あわてんぼうのぼくとうっかりもののつくもがみ

いもたると

第1話

 9月○日、今日は特別な日でした。いつもと違う、特別な日でした。


 首を長くして待ち望んでいた日が、とうとうやってきた。

 長い、長い、十年間だった。

 小学四年生の二学期の始め、ぼくはようやく十歳の誕生日を迎えた。

「ハッピバースデー、トゥーユー。ハッピバースデー、トゥーユー。ハッピバースデー、ディア、ショーター。ハッピバースデー、トゥーユー」

 キリンほどには長くならなかったけど、幼稚園のころと比べると、だいぶ成長した首を伸ばして、ケーキの上で揺れる10本のロウソクの炎めがけて、フウっと息を吹く。

 今日はぼくの10回目の誕生日だ。誕生日というと、誰にとっても特別な日だと思うけど、今日は取り分け特別なんだ。

 だって、ぼくの10歳の誕生日なんだから。

 記念すべき10歳の誕生日は、9歳までの誕生日なんかとは、絶対に違う。

 なにしろ、10歳は20歳の半分なんだから。

 10歳は大人の半分だ。ぼくは今日、大人への階段を一歩登ったんだ!

 外はさっきから雲行きが怪しく、はっきりしない天気。

 雨が降るなら降るで、さっさと降ってほしいと思うんだけど、それでもぼくの誕生日が記念すべき日であることには変わりない。

 いつも帰りが遅いパパも、今日は早めに帰って来た。

 普段は別々に暮らしているおじいちゃんとおばあちゃんも、ケーキを持ってやって来た。

 食卓には、あまり料理が得意ではないママが、腕を振るって作ってくれた、豪華な料理が並んでいる。

 骨の付いた唐揚げ、フライドポテト、トローリとしたチーズのピザ。みんなぼくの大好物だ。

「ショータ、お誕生日おめでとう。これはおじいちゃんからのプレゼントだよ」

「わああ。おじいちゃん、ありがとう。なんだろう?ぼくだけのスマホかな?パソコン?それとも、サングラス?」

 ぼくは早く大人になりたい。だって大人になれば、いくらでも自分のスマホでゲームができるし、夜更かししても怒られないからだ。

 ぼくはサングラスをかけたカッコいい大人になって、毎日好きなフライドポテトを食べるんだ。

 そして、飛行機のパイロットになる。

 ぼくはパイロットになって、世界中を飛び回るつもりだ。

「はっはっは。そういうものではないけど、とても大人っぽいものだよ」

 そう言っておじいちゃんが渡してくれたのは、細長い箱だった。

 色は青で、真ん中あたりに金色で英語の文字が書かれている。

 大きさからすると、腕時計だろうか?だとしたら、大人がしているようなカッコいいのがいいな。

「ショータが大人っぽいものがいいと言っていたからね。今すぐ開けてごらん」

 中には、箱と同じような青色の、ちょっと太めのペンのようなものが入っていた。

 キャップのところに金色の金具が付いていて、お尻のところも同じように金で縁取られている。

 見た目はカッコよかったが、ぼくはちょっぴりがっかりした。パパがこんな感じのボールペンを使っているのを見たことがあるからだ。

 大人向けだとは言っても、ボールペンはボールペンだ。中身はぼくの筆箱に入っている、ノック式のものと変わりがない。

 そう思って、手に取ってキャップを外すと、見たことのない、鳥のくちばしみたいな金色のペン先が付いていた。

 なんだ、これ!ボールペンじゃないぞ!

「カッコいいだろう。これは万年筆といって、大人が使うペンなんだ」

「万年筆!?何それ、カッコいい!」

「大事に使えば、一生使えるペンなんだ。それで万年筆っていうんだよ」

 そう言っておじいちゃんは、万年筆の使い方を教えてくれた。インク壺を取り出して、ペンの先っぽをインクにつけ、お尻のところをクルクル回して、チューっとインクを入れた。

 うわあ、ボールペンとは全然違うぞ。これは完全に大人のペンだ。それも、クールでカッコいい大人の持ち物だ。

「万年筆は、お手入れが肝心なんだ。万年筆にとって、一番いいお手入れは、毎日これを使って書くことなんだよ。毎日使っていると、ショータの書き癖を覚えて、どんどん書きやすくなってくるんだよ」

 ぼくのクセを覚えてくれるだなんて!これはもう、ぼくのパートナーだ。ぼくの相棒だ。最高の誕生日プレゼントじゃないか!

 10歳の誕生日。特別な日。ぼくは、大人への階段を一気に駆け上がった。


 おじいちゃんたちが帰った後で、ぼくは早速、万年筆を使ってみた。

 あまり力を入れなくても、ペン先が紙の上をするすると走っていく。とっても気持ちがいい。

 毎日書くといいとおじいちゃんが言っていたので、ぼくはこの日から日記をつけることにした。それだって、大人の人がすることみたいでカッコいい。

 新しいノートを一冊おろして、最初のページから書き始めた。

 10歳の誕生日が、ぼくにとってどれだけ特別な日になったかということ、ケーキにご馳走、ぼくの相棒になった万年筆のこと。

 ぼくは興奮して、その日の分だけで、2ページも書いた。

 その日から、ぼくは毎日、日記を書いた。その日一日の出来事を、朝、起きたときから順番に書いていく。

 例えば、こんな感じだ。


 9月◯日、今日は朝7時に起きた。朝ごはんは、白いごはんに、納豆と味噌汁を食べた。学校に行ったら、ヨウタ君とユウヤ君と一緒に遊んだ。給食は、パンにクリームシチューに野菜サラダに牛乳だった。算数の宿題が出た。モンブランクエストというゲームをやった。夕食はカレーライスだった。


