを作り上げた。ファンクラブをうたう以上、それは疑う必要も無い。

だがそもそもなぜファンクラブなのか。

ファンクラブであるのなら、見返りがあるのでは無いか。何かしら彼女にまつわるアイテムやサイン等の彼女の痕跡など、そういったものが無いとも言いきれないのではないか。

クラブに入っても何か取られたりはしなかったと語る同級生がいた。何かをもらったりとかも無かったけどな、と付け加える彼の様子が続くように思い浮かぶ。

それは、見返りを求めないが故の措置だったとしたら。

もしも、クラブの一員として何かを支払っている者がいたとする。その人が受け取ることのできる見返りは一体何になる?

開設者が面識のない人物のファンクラブを創り、何を見返りとしているのか。

湧き上がる疑問と不安を押し隠し、目の前で涙する彼女の背中を撫でながら、会長は言った。

「至急何とかする。君に被害が及ぶ前に」

クラブが創られたのは、春休み前のこと、3月の始まりの頃である。実際はすぐに春休みに突入したこともあり、メンバーが入ったとすれば春休み中か、そして新学期が始まってすぐあのポスターが貼り出され始めてからであることは想像できる。

彼女への被害が、実はもう出てしまっているのではないか。

そんな予感が、ただの思い込みであることを祈る会長がそこにはいた。


今日はもう休んでくれ、と会長に告げられた綺羅山灯は、涙のあとがバレないように過ごそうと決め、演劇部の部室へ向かっていた。

道中、ある人物とすれ違っていく。

「いや、でも……どこに行けばいいんだ?軽く10時間は考えてるのに答えが出ない!ていうかそういえば待ち合わせの時間約束してないや……どうしよう」

ぶつぶつと独り言を呟きながら廊下を往復する変人こと逢沢拓人、その人である。

彼女には彼との面識が無いこともなかった。

1年の頃、学年でも問題児とされる宙川瑠璃を唯一手なずけられるという噂が流れており、その様子を実際に目にしていたから。別クラスではあったが、悪い意味で名前の知られた生徒である宙川瑠璃。そんな彼女に真正面から向き合える男子生徒として、彼もまた、目立っていたのだ。

もちろん、拓人の方も面識はない。遠目で彼女を見たことはあっても、直接かかわり合いになるような事はなかった。それでも、彼の記憶には彼女の顔と姿が刻まれていた。憧れという感情が、彼の彼女への想いを適切に表す言葉であったのだから。

だからこそ、この瞬間に、動き出したものがあった。

「あの、答えが出ないなら考えるのを一旦止めてみませんか?」

彼女は自分でも、なぜ声をかけたのか分からなかった。ただその、不気味で、よく意味のわからない様子の男子生徒を見て、気まぐれに声をかけたくなっただけなのかもしれない。

彼は、少し驚いた後、すぐに面持ちを元に戻して返事をした。

「そっか…そうですね。緊張するけど、時間はこっちから切り出して……行先は勇気が出れば直接聞いて決めよう。あの、ありがとうございました!」

「どういたしまして。それじゃあ、私、行きますね」

彼女は少しだけ、新鮮だった。

自分に声をかけられて、驚きこそすれ彼がすぐに返事をしてきたことが。大抵はいつも、男子生徒は驚くばかりで、自分がなにかこの世のものじゃないかのように見られることが多かったから。

彼は、自分を普通の女子生徒として見ていた。

もしかしたら、自分の名前すら知らなかったのかもしれない。同級生であることは、リボン色で気づいていたかもしれないけど。

行き過ぎた情もなく、距離感も初対面なら仕方がないだろう敬語利用。同級生だからいいよ、と告げるのはもし次にまた話す機会があったらその時で良いだろう。

彼女の足取りはさっきまでよりも少しだけ、軽くなっていた。


演劇部の部室に着いた彼女にとって、すぐ目に付いたのは体験入部として何人か来ていた新入生だった。男子2人、女子3人で、そのうち1人ずつは先日も来ており、ほぼ入部確定の1年生だった。

一応、体験入部という名目もあるため、去年の文化祭(天邪鬼祭)で演劇部がステージ披露した劇のビデオを見ることになった。

彼女も1年生ながら登壇しており、その知名度を全学年単位に一気に上げた劇である。主役では無いがキーパーソンの1人であり、透き通った声は、物語を彩る要因の一つとなっていた。

