第四章 冬籠もりの間に 1

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 第十一個師団燭冽隊将軍クレイ・バーモントは緻密将軍の異名を持つ。戦いの仕方が実に正確であるからという意味から来るものだが、彼のそんな正確さはすべて士官学校時代に養われたものだといっていい。現在クレイは五十二歳だが、彼が入隊したのは前の皇帝の頃で、二十歳の頃だった。彼は帝国の出身だが、ずっと西のリューヴという大きな街の全寮制の士官学校に通っていた。

 今でも昨日の事のように思える……彼の青春時代はあの日にあった。

 十歳やそこらの少年少女が何百人もいっせいに入学する士官学校というものは、日常はそれこそ訓練ばかりだが、子供たちはそんな合間をぬってでもいたずらにはしる。若い新米の教官をからかったり、嫁き遅れの女教官をもてもての教官の名前で夜呼び出したり、かなり悪どいこともしたものだ。クレイもそんな彼らのなかにいた。特に彼と共にいる仲間たち十人ばかりの士官生は、教官たちの間でも悩みの種になるほどの悪童ぶりであった。 とにかくなんでもやる。夜中に警報を鳴らして寮内を叩き起こしたり、嫌味で誰からも嫌われている教官の食事にみみずを入れたり、また同じ教官の入浴中服をみんな盗んで代わりに女の服を置き、あがった教官がこれに気付いて、仕方なくそれを着てやむなく表へ出たところへ、女子士官生たちを通らせたりなど。

 また罰として夜中一度に何千人と集合できるグラウンドの掃除を言い付けられた時は、灯りだけを頼りにする振りをして、犬の首に灯りをくくりつけ、教官の部屋からは一見灯りを持って真面目に掃除しているように見せ掛け、実は自分の部屋ですやすやと眠っていたりしていたこともあった。

 やらないことはないくらいのいたずらをやっていたが、それだけが彼らの生活全般ではない。彼らは日々の厳しい士官学校生活のなかで楽しみだけを求めてそれらをやっていたのだ。だから教官たちに悪ガキ共と言われても実際彼らを本当に憎み嫌っているのはごくごく少数で、また仲間の士官生たちも、彼らのやることを毎回楽しみにして愉快な士官生生活を送っていたに違いないのだ。

 しかし一人だけ、どんないたずらにもひっかからない手強い教官がいた。

 アルフォンス・ティラン教官。現役の軍人時代には「鬼」とまで呼ばれた凄まじい経歴を持つ男で、授業は厳しく定期試験は正に地獄、現役を引退しても「鬼」ぶりは健在であった。実地訓練中三十キロの走り込みについていけずに罰を負わされた生徒は数えきれない。しかし彼らはティラン教官が嫌いではなかった。どこがどう好きというのではないが、ただ大嫌いな教官と違うのは、厳しいだけでなく嫌味ではない、ということくらいだろうか。いつも淡々としている。年齢はよくわからないが五十はいっているだろう。彼らの父親くらいなのでそのせいもあるのかもしれない。

 ある日少年時代のクレイはちょっとしたことが元で足を捻挫した。ほんの少し引きずる程度で自分では問題がないと思っていたし、それにその日、ティラン教官の実技授業があったので、まさか捻挫していますなどといって休むわけにもいかず、また当初の教官のイメージは、とにかく厳しいだけの人というものが強く、それを言い出すのが怖かったというのもあった。足を引きずりながらグラウンドを走っていれば嫌でも目立つ。クレイはすぐに呼び止められた。

「足をどうした」

「あ、はい、ちょっとひねりまして」

 彼はどきどきした。叱られると最初は思った。しかし教官はかがみこんで彼の足をちょっと触れると、立ち上がってこう言った。

「走らないほうがいい。授業はいいから衛生室に行きなさい」

「は? でも……」

「いいから行け」

 と、逆に叱られ、クレイは慌てて衛生室に行った。あとになってわかったことだが、あの時無理をしていたらとても軍人になどはなれなかったという。

 そんなティラン教官であったから、厳しいけれども話のわかる年上の兄のような感覚で、彼らは休暇によく教官と話をしたものだった。

 士官学校を無事に卒業後、しばらく会っていなかったが、ある休暇に---------この頃クレイは四十二歳、少佐にまで昇格---------彼はリューヴへ教官に会いにいった。というのも、実は士官学校は今年で閉鎖ということで、それをきっかけに会いにいったのだ。 雪がちらちらと降る寒い日のことだった。白い息を吐きながら、クレイは街の建物を懐かしそうに見上げた。