 でも、三日ぐらい書いたら飽きてきてしまった。

 これは三日坊主といって、日記を書こうとする人にありがちな悪いことだとは知っているけど、ちょっとしょうがない気もする。

 だって、ぼくは毎朝必ず7時に起きる。その時間にママが起こしにくるからだ。

 ママが作る朝ごはんは、いつも納豆か、卵かけごはんのどちらかしかない。昨日が納豆なら、今日は間違いなく卵かけごはんだ。

 味噌汁の具も、いつもわかめとお豆腐だから、書かなくてもわかる。

 ぼくとヨウタ君とユウヤ君は、仲良し3人グループだから、ぼくが遊ぶのはいつもこの二人だ。

 給食のメニューは毎日変わるけど、これは献立表にあらかじめ書いてある。

 担任のナガタ先生は、毎日、算数か漢字のドリルを宿題に出す。今日が算数なら明日は漢字だ。

 ここのところぼくは、家に帰ったら、毎日モンブランクエストをやっている。まだクリアするには当分かかりそうだから、明日も明後日もモンブランクエストだ。

 夕食のメニューも、一週間も書いたら元に戻ると思う。ママはそんなに料理が得意ではない。一週間に一回ぐらいはカレーライスが出るのだ。

 要するに、ぼくはほとんど変わりばえのしない生活を送っているのだ。

 日記というのは、後でそれを見たときに、ああ、そういえば、あのときこんなことがあったな、あんなことがあったな、というふうに、いろんな出来事を思い出すようなものだと思っていたけど、これでは日記をつけるまでもない。

 明日の日記だって今日中に書けてしまえそうだ。

 急にヨウタ君が遠くの学校に転校してしまうことはないし、ある日、ユウヤ君が魔法の絨毯に乗って登校してくることはない。

 突然ママが料理に目覚めることも、パパが新しいゲームソフトを買ってくることもない。

 ぼくの人生で変わったことといえば、最初の日に書いた、誕生日プレゼントに万年筆をもらったということぐらいだ。

 今日もぼくの一日は、異世界から突然現れた魔法使いに、世界を救う勇者に選ばれることもなく、実はどこかの国の王子様だったという秘密が明かされることもなく、ぼくがぼくのまま、平々凡々に過ぎていった。

 さっき食べた夕食は、アジのフライとキャベツの千切りだった。きっとスーパーでアジの特売があったのだろう。

 日記を見るまでもなく、昨日の夕食も同じメニューだった。

 ぼくは、机に向かって日記を開いたはいいものの、書く気がまったく起きなかった。

 だって、ぼくの人生、これっぽっちも変わったことが起きないんだもん。

 これというのも、ぼくが子供だからだろうな。早く大人になってパイロットになりたいな。

 そうすれば、いろんな国に行って、いろんなものを見ることができる。

 パパはサラリーマンは退屈だと言っているから、ぼくはサラリーマンにはならない。

 窓の外は真っ暗で、ひどい天気。さっきから土砂降りの雨が降っている。おまけにゴロゴロと雷まで鳴っていた。

 時々、鋭い雷光とともに、ピシャッという大きな音がして、どこかに雷が落ちていた。

「あーあ。日記に書くようなことなんて、何にもないや。どうせ明日もいつもと同じ一日なんだもん。何か変わったことが起きないかなあ」

 ぼくは退屈して、手に持っていた万年筆をクルクルと回し始めた。

 一学期のぼくたちのクラスでは、ペン回しが流行っていた。

 担任のナガタ先生は、いつも青いジャージを着ている、背の高い男の先生だ。

 若い頃はレスリングの選手だったらしくて、声がでかい。

 オリンピックの候補生だったって言っているけど、本当かな?

 ぼくたちが授業中にペン回しをしていると、「コラーッ」って怒られる。

 それでも、先生が見ていないときにクルクルとやる。

 たまに失敗してペンが飛んでってしまうと、また「コラーッ」と怒られる。

 ぼくたちがあんまりやるものだから、二学期からは、授業中にペン回しをしたら、ペンを没収すると言われた。没収するとは、先生がペンを取り上げちゃうということだ。

 ぼくはまだ下手くそだから、授業中にはやらない。

 でも今は家だから、クルクルとやる。

 初めて回すペンは、コツをつかむまでは回しにくい。

「あっ」

 案の定、ツルンと手が滑って、ポーンと万年筆が飛んでいく。

 そのとき、ドンガラガッシャーン!と、ものすごい音がして、雷が落ちた。

「ひゃあ!」

 思わず声が出てしまった。

 ああ、びっくりした。あんなに大きな雷は、10年も生きてきて、人生で初めてだ。

 きっと近くに落ちたに違いない。そうだ。今日はこのことを日記に書こう。

 今日の夕飯はアジフライでした。すごい雷が落ちました。他には、何も変わったことは起きませんでした。おしまい。

 ところが、後ろに飛んでいった万年筆を拾おうと、椅子から立ち上がったぼくの目に飛び込んできたものは、平凡な毎日とはかけ離れたものだった。

「うわああああ!」

 雷が落ちた以上の驚き。

 いつの間に入ってきたのか、ぼくの部屋に見慣れない人がいた。

 いや、人と言っていいのだろうか。身長は結構高く、ナガタ先生と同じくらいだ。

 広い肩幅、がっちりとした体格も同じだが、着ているものは青いジャージではなく、まるで水平さんみたいな大きな襟の付いた、青いセーラー服だ。

 おかしなのは、首から上だった。

 頭には水兵さんの帽子を被っているけど、顔色は真っ黒で、目玉のない金色のボタンのような目が付いている。

 目の横に大きな傷があるのが、ちょっと怖い。それに、顔の真ん中には、まるでペリカンのような大きな金色のくちばしがあった。

 うん?このくちばし、どこかで見たことがあるぞ、と思ったら、たった今ぼくの手から飛んでいった、万年筆のペン先をそのまま大きくしたような形だ。

 ぼくは、パパが変装してふざけているのかと思ったけど、パパだったらもっと太っている。

 見たところ、この人のお腹は出ていない。

 親戚のおじさんにもこんな人はいないし、一体この人は誰だろう。

「コラーッ」

「ひえっ!」

 その人が急に大声を出したものだから、ぼくはまたまたびっくりしてしまった。

「まったく、昔のショータはなっとらん!万年筆を投げ捨てるとは、何事だ」

 喋るとカチャカチャという音がする。くちばしは金属でできているようだ。

「ご、ごめんなさい」

 慌てて床に落ちていた万年筆を拾う。

 でも、今、昔のショータって言ったような。昔のショータって、どういうことだろう?ショータならぼくだけど。

 年配の人たちが、最近の子供はなっとらん、って、よく言うのは耳にするけど。

 それより、この人はぼくのことを知っているのかな?でも、そうでなきゃママが家に入れたりしないよな。

「いいか、ショータ。道具には、作った人の魂が込められておるのじゃ。道具を大切にしないとバチが当たるぞ」

 それはわかっているけど。

「あのう、ところで、どちら様でしょうか?」

 ぼくはおそるおそる聞いてみた。道具を大切にすることも大事だけど、人の家に来たら、自分から名乗るのが大事なんじゃないかなあ。

「吾輩か?吾輩は付喪神である」

 付喪神?ぼくが、付喪神ってなんだろう、という顔をしていると、その人は、はああ、と、わざとらしい大きなため息をついた。

「はああ。これだから昔のショータはいかんのだ。付喪神も知らないとは情け無い。付喪神というのはだな、古い道具が神様に変身したものじゃ。道具は百年大事に使うと霊力が宿って、神様になる。それを付喪神というのじゃよ。吾輩は、ショータの万年筆の付喪神であるぞ」

 神様だって?