物語の筋は、去年まで居た先輩の脚本したオリジナルの作品で、時間を遡ることができる主人公の少女が、好きな男子の喪失を防ぐために奔走する話だった。彼女の役どころは、主人公の恋敵だったのだ。

「この時間が巻き戻る演出、好きなんですよね」

それは、新入生の1人で先日も来ていた御厨透という男子生徒だった。去年の文化祭で直接見たこの劇がいたく気に入ったらしく、入部希望者となった経緯を持つ。

巻き戻る演出は、必要に応じて逆再生の動きを取り入れたりしていた。舞台がブラックアウトした際はその限りではなかったが、ライトに照らされている内は、リハーサルの録画を逆再生した動画を参考に、できる範囲でそれぞれの役が頑張っていた。

彼は劇で利用する小道具等の作成等にも携わりたいという希望があるらしい。この劇で演出をつとめていた先輩が卒業したことをを知ったときは、悲しそうにしていた。

「やっぱり、綺羅山先輩、超綺麗……」

そんな感想を漏らしていたのは、もう1人の先日から来ていた入部希望者である、青山奏音という女子生徒だった。彼女もまた、劇を直接見た一人ではあるが、当初は吹奏楽部のみ希望だったらしく、案内ポスターを見て体験入部としてやってきた際にこの劇の動画を見たことで文化祭での劇を思い出したらしく、掛け持ちでこの部活に入部希望を出すようになった。

「メイクしてくれた先輩の力が凄かったんだよ。今は理容系の学校に行ってるんだ」

「いやいや、先輩の素材が良いのも絶対ありますって!」

彼女の少し鼻息を荒くしたような様子に少し引き気味の新入生一同だが、中でも男子生徒2人は全く同感であるという顔をしていた。

演劇部のメンバーである在校生たちは、そんな"褒められたり賞賛される彼女"を見慣れていたこともあり、温かい目でその様子を眺めていた。

「そういえば灯、あのクラブの件、何とかできたの?」

それは、同じ2-A所属の女子生徒である、来栖藍くるすあいだった。1年の頃から彼女と同じクラスであり、同じタイミングで演劇部に入部した、彼女にとって親友とも言える女子生徒だった。

