第29話 戦いの果てに


 ジュビア王国へ逃げ戻るなら北を目指すはずなのに、赤い飛竜はひたすら西へ向かって飛んでいる。

 このまま西へゆけば、ラシュリの故郷であるイリス王国の領内に入ってしまう。


(一体どこへ?)


 後を追って飛ぶラシュリの耳元で、風がびゅうびゅう唸っている。

 北国の風は氷の刃のように鋭く、耳がジンジンと痛んで千切れそうだ。

 赤い飛竜が共鳴の光を発してから、ラシュリは寒さを感じないほどの恐慌状態パニックに陥っていたが、今は少しずつ正常な感覚が戻ってきている。彼女は防寒マントのフードで口元を覆いながら白竜の首をたたいた。


「カァル! 赤い飛竜に呼びかけられるか?」

「クルルルルル」


 カァルは初め、自信無さげな返事をして来たが、しばらくすると驚くべき言葉をラシュリに伝えてきた。


 ――――炎竜、苦しんでる。魔導師に呪いをかけられたって。


「何だって? まさかイェグレムが……」


 ――――炎竜に乗ってる人間の中には魔導師が二人いて、争ってるって。炎竜は耐えてるけど、このままじゃいつか爆発してしまうって、悲鳴を上げてるよ!


「イェグレムの中に、魔導師が二人?」


 ラシュリの脳裏にはイェグレムの師だという魔導師が浮かんだが、彼女はその考えを振り払うように頭を振った。

 カァルの言葉が確かなら、事態は思ったよりも切迫している。ただ、赤い飛竜と交信できたことは不幸中の幸いだった。


「私たちは赤い飛竜――いや、炎竜を倒すのではなく、救わねばならないらしい。カァル、急いでくれるか?」

「ケェー!」


 声を上げながら、カァルはぐんと速度を上げた。



 ○○



「ええいっ、邪魔をするでない!」

「これは俺の体だ! 俺の中から出て行ってくれ!」


 イェグレムの体の中では、老魔導師とイェグレムの戦いが続いていた。

 両者の力は拮抗していてなかなか決着がつきそうにない。ただ、どちらもイェグレムの体の支配権争いに夢中になるあまり、炎竜との交信まで手が回らなくなっていた。


 グルルルルル、と炎竜が吠えた。

 苦しげに咆哮しながら、魔道によってねじ曲げられた契約の楔から逃れようとする。

 老魔導師は、イェグレムが炎竜に気を取られたその瞬間を見逃さなかった。


「炎竜よ! あの女を白い飛竜ごと焼き尽くせ!」


 イェグレムの体の支配権を取り戻すなり、老魔導師は炎竜にも支配の手を伸ばした。


 ガァァァァァ!


 必死にこらえていた炎竜だったが、老魔導師の力に抗えず、振り向きざまにその口から炎を吐いた。


 それは、ほんの一瞬の出来事だった。

 白い飛竜の翼が炎に包まれ、きりきり舞いしながら落ちてゆく。


(ラシュリっ!)


 老魔導師から視力を取り戻したイェグレムは怒りに我を忘れ、闇雲に攻撃すると、老魔導師と炎竜の間にある繋がりを断ち切った。


 燃える白竜の背からラシュリが投げ出された。すぐさま助けに向かおうとした時、薄緑色の飛竜がスッと視界に現れた。

 低く飛んでいたその飛竜が、落下したラシュリを受け止める。

 その飛竜に乗った男。金髪の青年には見覚えがあった。


(あの小僧か……)


 大切な何かを横取りされたような、複雑な感情がイェグレムの心を突き抜けていった。

 ただ、それは、とっくの昔に捨てた感情でもあった。


(ラシュリを、頼む)


 胸にわいた感情を振り払い、イェグレムは目の前のことに集中した。

 意識を逸らせる訳にはゆかない。まだ老魔導師の魂は彼の体の中にいて、虎視眈々と交代する好機を狙っている。

 自分に支配力があるうちに、イェグレムは炎竜に命じた。


「西へ飛べ!」



 ○○



「白い飛竜がやられたぞ!」


 国境の砦は騒然となった。

 突如現れた赤い飛竜。それを止めるべく飛び立った巫戦士の白い飛竜が、炎を上げながら墜落してゆく。


 黒竜と討伐隊の戦いを固唾をのんで見守っていた砦の兵士たちは、誰もが顔色を失っていた。それは黒竜討伐隊副長のロッカも同じだった。


「大丈夫です、ラシュリさんは生きてます。ソーが助けました!」


 遠眼鏡をつけて最後まで外を見ていたシシルが、皆に向き直り、にっこりと笑った。



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