 神様が、こんな青いセーラー服なんか着て、くちばしを付けているかなあ?

 それに神様だなんて言われても、信じられるはずがない。

 これはきっと、ママがぼくを驚かそうとして、知り合いの人にでも頼んで変装してもらったんだろうな。

 おじいちゃんからもらった万年筆を大事に使わせようと思って、こんな手の込んだことをしているんだ。

 ぼくは大きなため息をついた。

 まったく、ママったら、ぼくのこといつまでも子供だと思っているんだから、やんなっちゃうよな。

「そんなこと言ったって、騙されませんよーだ!」

 ぼくは、化けの皮を剥いでやろうと思って、エイっとくちばしを掴もうとした。

「あれ?どうなってるんだ?」

 なんと、硬い物に触れると思ったのに、ぼくの手は宙を掴んだだけだった。

 確かに手とくちばしが重なっているはずなのに、触っているという感触が全然ない。

 それどころか、もっと驚いたことには、手をブンブンと振って動かしてみても、体があるはずの空間をすり抜けていっただけだった。

 ということは、この人は本当に神様?

「ふぉ、ふぉ、ふぉ。少しは信じる気になったかの?まあ、信じられないのも無理はないわい。手にしたばかりの万年筆の付喪神が現れたといっても、誰も信じないじゃろうからな。どうして吾輩がここにいるのかいうと、これはまったくの偶然なのじゃが、さっきの雷のエネルギーによって、百年後の未来から過去にタイムスリップしてきたのじゃよ」

 古い映画で、雷のエネルギーを利用してタイムスリップをするものを見たことがある。

 にわかには信じられない話だったけど、一応辻褄は合っている。

 ぼくは床に落ちた万年筆を拾った。

「もう少し説明が必要なようじゃの。今言った通り、吾輩はその万年筆の付喪神じゃ。未来のショータは、一生吾輩を大事に使ってくれたのじゃ。ずっと吾輩を使って日記を書き続けてくれたのじゃよ。もちろん、ショータ一人で百年使ったわけではないぞよ。ショータが年を取ったとき、吾輩はショータの子供に受け継がれた。そのときショータは、こう言って吾輩を子供に渡したのじゃ。これは父さんが一番大事にしているものだよ。だからおまえも大事に使ってくれよ、とな。吾輩は、それを聞いたときには感動したぞよ。ショータの持ち物で良かったと、心底思ったものじゃ。その子もまた、大切に使ってくれて、毎日吾輩で日記を書いてくれた。吾輩はショータたち親子に大変感謝したのじゃ。そのことがきっかけになって、付喪神になることができたのじゃよ」

 ぼくは手に持った万年筆を見た。まだ新品の、真新しい、傷一つない、青色の万年筆だ。

 おじいちゃんは大事に使えば一生使えると言っていたけど、本当に百年ももつんだろうか?

「じゃ、じゃあさ。ぼくが君を使って毎日、日記を書いていたと言うなら、君はぼくの一生を全て知っているはずだよね。だったら教えてよ。ぼくは大人になったら、パイロットになれるかな」

 付喪神は、ちょっと困ったような顔をした。丸いボタンのような目が付いているだけだけど、なんとなく表情がわかる。

「うーん。確かに吾輩はショータのことなら何でも知ってはおるが、それは言えんのう。未来のことは、言ってはならんことになっているからのう」

 そういう話はSF映画なんかでよく聞く。未来から来た人が過去に介入してしまうと、未来が変わってしまうのだ。でも。

「今、子供に受け継がれたって言ったじゃない」

「あ、しまった」

 あ、しまったって。神様なのに、うっかりしてるなあ。

「でも、それじゃあ君が未来から来たってことは信じられないな」

「では、教えてもいいことだけ教えてしんぜよう」

「なになに?」

「明日の朝ごはんは、卵かけご飯じゃ!」

 ぼくはガッカリした。そんなこと言われなくたってわかっている。

「ふぉ、ふぉ、ふぉ。まあ、そう焦るでないぞ。未来は嫌でもやってくるからの。まあ、せっかくなので、しばらく居座らせてもらうぞよ。昔のショータには、道具を大切に扱うことを学んでもらわねばなんようじゃからの」

「そんなことわかってるよ」

 ぼくはもう子供じゃないんだから。

「あ、そうそう」

「なに?」

「ママがやってくるぞ」

「え?」

 そのとき、廊下をバタバタと歩く音がして、ママが近づいてきた。

 大変だ。ママが付喪神を見たら、何て言うだろう。

 バタンとドアが開いて、ママが部屋に入ってきた。

「もう、ショータ。さっきから何を一人で騒いでいるのよ」

「え?う、うん。日記に書くことが思いつかなくて、それで、うーんと考えていたんだよ。声が出ちゃってたかな」

 なるべくママの注意をぼくに向けとかなきゃ。と思ったけど、無駄な努力だった。

 付喪神は、あろうことかわざわざぼくの隣にやってきた。

 あっちゃー。完全にママに見られてしまう。

 でも、ママの顔が驚きの表情になるかと思いきや、ならなかった。

「日記は作り事を書くものじゃないのよ。何を書こうかなんて考えるまでもないでしょ。ちゃんとありのままを書きなさい。それより、早くお風呂に入ってきなさい」

 そう言ってママはドアを閉めて出ていった。

 あれ?付喪神に気づかなかったのかな?