「とりあえず、評会長が動いてくれることにはなったんだけど……」

「会長が直々に動くんだったら安心できそうだけど。やっぱり不安?」

「うん…」

彼女らにそんなつもりはなく、本人たちも静かにヒソヒソと話していたつもりだったが、そのただならぬ雰囲気に、少し俯くような様子の新入生一同の姿があった。

それに気づいた彼女はが口を開く。

「ご、ごめんね。こんな暗い雰囲気にしたい訳じゃなくて」

「あの、綺羅山先輩。さっき来栖先輩が言ってたクラブってもしかして…」

その声は、もう1人の男子生徒、設楽斗真とうまのものだった。彼は、今日初めて見る生徒で、彼女自身は名前もまだちゃんと教えてもらっていない。

だから一瞬、彼女はたじろいだ。

新入生とはいえ、自分の知らない人物にいきなり名指しで声をかけられればほとんどの場合そういう反応を示すのは仕方がないことだろう。

だけど彼女も、さっき廊下ですれ違った変人と同じようにすぐに元の様子に立ち直って、告げるのだった。

「そう、私のファンクラブ。私、勝手にファンクラブ創られちゃったんだ」

悲壮に満ちたように、呆れるように、そして何でそうなったのかと疑問を込めるように、彼女は言葉を発していた。

「え、先輩自身が何も知らないんですか?」

「勝手にファンクラブが創られるなんて」

「綺羅山さん、この学園でもトップクラスに名前知られちゃってるからな」

そこには、新入生だけに留まらない、現演劇部メンバーからの声もあった。

彼女自身が彼女のファンクラブに関わって居ないことは、来栖藍を除いて初耳だったようで驚いていたようだった。

「私、望んでないんです。なのに無断でそんなことをされてしまって…」

「灯は悪くない。悪いのは一言も言わずにそんなクラブを創ったやつだよ」

彼女を励ます声は、1つじゃなかった。

それは、彼女の人柄と人望を証明していて、この部活内に彼女を悪く思う人が誰一人居ないことを、そこに居た新入生一同に理解させるには十分だった。

そんな中、一人が声を挙げた、

まだ話は終わっていません、そう言わんばかりに。

「実は俺、直接このクラブの勧誘受けたんです」

設楽斗真のこの言葉。

これが、彼女が会長との約束を破るきっかけになることを。

この時の彼女はまだ、知らなかった。



場面は打って変わって土曜日のことである。

逢沢拓人が月城叶恵に対して、待ち合わせの時間と場所を伝え、行き先をショッピングモールに決めた、そんな折のことである。

彼にとってはまだ、日曜日への期待や不安のせいで、記憶が曖昧な時のことだった。

この学園に通う女子生徒の一人、姫宮しらべはいわゆる探偵である。2-Dに所属しており、度々ネットニュースや新聞記事、雑誌や動画で取り上げられることもあった、世間でも有名な人物である。最も、本人はそういう職についているという訳ではなく、行く先々で事件に巻き込まれ、軽度のものから難事件まで解決のために警察へ協力せざるを得なかったという理解である。検挙したのはあくまでも警察であり、自分は少し知恵を貸しただけ、それも自分からではなく警察から頼られたからだと、彼女は自覚していた。

そのため、彼女は自身が学生であるということを大事にしている。死ぬかもしれなかった事件に巻き込まれるようなことは今後一切勘弁してもらいたいと、常々思っているのである。

それでも、今日も厄介の種は彼女を見逃すことは無かった。


この日、いつも通り学園に登校していた彼女の中である確信に至ったことがあった。

最近誰かに尾けられている。

今日までは薄々だったが、今日確信に至ったと豪語する理由は、彼女がルートを変えたことによる尾行者の焦りとその伝播。

金曜までの約1週間、何から何まで歩道のどの部分を歩くかまで同じルートを辿って登校していたことで、少なからず慣れが生じていたその尾行に、今日突然違うルートを辿ったことによって綻びが出来てしまったのだろう。見落とさないようにするためか、いつもより強い視線を感じていた。

そして、こんな事で綻び、焦りが見て取れる以上、おそらく素人であることは明白だった。

けれど距離がある。彼女が突然振り返り、尾行者を追いかけても、おそらく追いつけないだろう距離であることは、彼女自身が理解していた。

彼女は、視線の質からして尾行者が男性であることを、視線の角度からある程度の背の高さを想定できていた。

これまで、彼女はその尾行者に、尾行が気づかれていることに気づかれないように振舞ってきた。そのために、その姿を偶然でも目に入れることすらしてこなかったのだ。

そんなことが自覚的にできるようになったのは、彼女自身の才能はもちろん、これまでの経験によるところが大きかった。彼女が、探偵として発揮してきた洞察力や観察力は、並の人間のそれを遥かに凌駕しているのである。

学園が見えてきた辺りで、彼女は後ろから声をかけられた。

きっとまだ尾行者は声の主よりも後ろに居る。それが分かった上で、彼女は振り向いていた。

尾行が確信に至った以上、それを隠すことは無いと彼女は思い至ったのだ。

もちろん、むざむざと尾行者にばらすことはない。あくまでも、偶然、目に入れてしまった。そういう自然を装ったのだ。

「おはようしらべ。珍しいね、こっちから通うの」

「おはようございmって、なんだ舞凪か。たまには気分転換にね」

彼女に声をかけたのは、有澤舞凪と呼ばれる、学園の2年生にして、風紀委員の女子生徒だった。

そして偶然を装った計画通りに、彼女はその視界に尾行者を確認する。視線はあくまで有澤舞凪に、だけど意識は尾行者へ。そして彼女は、その正体、その実体の理解に至るのだった。

中肉中背、身長は180いかない程度、パーマの掛かった髪に、緩い私服。学園でも見た事がない顔からして、大学生と想像するのは難くないが、ただの無職、フリーターの可能性もある。何せ、この朝からスーツや制服もなしに彷徨いているような人なのだから。ただ、剃られた様子の髭や整った髪型を見るに無職では無い可能性が高そうなことにも、彼女は気づいていた。

「春休みも大変だったもんね。あんなの毎回やってらんないよ」

「舞凪もほどほどにね。あなたが怪我するのは見たくない」

想像もできないけど、と呟く彼女。なにそれ、と笑う彼女たちを後ろから眺め続ける男の姿が、そこにはあった。

短い道中ではあったが、その視線が止まなかったことは言うまでもないことだろう。


流石に学校の中までは追ってこないことはこれまでの経験からも分かっていた彼女は、守衛さんに不審人物が学校の周りを彷徨いてないか確認して欲しい旨だけを伝えて、教室に向かっていくのだった。