「この街も久しぶりだ」

 彼が再び歩きだそうとしたとき、腰のあたりになにかぶつかった。

「お」

 彼はなにかと思って下を見た。ぶつかったのはみすぼらしい格好をした乞食の少年だった。十二歳くらいだろうか、金の髪と青い瞳をしていたが、ひどく痩せて骨と皮ばかり、白いはずであろう肌も真っ黒で、目だけがぎょろりとしている。少年がこちらをじろりと見上げたのでクレイは少し慌てて、

「あ? えーと……何か食べるもの」

 とふところをまさぐった。うまい具合にここに来る途中教官への土産を買ったときおまけでもらった新製品とやらのパンがあったので、

「食べるかい」

 と差し出すと、ひったくるようにして少年は袋をかっさらい、そのまま字のごとく風のようにどこかへ行ってしまった。クレイはため息をついてしばらくその背中を見送り、やがてかつての自分の学び舎へと行った。

 ティラン教官は大分歳を重ねてはいたが厳しい眼光はそのままで、白いものが髪にまじってはいるが到って元気であった。彼が先程の少年の話をすると、珍しいことではないらしく、紅茶を淹れながら、

「ああ、最近はああいう子供が多い。ほら、アデンの街の流れ者でな」

「ああ……」

「気の毒に幼い少年ばかりだ。私も見かけたときはなにかあげることにしているが」

 座ると教官はクレイをまじまじと見た。

「随分と立派な軍人になったものだなクレイ一等官。お前が士官生だった頃はいたずらばっかりやって手に負えないものだったが」

「教官……その話はやめてくださいよ」

「ふっふっ、ゴラン教官はまだお前たちにひどい目にあったことを覚えていて未だ愚痴っておるぞ」

 クレイはなんとも恥ずかしくなって頭ををかいた。教官はコポコポと紅茶を淹れながら言う。

「まあそれも今年いっぱいだな。士官学校も閉鎖だ」

「ではやはり噂は……」

「うむ。まあやっと楽になれる。ところで一等官……いや、今は少佐殿だな。来年結婚するそうではないか」

「はい。今日はそのご報告も含めてぜひ教官殿に来ていただきたいと思いまして」

 照れながらクレイは言った。

 懐かしい教官の目を細める笑い方、冷たい空気の流れる宿舎の廊下、自分たちの書いた落書きがまだ残っている壁、なにもかもが懐かしい。

 彼はここで育った。ここが彼の青春のすべてだった。勉強も恋も遊びもいたずらもみんなこのちょっと灰色の白い壁があったからこそできたようなものだった。

「帝国の軍人というのは楽しいか」

 教官は尋ねる。

「はい。やりがいがあります」

「皇太子殿下に一度だけお会いしたことがあるが、立派なものだった」

「はい。凄まじい方です。あの方が皇帝になられることを想像すると、---------いい意味でですが---------ぞっとします。なにかやってくれそうな」

「はっはっはっ。そうか。うん、確かにあの方は凄い。十三歳と聞いたがあれはもう一人の男だな。精神はもっと大人だ。あれはいい器だ。うん」

 別れしな教官は言った。

「クレイ一等官。お前は将来きっと大きな男になる。身長の話ではないぞ。少佐くらいではとどまらない、もっと大きな階級までのぼりつめるだろう。そしてその時お前が仕えるのはまぎれもなくあの皇太子殿下だろう」

「教官……」

 白い息を吐きながらクレイは呟く。

「結婚式には行かせてもらおう。せいぜいお前のいたずら小僧ぶりを嫁ごにばらしてやるとするか」

 クレイは苦笑いした。

 ---------そして今、彼は教官の言葉どおり、将軍という立場にいる。結局ティラン教官の鋭い眼光は彼の未来まで見通してしまったということだ。

 あのあとすぐ、リューヴの街はアデン党に襲撃された。クレイが訪問した一週間後だったが、その頃ティラン教官はもう故郷のリダへ行ってしまったあとだったのでなんの被害に遭うことはなかった。

 またリューヴは帝国の領地でもあるので、クレイもアデン党の討伐に赴いた。アデン党というのは、彼ら盗賊の一味がアデン街にら巣食って活動していることからついた名だ。 アデン党の討伐は見事成功したが、市民の被害も多く、流れてきた少年たちの多くは殺されていた。また逃げた者たちも多くいるという。クレイはあの少年のことが気になって探してみたが、死体のなかにも生存者のなかにも彼はいなかった。

 恐らくまたいずこかへ放浪したのであろう。もう今から六年も前のことだ。

 ティラン教官はまだ元気でやっている。髪も真っ白になっていい老人だが、相変わらずだ。そしてクレイが将軍昇格の報告に訪れた時も、笑って、

「ほら見ろ。案外当たるもんだろが」

 と言ったものだった。今も年に一度、妻と一緒に訪問してはかつてのあの日にクレイは還るのだ。

 そう、冬になれば思い出す、あの楽しかった青春の日々。


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