「ふぉ、ふぉ、ふぉ。付喪神は持ち主にしか見えんぞよ。声も聞こえんから、安心してよいぞ」

 なあんだ。心配して損した。


 こうして、その日から、ぼくと付喪神の奇妙な共同生活が始まった。

 この付喪神、ぼく以外の人には姿も見えず、声も聞こえないとはいえ、いささか厄介だ。

「ほらショータ。朝ごはんを食べるときにキョロキョロしないの。さっさと食べないと遅刻するわよ」

 ぼくがパパとママと一緒に朝食を食べていると、「ほう、これがアレか。ふむふむ」とか言いながら、食卓の周りをウロチョロするものだから、気が気でない。

「ほう。これが卵かけご飯か。吾輩は何度卵かけご飯と書かされたものやら。実物を見るのは初めてだぞい。どうせ明日は納豆と書かされるんじゃろうが。一つ明日は納豆見物といこうかの。ふぉ、ふぉ、ふぉ」

 なんてことを言いながら、付喪神がお茶碗の中を覗き込んでくるものだから、食べにくいったらありゃしない。

「じゃがな、心配せんでもいいぞ。大人になったショータは、朝食にハムとかサラダとか、いろいろと書いておったからな。そうそう、食べ物といえば、あれはショータが二十歳ぐらいのときじゃったかのう。来る日も来る日もカップラーメンとしか書かんようになったことがあったから、あのときは流石の吾輩も心配したぞい。あ、未来のことは内緒にしとくんじゃった。今のは忘れてくれい」

 と、付喪神は頭を掻き掻きした。

 また言っちゃったけど、大丈夫かな、この人。いや、この神様、かな?未来が変わっちゃったり、しないかな?

 でも、カップラーメンは好きだけど、流石に毎日それしか食べないのは健康に悪そうだな。大人になったら注意しようっと。

「大人になったぼくって、太ってるのかな」

「パパみたいにラーメンばっかり食べてたら、そりゃ太るわよ」

 付喪神に聞くつもりで、思わず声が出てしまったら、ママが代わりに答えた。

 パパは新聞を広げて、ポッコリ出たお腹を隠して小さくなっている。

 そうか。パパは仕事が遅くなるときにはラーメンを食べているんだな。

 でも、太るのは嫌だけど、やっぱり早く大人になって、好きなものを好きなだけ食べられるようになりたいな。

「ほら、ショータ。学校に遅れるわよ」

 慌てて残りの卵かけご飯をかきこんだものだから、ゲホゲホしてしまった。

「もう、この子ったら、あわてんぼうなんだから」

 ママはいつもぼくのことをあわてんぼうと言うけれど、ぼくは決してあわてんぼうなんかではない。

 何でも早くやろうとしているだけだ。一緒のように見えるけれど、慌てるのと早くやるのとは違う。

 ぼくは大人だから、その違いがわかる。


 朝食を食べ終えたら、学校に出かけた。

 ちょっと迷ったけど、今日は筆箱に万年筆も入れていくことにした。

 当然、万年筆の行くところ、付喪神も付いてくる。まあ、ぼくにしか見えないんだから、大丈夫だろう。

 ぼくはどうしてもヨウタ君とユウヤ君に、万年筆を見せたかったのだ。

「誕生日プレゼントにおじいちゃんからもらったんだよ。へへ、いいでしょう」

 別に自慢するとか、そういう子供じみたことをするわけではないんだけど。

 早速二人に万年筆を見せると、二人とも目を丸くして驚いてくれた。

 こんなペンは見たことがないに違いない。

 二人とも「貸して、貸して」と言って使いたがったので、ちょっと使わせてあげた。

 この二人は、ちょっとだけだよ、と言えば、本当にちょっとだけで返してくれる。二人とも大人なのだ。だから二人とは友達なんだ。

 二人とも興奮して、「すごい」とか「大人っぽい」とかを連発したから、付喪神も誇らしそうに見える。

 だけど、やっぱりぼくはあわてんぼうだったのかもしれない。もう少し考えてから行動するべきだった。

「おい、ショータ。いいもん持ってんじゃん。俺にも貸してくれよ」

 聞きたくない声が、ぼくの背中のほうから聞こえた。

 近づいてきたのは、体の大きなシンヤだ。がさつで太々しくて、乱暴者だから、ぼくはシンヤのことが嫌いだ。体は大きくても、中身は子供なんだ。

 でも、貸さないと何をされるかわからないから、ちょっとだけのつもりで貸してやった。どうせもうすぐナガタ先生が入ってくる時間だ。

「おっ、これ、おもしれーじゃん。ボールペンより書きやすいな」

 そう言って、シンヤは万年筆を太い指でガッシリと掴み、ノートにグルグルと訳のわからない線を描き続けた。

 シンヤは頭が悪いから、どうせロクなものは書けない。字が書けるかどうかも怪しい。多分、絵文字しか書けないと思う。

 ぼくは、シンヤが万年筆を壊しやしないかと、気が気でなかった。

「ほお、この子がシンヤか。こやつは道具を大事にせんようじゃな」

 と、付喪神が苦々しい顔でシンヤを見た。

 あれ?シンヤのこと知っているのかな?

「ねえ、もういいでしょ。ぼくもまだあんまり使ってないんだよ」

「うるせえなあ。もうちょっといいだろ」

 そのとき教室のドアが開いて、いつものように青いジャージを着たナガタ先生が入ってきたから、ぼくはホッとした。

 ところが。

「1時間目まで使わせてくれよ。これで書くと、頭良くなる気がするわ」

 と言って、シンヤは万年筆を持っていってしまった。

 あっ、と思ったが、何も言い返せなかった。歯向かえば、乱暴される恐れがあった。

 悔しさで胸がいっぱいになる。

 それでも、どうすることもできずに、万年筆はシンヤの手に収まったまま、1時間目の授業が進んでいった。

 ぼくはシンヤが万年筆を乱暴に扱いはしないかと心配になって、しょっちゅうそちらのほうを向いていた。

 そうしたら、コラーッとナガタ先生に怒られてしまった。

 まったく、なんだって僕が怒られなきゃいけないんだ。

 こりゃあ付喪神も怒っているかなと思いきや、ところがどっこい、たいして気にする様子も見せずに、教室の中を物珍しそうに行ったり来たりしていた。

 なんだ、あいつ。ぼくの万年筆の付喪神のくせして、シンヤに使われるのが嫌じゃないのかな?