幼い頃から、彼女はそういう性質だった訳では無い。ただ、頭の回転は早く、人のことをよく観察し、よく気づく性質ではあった。

初めて事件に巻き込まれたのは、学園への合格が決まって、中学を卒業してから一週間ほど経った頃のこと。もうすぐ高校1年生という時期のことで、彼女からすれば忘れようのない傷痕のような事件だった。

旅行先で巻き込まれたそれを機に、彼女は天邪鬼学園から離れてどこかへ行く度に事件に巻き込まれた。だけど彼女自身が命の危険に陥ったのは1度か2度。奇跡的ともいえる確率で、彼女は助かってきた。そのことを彼女は、ただ、悲しく思っていた。

自分が助かったことに、ではなく。

自分が関わった数だけ事件がある、その事実に。

自分ではどうしようもない、世界への怒り。

運命的なまでの、巻き込まれ体質。

彼女を救うことになる人物との関わりは、まだやって来ない。


「やっぱりこの場所は落ち着くなあ」

彼女は学園の中に、一部屋だけ自分専用の部屋を貰っている。大仰な言い方をしたが、要は部室である。彼女は自分が各メディアで名前が知られてしまっているという事実を利用し、ある部活を創ったのだ。会長が既に会長だったので、断ることも無く、創設が認められたその部活は、ミステリー部という名前の部活だった。

メンバーは彼女一人。事情が事情なので、部員を集める意欲もなく、勧誘を必要としていなかったため、掲示板への貼り出し等も行っていない。

変な名前の部活。実在するかどうかも分からない部活。そんなものに気づきこそすれ、入りたいと思う人は居ないだろう。それが、彼女の部活への自覚だった。

ただ、来客が無いわけでは無い。例えば、朝遭遇した有澤舞凪は彼女自身の個人的な交友もあり立ち寄ることはあるし、生徒会の面々も戸締り等の確認のため立ち寄ることは少なくない。

そして最も異質なのが、その誰でもない1人の女子生徒だった。

「姫宮さん、ご機嫌いかがかな」

「わっ、びっくりした。滝沢さん、ノックくらいしてよ」

ごめんね、と笑うその女子の名前は滝沢温実。この学園で、知る人ぞ知る、情報屋である。というのも、新聞部への数々のたれこみや転校生情報のリークなど、色々な事を正式公開前に掴んでいたりするのだ。それ故に、その事実を知る一部の人にそう呼ばれているに過ぎない。一方で普通の生徒からは新聞部に入り浸る人、もしくは新聞部員として知られている。

彼女は別に頼んでいないが、滝沢温実は自ずと情報を提供してくれるため、無下に断ることも出来ず、部室への来訪を受け入れているのだ。

「ビッグニュースだよ姫宮さん。ほら、春休みの事件でネットニュースに乗ったじゃない?」

「良い迷惑。有名になりたい訳じゃないのに」

「そうは言ってもね、世間はあなたを逃がしたくないみたいだよ」

そう言って彼女が見せたスマホの画面には、ある公開前の動画?が映っていた。10日後に公開予定とある動画のサムネイルには、見た事のある背景と誰かのシルエットが映っていた。そのタイトルは、『探偵少女にアポ無し突撃!?取材してみた』というものだった。

「これって、私……?」

「この前のネットニュースの写真がそのまま切り抜かれて、姫宮さんの所だけシルエットみたく加工されてる。ちょっとこれは、姫宮さんに黙ってられないな、と思って来ちゃった」

「…そうだね。ありがとう滝沢さん。なんでこんなこと…」

「見たところ人気集めって感じかな。最近トレンドになってたことなら色々と突撃してる」

思わず彼女はため息を吐いていた。無理もないだろう。勝手に名前がネットの海にばらまかれていたこれまでのことはもちろん、今はどこぞの配信者に何の許可もなく客寄せパンダとして利用されそうになっているのだから。

「それなら普通は許可とかとる物じゃないのかな」

「どうせ生の反応を楽しみたいとかそんな身勝手な理由だと思うよ。ネットニュースの件だって、事実だけを伝えるだけなら姫宮さんの写真は撮影する必要が無いし、良い記者と悪い記者のそこら辺の対応の違いは、自覚してるでしょ」

