第33話 この街の、世界の常識

 結果として、俺の心配は杞憂だった。


「ふっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっかぁぁぁぁつ‼」


【バハム・スライバーン レベル:81 状態:健康———】


 【魔眼】で彼女のステータスを確認する。

 マンドラゴラの葉っぱを煎じた薬を傷に塗っただけで、バハムの体力はみるみる回復して、直ぐに立ち上がれるまでに至った。


「い、いや本当に良かったには良かったんだが……大丈夫なのか? その傷口に雑菌とか入って痛むとか……」

「イルロンド様が何を言っているのかわかりませんが、ここは随分と魔力が満ちております! 非常に魔族にとってはいい環境! う~ん、血の滴るいい匂い!」


 恍惚に顔を輝かせるバハム。


「魔族と人間は違う。人間にとって瘴気と言われている穢れた魔力は魔族にとっては栄養になる」


 俺の疑問を察したようにイリアが答えてくれる。


「だから沼とか下水とか墓地とか、そういった汚い場所を魔族は好む」

「……おい聖女よ。その言い方はとげがあるぞ?」

「事実を言ったまで」


 元気になったら元気になったで、バハムはイリアに向かって「この不愛想ブスが!」と言って殴りかかり、イリアもそれを巴投げで迎撃する。


「お、おい‼ いきなり殴り合いのけんかをするんじゃない! 俺達仲間になったって言っただろ!」


「「だってこいつが‼」」


 どったんばったん大騒ぎの後は互いに指をさし合い、悪いのはコイツだと罵り合う。


「この聖女が余を馬鹿にするから!」

「事実を言ったまでよ! 魔族は瘴気をもたらす汚らわしい存在だって!」

「あ~もう、手を先に出したのはバハムだけど今回はイリアが結構悪いぞ? その言い方だと魔族だったら誰だって傷つく。明らかにお前魔族のことを見下しているんじゃないのか?」

「それは……」


 イリアが口ごもる。


「ダメだぞ、そういった差別意識は……俺達の、帝国の力を借りて神を倒して人々に対して平和な世界を築いていくんだろ?」

「………ごめんなさい」


 わかってくれたようで、イリアはシュンとなって頭を下げる。


「さぁ‼ ではこれから早速教会に殴りこんで神を抹殺、」

「ま、魔族……⁉」


 カランカラン。

 床に落ちるトレイの音。

 そして、ギネビアさんがバハムを見て息を飲んでいた。


 ———しまった。バハムが復活してくれたことが嬉しくて気を抜き過ぎていた。


 サルガッソの住人にバハムの姿を見られるのは非常にまずい……!


「びっくりしたぁ……イリアちゃんたちは竜族の奴隷・・を連れていたんだねぇ……」

「……へ?」


 ギネビアは先ほど落としてしまったトレイと濡れた木のコップを拾い上げると、濡れたで床を拭き始めた。

 何だか、驚き方が最小限だ。


「…………」


 バハムに視線を送ると彼女は残念そうに瞳を伏せている。

 ギネビアは「あ~驚いた、驚いた」と言いながらコップに入っていた飲み水を床からふき取ると、


「でも流石は聖女様だね。竜族の奴隷・・だなんて高かっただろう?」

「え……あの、その……」

「ギネビアさん、ちょっといいですか?」

「何だい? イルーゾォさん」

「奴隷ってどういうことですか? あの……こちらから言うのもなんですが、魔族を見て驚かないんですか?」

「別に。このサルガッソでは労働は全部奴隷である魔族にやらせてるからね」

「やらせてる⁉ 全部ですか?」

「ウチみたいな技術が必要な職人や、ウチみたいなお金がない家以外はね。ウチはその両方を満たしてるんだけどアッハッハ!」


 まるで、笑い話のようにギネビアは語った。


「だから全部じゃないよ。だけど運搬や掃除はほとんど魔族がやってるね。それも獣の耳と尻尾が付いた獣族ばかりだよ。竜族の奴隷は流石に珍しいさ」

「…………」


 話をするにつれて、どんどんバハムは暗い表情で顔が下がっていく。


「あの……でも街では魔族を全く見かけなかったんですが……」

「当り前さね。魔族が外に出てるってことはサボっているってことだろ? 昼間の時間は家の中で掃除をさせておくのが奴隷の決まりさ。だから魔族は家の中にいる。もうそろそろ日が沈むから、外に出始めてゴミとか糞尿とかを城壁の外にまきに出る時間なんじゃないかい?」


 ギネビアは全く悪びれている様子がない。

 そんな言い方はないだろう———と正直食って掛かりたかったがこれがギネビアにとって、この街にとって、この世界の人間にとって常識なのだ。

 だから、イリアもバハムも仕方がないといった表情で俯いて、ギネビアの言葉に口を挟もうとしない。


「うらやましいねぇ、聖女にもなると竜族の奴隷がもらえるほど生活が豊かで。ウチは教会にとって大切な仕事をしているっていうのに、ちょっとの〝特権〟も認めてもらえない」

「特権? 特権ってなんで、」


 俺がギネビアに尋ねようとした時だった。


「おもてなしの準備が———できましたよ」


 隣の部屋からダンが顔を出す。

 初めて会った時のような、血まみれのエプロンを彼ははずして、皮で出来ている茶色のジャケットとズボンを身にまとっていた。


「お食事にしましょう」

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