「ほうほう。この人がナガタ先生か。この名前もよく書かされたわい。なにしろ、ショータの担任は、来年もナガタ先生じゃからの。あ、しまった。これは内緒じゃった」

 うええええ。

 ナガタ先生は結構厳しいのだ。

 それにしても、また未来のことを言っちゃったなあ。この付喪神、結構うっかりものなのかもしれないぞ。

 この調子で、うっかり重要なことを漏らしたりしないだろうか。

 パイロットになれるかどうかを聞いてみたいけど、もしなれなかったらと思うと、聞くのが怖い気もする。

 未来のことは、知らないほうがいいのかもしれない。

 あっ、シンヤのやつ、万年筆でペン回しを始めやがったぞ。なんてことをするんだ。

 もし失敗して飛ばしちゃったら、没収されちゃうんだぞ。

 なんてことを心配していたら、慣れないペンで回していたせいか、ポーンと、万年筆がシンヤの手から飛んでいった。

 あ、まずい。

 カランカランカランと、教室の床に跳ねる。

 緊張感が一気に高まる。

 3、2、1。

「コラーッ!!!」

 ナガタ先生だ。今日の雷は、一際大きい。

 教室中が、ビクッとなった。

「ペン回しをやったらいかんと言っとるだろうがぁぁぁ!!」

 ナガタ先生は、鬼みたいな真っ赤な顔になって、ツカツカとやってくると、床に転がった万年筆を拾い上げた。

 ど、どうしよう。授業中にペン回しをしたシンヤなんてのは、こっぴどく怒られればいいけど、ぼくの万年筆が没収されちゃうのは嫌だ。

「せ、先生!そ、それ、ぼくのです」

 あちゃー。

 慌てて叫んでしまったが、大失敗だ。これではぼくが回していたように思われる。

「やっちゃいかんと言っとるだろうが。これは先生が預かっておく。放課後に職員室まで取りにきなさい」

 うああああ。

 回していたのはぼくじゃないのに。

 トホホ。やっぱりぼくってあわてんぼうなのかなあ。

 シンヤのほうを見ると、自分は関係ないなんて顔をして、知らんぷりをしていた。

 万年筆を没収された上に、濡れ衣まで着せられたぼくは、ショボンとして、その後の授業は全く頭に入らなかった。

 気づいたら、付喪神もどこかに消えていた。


 放課後、こっぴどく怒られるのを覚悟して職員室に向かったが、意外にもシンヤが付いてきてくれた。

 これは見かけは乱暴者だけど、実は根はいいやつとか、そういうことではなくて、単純に回していたのが自分だったということが、後からバレて余計に怒られるのが嫌だったのだと思う。

 ぼくはパイロットになるつもりだから、英語の勉強もしている。

 こういうのは、リスクステーキ弁当と言うのだそうだ。食べすぎて太らないように注意しましょうという意味だ。

 そりゃそうだ。だって空を飛ぶんだから。体重は軽いほうがいいに決まっている。

 あれ?ちょっと違ってたかな?弁当なんて漢字が入っているのはおかしいか。

 何はともあれ、シンヤが正直に白状してくれたおかげで、ナガタ先生の怒りも思ったほどではなかった。

 ぼくも学校に万年筆を持ってきてはいけないと釘を刺されたけど、もう二度と持ってくるもんか。

 でも、事件は一件落着したけど、付喪神はどこかに消えたままだった。

 どこに行ってしまったんだろう。ぼくに愛想をつかして帰っちゃったんだろうか。


 家に帰って、今日の出来事を日記に書こうとして万年筆を取り出して、ぼくは再び、ああああああ、となった。

 なんてこったい。

 きっと教室の床に落ちたときに付いたのだろう。万年筆のキャップに、小さな傷が付いていた。

 うううううう。

 余計に落ち込む。

「ごめんよ、万年筆さん。もう二度と学校に持っていったりしないよ。大事に、大事に使う」

 ぼくは傷のところを何度も指でさすった。これが魔法のランプだったら、魔神が出てくるぐらいにさすった。

「ようやくわかったようじゃの」

 出てきたのは、ランプの魔神ではなく、付喪神だった。

「ああ、よかった。怒って帰っちゃったのかと思った」

 付喪神は、ふんぞり返って答えた。

「ショータには、まだまだ大事なことを教えねばならんからの。まだ帰れんわい」

「わかってるよ。道具は大事にするよ」

「それは今日のことで身に染みたじゃろう。それよりも、ショータはいつも、早く大人になりたいと思っておるよな。日記にも、子供はつまらないとか、大人はいいなあ、とか、何遍も書いておったぞよ。じゃがな、ショータよ。子供には、子供のときにしか学べないこともあるのじゃ。毎日、同じことの繰り返しに見えても、一日たりとて、全く同じ日はないのであるぞ。一日一日を大事にして、もっとゆっくり生きなさい。焦らない、焦らない」

 あんなことがあったすぐだから、すんなりと言葉が入ってきた。やっぱりぼくは、ママが言うようにあわてんぼうなのかも。

「そのためには、毎日、日記をつけることが一番じゃ。一日の終わりに、その日一日を振り返って、今日はあんなことがあったな、こんなことがあったな、と、今日あった出来事を思い出して反省するのじゃ。そして、明日はこんな一日にしようと思い描く。その積み重ねが、人生を作っていくのじゃぞよ」