「それはそうだけど…」

事件のことをニュースとして報じる際に、警察に協力せざるを得ない状況にあった自分が大々的に報じられることへの不信感はずっとあった。無いわけがなかった。

大勢の人が必要としているのは、生活を脅かすかもしれない事件の解決やその犯人が警察に逮捕されたことによる安心のはずなのに。

協力者の自分が祭り上げられる現実に、彼女は辟易としていた。

「この写真だって撮影され覚えないって言ってたもんね、姫宮さん」

春休みの事件解決後、取材にきた人たちはカメラを構えたりすることはなく 、ただ事実をインタビューのように尋ねてきていただけだったと記憶している彼女。それ故に、写真ありでニュースを出しているサイトに不信感を抱くのは当然のことだろう。撮られた覚えがなく、写真の自分の格好や背景が、事件当時の服装や場所である以上、されたことは盗撮と一緒だ。

「本当に、嫌になる…」

「姫宮さん……」

二人の会話はそこで一旦止まってしまった。

今朝の尾行者と、アポ無し突撃の件。彼女にとって、考えなければならない事が増えてしまったこと、その上それが学園の外で起きたことであるということは、憂慮に値するものだった。

やがて、彼女が口を開いて言った。

「配信者の件は最悪いつでも通報できるようにしておく…。実はもう1つ、それとは別に悩みがあって」

「私で力になれるなら、協力するよ姫宮さん」

グッと両手を握りながら、滝沢温実は言った。彼女はそれを見て、今はまだ表に出さないようにしておこうと思っていた、と前置きをした上で、今朝の件を口にするのだった。

「それって…ストーカーじゃない?」

「やっぱりそうだよね。私も今日ようやく確信に至ったんだ」

「いやいやいや、今の今まで無事だったから良かったけど、何かあったらどうすんのさ!」

早く通報した方が、とワタワタする滝沢温実。その姿が少し新鮮で、彼女は少しだけ笑みを浮かべると続けた。

「警察に通報するのはちゃんと証拠が揃ってから、ね」

「それってどういうこと…?」

「私もやられっぱなしじゃないってこと」

そう言う彼女の顔は自信に満ちていた。その目線の先には、彼女の鞄。

滝沢温実は彼女のそんな様子に、落ち着きを取り戻したようで、姫宮さんがそういうなら、と普段の調子に戻っていった。

部屋に置いてあったお菓子やお茶を嗜みながら、2人の会話は夕方遅くまで続くのだった。

彼女の鞄の奥に、キランと光る何かがあることは、まだ彼女しか知らない。


「じゃあ、私部室に戻るね」

「うん、またね滝沢さん」

やがて1人に戻った彼女は、部室の後片付けをしてから、その鞄を肩に抱える。

忘れ物をしていないことを確認し、部室の戸締りを確認してから、鍵を職員室に預けた後、校舎をあとにしようとした時のことだった。

「なんでこういう大事な日の前に忘れ物するかなあ〜〜〜」

玄関でそんな風に独りごちる人物。

1人の男子生徒が、夕暮れ時の校舎に入ってくる姿があったのだ。

何を隠そう、翌日デートを控えた逢沢拓人その人である。

正真正銘、お互いに面識はない2人だが、こうして玄関で目を合わせるくらいのことは何度かあった。

特に声をかけることもなく、過ごしてきた今までを考えると、この日の彼女は少しだけ不自然だった。

「何か、忘れたんですか?」

「え!?あ、ああ、いえ。その、ちょっと宿題を持って帰るの忘れてしまって。今日中に済ませときたくて…」

って聞かれてもないのに何言ってんだすみません、と急に謝ってくる彼の姿に内心どこか笑ってしまった自分がいると思った彼女。

一日開ければまた学校は始まる。

その一日を宿題のために使えない、もしくは手につかない状況が想定できている、という彼の状況を推察した彼女。

「じゃ、じゃあ。さよなら」

「さようなら」

その後は、別れの挨拶だけ。

お互い、名前は知らない。それでも、リボンの色で同学年だということは気づかれただろうなと、変な男子生徒のことを考えながら彼女は家路につくのだった。

彼女の物語が動き出すのは、まだ先のこと。

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