「うん。やってみるよ」

「なにしろ、百年は長いからのう」

 ぼくは付喪神の目の横にある傷に、改めて気付いた。

 知っていたんだ。

 今日の出来事を。

 ぼくは日記を開いて、今日の分を書き始めた。

 もう、早く大人になりたいなんて思いません。


 次の日の朝食は納豆だった。

「ほれ。吾輩の言った通りじゃろう」

 と付喪神は得意そうだったが、そんなことぼくにだってわかっている。

 それでも、ぼくは昨日までとは違っていた。

 いつもは納豆には、添付のたれと辛子をつけて食べるだけだけど、今日はそこに七味唐辛子も混ぜてみた。

 こうすると、ほんの少し工夫しただけなのに、味がいつもと全然違っていた。

 納豆も卵かけご飯も、毎日食べて飽き飽きしていたけど、ちょっとの工夫で、いろんな味になるんだな。

 これは新しい発見だった。

 その日はいつもより早めに家を出た。

 毎日、毎日、一年生のときから数え切れないぐらい通った、通い慣れた道。

 いつもは遅刻しそうになって走っていくけど、ゆっくり歩くと、いろんな発見があるものだ。

 小川の土手に、きれいな花が咲いていた。ぼくの知らないきれいな花。

 その花の周りを、ハチみたいなハエみたいな虫が飛んでいる。

 木の上からは、鳥のさえずりが聞こえる。

 見たことがある。聞いたことがある。でも、名前も知らない。

 ずっと前から、いつもそこにあったはずなのに、ぼくはその前を素通りしていた。

 早く大人になることばかりを考えて、自分の身の回りのものさえも、よく見ようとしていなかったのかな。

 パパの話だと、昔はこの辺りはもっと田舎だったらしい。

 今はアメンボぐらいしかいない小川にも、パパが子供の頃にはザリガニがいたし、タガメやゲンゴロウなんかもいたそうだ。

 ぼくが大人になる頃には、アメンボもいなくなっちゃうのかな。

 角に新しいコンビニエンスストアができていた。その前には、そこには何があったっけ。

 全然覚えてないや。いつも見ていたはずなのに。

 今、当たり前のようにあるものでも、気付かないうちに消えてしまうのかな。

 小学校だって、まだずっと先のことのような気がするけど、そのうち卒業するんだよな。

 今の友達、今の授業、今の給食。これは、今しかないんだな。

 もっと、一日一日を大切に過ごさなきゃ。

 そう思って、その日はいつもよりも注意深くナガタ先生の授業を受けた。


 放課後、ぼくは学校の図書室に行ってみた。

 もっと付喪神について詳しくなろうと思ったからだ。

 これまで学校の図書室に行ったことはほとんどない。

 ナガタ先生は、調べ物をするときには、図書室に行きなさいと言うけれど、ぼくはスマホで調べればいいじゃないか、と思っていた。その方が手っ取り早いし、面倒くさくない。

 でも、ぼくはまだ自分のスマホを持っていないから、図書室に行く。早く自分のスマホが欲しいな、なんて思っている暇があったら、図書室に行く。

 やっぱり、ちょっと面倒くさいような気もしたけど、こういうのもいいかな、とも思う。

 図書室は思っていたよりも広くて、本がたくさんあった。

 子供向けの本なんて、カッコ悪いなと思っていたけど、面白そうな本もいろいろとあるみたいだ。

 ぼくはおばけとか、妖怪を扱った本のコーナーに行き、付喪神に関することが書かれた本を探した。

 そこで、ある本が目に入った。

 おや、この本、なんだろう?

『うっかりもののつくもがみ』だって。

 作者の名前も、『やまのしょうた』とある。

 ぼくはショータ、ショータって呼ばれるけど、本名は山野翔太という。この作者がどんな字を書くのか知らないけど、同姓同名だ。

 よくある名前だから、そういう人がいてもおかしくないけど、ぼくと同じ名前の人が、付喪神のことを本に書いているだなんて。

 興味を引かれて手に取ってみると、平安時代を舞台にした物語のようで、こんなあらすじだった。

 平安時代には、百年使った古道具は、付喪神という、人間に悪さをする妖怪に変わると信じられていた。

 人間に捨てられて、怨みを持った古い筆が付喪神に変わり、自分を捨てた相手に復讐しようと時を越えて過去に遡り、初代の持ち主の前に現れる。

 正体を隠して持ち主に近づくけど、うっかり自分が付喪神であることがバレてしまう。

 どうして正体がバレたのかというと、その人は以前、筆を石の上に落として、傷を付けてしまったからだ。

 付喪神の顔にも、同じような傷が付いていたことから、相手が付喪神であることを見抜いたのだ。

 そして付喪神は、偉いお坊さんに退治される。

 だって!

 なんて今のぼくの状況にそっくりな話なんだろう!

 万年筆は昔で言ったら筆だし、付喪神が未来から持ち主のところへやってくるというのもそっくりだ。

 それにうっかりものだってさ!

 こんな話をぼくと同じ名前の人が書いていたなんて、なんという偶然だろう。

 この作者の『やまのしょうた』という人は、一体何者なんだろう。

 でも、付喪神が悪い妖怪で、持ち主に復讐しようとするだなんて。

 ぼくのところに来た付喪神は、うっかりものではあるけれど、悪いやつではないはずだ。

 きっとこの『やまのしょうた』さんは、話を面白くしようとして、付喪神を悪者にしたに違いない。

 ところが、他にもいろいろと調べていくうちに、衝撃の事実が判明した。

 妖怪を扱った本には、付喪神のことは大抵載っていたけど、どれもこれも、『やまのしょうた』さんの本と同じように、付喪神は悪い妖怪として書かれてあったのだ。

 どんな本を見ても、付喪神は人間に捨てられたことに対する怨みによって生まれた、悪い妖怪だった。

 おかしいな。

 付喪神は自分のことを神様だと言っていたけど。それに、ぼくとぼくの子供が、百年大事に使ってくれたことに感謝したから、付喪神になれたとも言っていた。

 でも、本で調べた限り、付喪神はみんな悪い妖怪として書かれていた。もし、本当に神様ならば、一冊ぐらいそのように書いてある本があってもいいものだけど。


 半信半疑のまま、家に帰ると、当の付喪神はぼくのベッドに入って、高いびきをかいて寝ていた。

 ぼく以外の人には聞こえないからいいものの、聞こえていたら、追い出されるレベルの高いびきだった。

 怪しい。

 ぼくは神様について詳しくないけど、神様って、寝るものだろうか。

 ぼくは日記を開いて、今日の分をつけた。


 ◯月◯日、もしかしたら付喪神は悪い妖怪かもしれない。


「おお、ショータ。帰っておったか。吾輩は退屈しておったぞい」

 付喪神が起きてきて、慌てて日記を閉じる。

「う、うん。なんだ、寝てたんだね。付喪神も寝るんだ」

「ふぉ、ふぉ、ふぉ。道具だって、使いっぱなしのままではくたびれてしまうぞよ。使った後は、ちゃんと筆箱やペン立てにしまっておく。そういうとき、道具は寝ているのじゃよ。本当は、きれいな布に包んで、箱にしまってもらいたいものじゃが、まあ、ショータのペン立ての居心地は悪くないぞよ。これがギュウギュウに詰め込んだペン立てだと、窮屈で身動きが取れん。まるでおしくらまんじゅうをやっているようじゃ。道具だって、グチャグチャとしたところにいるよりも、きれいなところにいたほうが嬉しいぞよ。そうすることで、持ち主が自分のことを大切にしてくれていると思うのじゃよ。いずれにしても、吾輩が夜に寝てしまうと、ショータの寝る所がないじゃろう。昼間に寝ておけば、夜には眠くならんから、安心じゃぞよ。ふぉ、ふぉ、ふぉ」

 ということは、付喪神は夜に起きているのか。一体、みんなが寝静まった後で、何をしているんだろう?


 その後も付喪神は、どうやら昼間に寝て、夜に起きる生活をしているようで、ぼくが学校から帰ってくると、いつもベッドでグースカ寝ていた。

 起きると、今日は学校で何があったかとか、詳しく聞きたがる。

 あれ?付喪神は、ぼくのこと何でも知ってるんじゃなかったのかな?

 いろいろと話をしてみると、どうやら付喪神は、学校のことはあまり知らないみたいだった。

 ヨウタ君やユウヤ君のことも、詳しく知らないみたいで、どんな子なんじゃ、とか聞いてくる。

 それなのに、シンヤのことはよく知っていた。どうしてなの、と聞くと、シンヤとは五年生になったら友達になるぞよと、うっかりこぼしてしまった。

 うえええ。シンヤと友達になるだなんて。

 そんなことが起きようとは、夢にも思わなかった。あんながさつで子供っぽい奴と、ぼくが友達になんて、なりっこない。

 そんなことを知ってしまったら、絶対にシンヤとなんか友達になるもんか。

 一方で付喪神が詳しいのは、食べ物のことだ。

 別にこのくらいは教えたって構わん、とか言って、今日の夕食は◯◯じゃぞ、と言う。そうすると、本当にその通りになる。

 でも、ぼくが寝ている間に冷蔵庫を覗けば、ママが作りそうなものは大体わかると思う。

 ひょっとするとぼくは騙されているのかもしれない。

 ぼくは付喪神を試してみようと思って、いろいろなことを聞くことにした。

 まずは宿題のドリルだ。百年も生きているんだから、小学校四年生のドリルぐらい、わかって当然だと思う。

 ぼくは宿題の算数と漢字のドリルの問題を、わからないフリをしてワザと聞いてみた。

 ところが、漢字は大体知っていたけど、算数となると、足し算や引き算もよく知らなかった。かろうじて数字がわかるぐらいだ。

 理科や社会のこともいろいろと聞いてみたけど、あんまり知らなかった。太陽が東から昇るなんてことすら知らないみたいだった。

 そのかわり得意だったのは英語だ。英語はペラペラで、なんて言っているのかわからないけど、いろいろと喋っていた。

 アメリカのことも詳しくて、よく知っていた。

 他にもいくつかの国のことを知っていたけど、知らない国のことは全然知らなかった。

 いろいろ試してみてわかったことは、この付喪神は知識に偏りがあるということだ。

 それも、すごく偏っている。


 次の日曜日。ありがたいことに、おじいちゃんたちがやって来た。

 ぼくは、おじいちゃんに付喪神のことを聞いてみようと思った。

 おじいちゃんは長生きしているから、付喪神のことについても、何か知っているかもしれない。

 幸い、付喪神は昼間は寝ているから、ぼくたちの会話を聞かれることはない。

「ショータ、万年筆は大事に使ってくれてるかな」

「うん。毎日、万年筆で日記をつけてるよ」

「おお、そうか、そうか。日記をつけるのはいい習慣だよ」

「ねえ、おじいちゃん。付喪神って知ってる?」

「付喪神か。おじいちゃんが子供の頃に、おじいちゃんのおじいちゃんから、そんなことを聞いたことがあるよ。昔は、おじいちゃんの家にあった道具は、みんな古いものばかりだったからね。付喪神がいても不思議ではなかったね。でも最近は聞かないようになったな。昔の人は物を大事にして、長く使っていたけど、今じゃ何でも使い捨てだから、付喪神なんて、もういないんじゃないかな。ショータは、よく付喪神なんて知っていたね」

 ぼくは、妖怪のゲームに出てくるんだ、と適当にごまかしておいた。

「でも、万年筆は一生もつんでしょ。ぼくが大事に使って、ぼくの子供に受け継いだら、百年経って付喪神になるかなあ。ぼく、あの万年筆、百年使うつもりなんだ」

 ぼくは、おじいちゃんがちょっとうろたえたのを見逃さなかった。

「そ、そうだね。大事に使えば、付喪神になるかもしれないね。それより、お隣さんからブドウをもらったから、みんなで食べようと思って持ってきたよ」

 その場は「わーい、ブドウだぁ」と、子供らしい反応をしておいた。

 宿題があると言って、応接間を早めに出ると、ママとおじいちゃんが話す声が聞こえてきた。

 ぼくは自分の部屋に行くフリをして、耳をそばだててその会話を聞いた。

「まあ、お父さんったら、そんなにいいものをくださったんですか?だって、万年筆って、いいものだとお高いんでしょ。百年ももつものなんて、何十万もするんじゃないですか」

「いやいや、あれはそんなに高くないよ。ゲームソフトと同じか、それより安いくらいさ。まあ、それでも長くは使えるけど、せいぜい20年ぐらいじゃないかな」

 なんだって?

 せいぜい20年しかもたないだって?

 ぼくはバタンッと応接間の扉を開けた。

「ショータ!宿題やるんじゃなかったの!?」

 ママがこっちを向いて叫んだ。

「おじいちゃん!あの万年筆、20年しか使えないの!?」

「ショータ!盗み聞きするなんて、人が悪いわよ!」

 ママは怒っていたけど、おじいちゃんは済まなさそうな顔をしていた。

「ごめんよ、ショータ。おじいちゃんが悪かったよ。一生使えるっていうのは、大袈裟だったね。万年筆は昔からそう言われてきたけど、実際に一生使うのは、高いものでも難しいかな。昔の人は細かいことはあんまり気にしなかったから、おじいちゃんも、ついうっかりしてしまったね。でも、おじいちゃんは、ショータには一生使うつもりで、大事にしてほしいと思って、あの万年筆をプレゼントしたんだよ」

 ぼくは騙されていたのだ。

 なんだかわからないけど、無性に腹が立った。

 大人って、ずるいなと思った。

「おじいちゃんの嘘つき!」

 と思わず言って、バタンッとドアを閉めてしまった。

「ショータ!」というママの怒鳴り声と、「もう、あの子ったら、本当に子供ですみません」と、謝る声が聞こえた。


 ドタドタとぼくは自分の部屋に駆け込んだ。

 グゴー、グゴーと、ぼくにしか聞こえない高いびきをかいて、付喪神は幸せそうに寝ていた。

 すーっと息を吸い込む。

「コラーッ!!!」

 と、思いっきり叫んだ。

「んんん。なんじゃ、もう夜か」

 ムニャムニャと、付喪神が起きてきた。

「なんじゃ、まだ夕方じゃないか。もうちょっと寝かせてくれんかの。おや、どうしたショータ。そんなに怖い顔して」

 夏の日の夕方だというのに、窓の外は暗かった。電気をつけなければ、はっきりと部屋の中が見えないくらいだった。

「ぼくを騙してたんだな、この嘘つき!」

 付喪神の表情は暗くて見えない。

「ぼくの万年筆の付喪神だなんて、嘘っぱちだったんだろう。百年も使えるだなんて。おじいちゃんも言ってたぞ。一生使えるなんてのは嘘なんだ。ぼくの万年筆は安物なんだ。せいぜい20年しか使えないんだ。付喪神になるわけないじゃないか!」

 暗い部屋の中で、付喪神は、やれやれ、という顔をしたように見えた。

 大粒の雨が落ちる音が、窓の外から聞こえてきた。

「何があったか知らんが、吾輩は一つも嘘はついておらんぞい。吾輩は確かにショータの万年筆の付喪神じゃよ。いつも夕食の献立を教えてやったじゃろうに」

「あんなの冷蔵庫の中身を見れば、誰だってわかるよ。ママはそんなにレパートリーが豊富じゃないんだ。ぼくのことなら何でも知っているとか言っていたくせに、ヨウタ君やユウヤ君のことは、あんまり知らなかったじゃないか。それに、なんだよ。シンヤと友達になるだなんて。ぼくがあんな奴と友達になるわけないじゃないか!」

「やれやれ。やっぱりショータはあわてんぼうじゃな。シンヤのことは、随分と楽しそうに日記に書いておったがの。ヨウタ君とユウヤ君のことは、ほとんど書かんかったくせして。どうして吾輩が夕食の献立ばかり詳しいのか、わかるかの?小学校四年生の頃のショータは、毎日つまらなさそうにしておったのじゃ。早く大人になりたい、早く大人になりたい、とばかり日記に書いて、他には何を食べたとか、そんなことしか書いておらんかった。それが五年生になって、シンヤと遊ぶようになって、毎日楽しそうにしておるのが伝わってきたぞよ。その頃から、ショータは活き活きしてきたようじゃった。中学生になって、外国の友達と文通するようになって、その手紙も、吾輩を使って書いてくれておった。じゃから吾輩は英語がペラペラなのじゃよ。そのかわり他の勉強はよくわからんわい。日記に算数の計算をしたり、今日は太陽が東から昇りました、なんてことを書く奴なんて、おらんからの。パイロットだって、世界中を飛び回るなんて言っても、本当に全ての国に行くわけではないじゃろう。ショータだって、行ったことのない国のことは、日記に書かんかった。吾輩は、ショータが吾輩を使って書いたことなら何でも知っておる。ただし、書いたことのないことは知らん。まあ、そうじゃから、ショータのことを全部知っておるなんてのは、大袈裟じゃったけど、なにぶん、吾輩は万年筆じゃからの。一生使える万年筆じゃて」

 付喪神の言うことは、理屈では正しそうだった。でも。

「それが嘘じゃないか!」

 とぼくは言ってしまった。

「嘘じゃない、嘘じゃない。これは嘘じゃない。大人の会話っていうやつじゃわい。ショータは子供じゃのう」

 子供だと言われて、ぼくの怒りは頂点に達した。

 みんなぼくのことを子供だなんて!

 あのシンヤだって、正直に白状したのに、本当のことを言わないほうが、よっぽど子供じゃないか!

「嘘つき!汚い大人になんか、なりたくないよ!ここから出て行け!!」

 ドンガラガッシャーーーーン!!!!!

 目の覚めるような、ものすごい音がして、一瞬辺りが昼間のように明るくなった。

 雷が落ちた。

 近くに落ちた。

 今の今までそこにいたはずの付喪神は、影も形もなくなっていた。

 外ではゴロゴロと鳴り続けていたけど、シーンと静まり返った暗い部屋で、ぼくは思った。

 ぼくは、やっぱりあわてんぼうだ。

 そして、付喪神はやっぱりうっかりものだった。

 あの、ペリカンみたいなくちばしをした、青いセーラー服を着た付喪神とは、それから会うことはなかった。

 雷が鳴るたび、いつも期待して空を見上げたけど、あんなに大きな雷は、二度と落ちてこなかった。


 僕は今25歳で、小学校の先生をしている。

 青い色のジャージを着て。

 子供たちに教えたいことは、今を一生懸命生きること。

 授業中は、いつも真剣に勉強する。休み時間には、子供たちと一緒に思いっきり遊ぶ。

 給食は、ガブガブ食べて、おかわりする。

 授業中に誰かがペン回しをしていたら、コラーッと、思いっきり怒る。いつも全力だ。

 そういうとき、僕はうっかりものの付喪神の話をする。

 子供たちは半信半疑だけど、興味を持って聞いてくれる。

 道具を大切にすることを伝えたいのだ。

 僕は結局、パイロットにはならなかった。

 もっと面白い仕事を見つけたんだ。

 五年生のときに友達になったシンヤとは、今でも親友だ。

 会えば、小学校時代の思い出が蘇ってきて、子供っぽいことをして遊んでしまう。

 去年、中学生のときから文通していた、アメリカの女の子と結婚したんだ。

 来年には、赤ちゃんが産まれる。

 もちろん日記は今でも書いている。

 キャップに傷が付いた、青い万年筆は、使うたびに僕の書き癖を覚えて、ますます使いやすくなっている。

 いつか産まれてくる子供にあげる日まで、大切に使おう。

 日記には、いつも食べたもののことを書いてしまう。

 最近では、朝はパンが多いかな。ふふ。奥さんの好み。

 僕のお腹は、まだ出ていない。


 ◯月◯日、今朝はバターロールにハムサラダを食べました。

 ベランダのトマトの花に、マルハナバチが止まっていました。

 ヒヨドリのさえずりが木の上から聞こえてきます。

 アメンボが、元気に小川の上を滑っていました。

 今日もいつもと同じような一日でした。

 いつもと同じように、ご飯が美味しかったです。

 いつもと同じように、子供たちは元気でした。

 いつもと同じように、太陽が東から昇りました。

 今日も平凡な、特別な日でした。

 いつもと同じ、特別な日でした。

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あわてんぼうのぼくとうっかりもののつくもがみ いもたると @warabizenzai

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