かたちあるもの
oira
かたちなるもの
俺はただの散歩であっても、のんびりできない。
こうして歩いているだけでも、依頼は山のようにやってくる。
楓さんからは、正規のルートを通してないものはすべて拒否するように言われているが、昔からの癖で無視し切れないこともある。
今も、目の前に空っぽとなって捨てられたのであろう透明な、おそらく香水の入っていた小瓶を前にして、足が止まっている。
シクシク シクシク
かがんでそっと手を触れると、泣いているような様子がうかがえる。
俺はそっと両手を添える。
すると、小瓶の記憶が俺の脳裏に映し出される。
「そうだったのか。悲しいよな。」
この小瓶は、役割を果たせないまま捨てられてしまったらしい。
この小瓶、あるいは香水を買った女性の買い主は、一度も香水を使用しないまま、付き合っていた彼氏さんと喧嘩になり、買ったその日のうちに彼氏がこの小瓶を窓から捨ててしまったようだ。
喧嘩の原因や会話の中身、あるいは持ち主の顔などは全く分からないが、
小瓶が悲しい想いをしていることに変わりはない。
俺は、小瓶を道路の端に寄せ、
いつも持ち歩いている砂糖を一つまみ小瓶に振りかけ、「ありがとうな。」と心の中で声を掛ける。
小瓶を後にして、一歩歩み始める。
すると、
シクシク シクシク
また何か聞こえる。
俺は、右側に視線を移す。
どうやら排水溝の方から聞こえるようだ。
コエのする方に足を運ぶと、
排水溝の奥に何か落ちているようだ。
幸い簡単に取り外せそうなタイプの蓋であったので、きょろきょろと一旦周りに誰もいないことを確認し、蓋を取る。
蓋の下には、可愛かったであろう、親指サイズのぬいぐるみのキーホルダーが全身黒まみれになって浮かんでいる。
俺は、それを右手で拾い上げ、排水溝の蓋をさっと戻す。
そして、両手を添えて、コエを聞く。
「、、、そうか。悲しかったね。」
このキーホルダーは、意外にも最近持ち主の元から離れた様子だ。
キーホルダーの傍にいるのは、小さなランドセルを背負った女の子。
キーホルダーは、ランドセルにぶら下がっているようだ。
気付いたら、この場所にいたようだ。
排水溝の蓋を戻し、
ぬいぐるみを片手に軽く汚れを拭き、
俺はいつも通りに砂糖を振りかける。
一息ついたところで、腰をあげようとしたところ、
「あっ!」
後ろで声がした。
俺はゆっくりと後ろを振り返ると、少女がこちらを見て立っている。
「それ、、、」
少女の視線は俺の手に向いているようだ。
「ん?もしかして、君の?」
「そう!ななのキロちゃん!」
そういうと、少女は駆け寄り「お兄さんが見つけてくれたの?」と。
「良かった。ちょっと汚れちゃってるけど、大丈夫かな?」と、
俺は少女の方にキーホルダーを差し出す。
少女は満面の笑みで、
「平気!ありがと!ななじゃ見付けられなかったから。」と両手で大事そうに受け取り、
ありがと、じゃあねと言い、手を振りながら去っていった。
「あ、事故多いみたいだから気を付けなよ」と、
電信柱に添えられた花束を横目に、俺もこの場所を立ち去ろうとしたところ、
「くおぉらぁ」
と怒気のこもった声に、我に返り、
後ろを振り返ると、目の前に真っ赤なハイヒールが見える。
「あっ、やべ。」
「創ぃー。お前はまたそうやって!」
― ゴチンっ ―
「いててて。」
楓さんのげんこつは本当に痛い。
げんこつ選手権があれば、間違いなく日本一になるだろう。
「また首突っ込んでただろ?ん?」
「いや、まあ。これは、ちょっと。」俺は口ごもりながら言い訳を考える。
「全く。お前のせいで、こっちは商売あがったりだよ。このスパイめ。」
― スパイって、なんだよ。。。 ―
「それよりもお前、わかちゃんのとこに行かなくて良いのか?」
「あっ、そうでした!」俺は慌てて立ち上がる。
「面会時間すぐ終わっちゃうぞ。今日は事務所来なくて良いから、ゆっくり話して来な。それと、これでその汚い腕を拭いてから行け。」
楓は真っ白なフェイスタオルを、俺に投げつけるかのように渡してきた。
「あっ、、、ありがとうございます。じゃあ、失礼します!」
俺が一礼をして顔を上げると、片手を上げて手を横に振りながら、蟹股で歩く楓の後ろ姿が見えた。
俺は振り向いて、楓と進む反対の道を駆け足で進む。
鞄を左手に、楓のフェイスタオルを右手に持って。
走り続けて面会時間終了まで30分ほどの所で、何とか辿り着いた。
ここは、都内の大学病院である。
「あ、お兄ちゃん。」
「和佳。」
「今日はちょっと遅かったね!それに何だか汗だく!」
和佳は、クスッとほほ笑む。
「そうなんだよ。何か走りたい気分になってさ。陸上部のやつらと一緒に外周してきたんだよ。あ、先生には内緒でな。」
「えー。お兄ちゃんダメじゃん。部活のみんなの邪魔しちゃ。」
「あー、そうだな。和佳の言う通りだな。」
「そうだよー。みんな大会とか何かを目指して頑張ってるんだからー。それともお兄ちゃんが陸上部に入るつもりなら大丈夫かもしれないけどね?」
和佳は、まっすぐに俺の目を見つめている。
「あ、いや、、、。明日ちゃんと、謝っとく。」
「んー。お兄ちゃんごめんね。」
「ん?なんで和佳が?」
「私がこんなんだから、お兄ちゃんも部活入れないよね。。。それなのにこんな偉そうなこと。」
さっきまでの笑顔が嘘のように消えている。
顔のすべての凹凸が薄れてしまっているような、そんな消え入りそうな弱さを感じる。
「いや、そんなことないぞ。お兄ちゃんは何にも取り柄が無いしさ。さっきの外周も結局みんなに置いて行かれたし。あと、自由人だから、どこかに所属するとか好きじゃないんだよ。逆に、部活の熱い話とかできなくてごめんだよ。」
「そっか。」
和佳は、小さな声で「ありがと」と呟いた後、
「あ!そういう割に、もう1年くらい楓さんのところで頑張ってるじゃん!」と、俺に笑顔を見せる。
「そうだなー。もう1年くらい経つのかー。あっという間だな。」
「ねー、ねー。またお話聞かせてよ。」
「そうだなー。じゃあ、この前あった依頼の話をしようかな。」
「うんうん!」
「あっ、でも、プライバシーというのがあるから、詳細は教えられないからな?」
俺は、目の前に右手を出し、人差し指をピンと伸ばして、『内緒』のポーズをする。
楓からもらったタオルの存在を忘れていたことに、この時に気付く。
「はいはい。『お仕事』だもんねっ。」
「そう!仕事をするって大変なんだぞっ。」
と偉そうに語りながら、以前あった依頼を簡単に、和佳に話する。
そうこうしているうちに、面会終了の時間がきてしまった。
「それじゃあな、和佳。」
「うん、お兄ちゃん。またね!今日もありがとう。」
俺は手を振りながら、ゆっくりと扉を閉めて、部屋を後にする。
和佳は、身体が生まれつき弱く、一か月通して、通学できたことが一度もない。
まだまだ14歳。
元気に毎日登校して、
友達とたくさん遊んで、
些細なことで笑って泣いて、
色んな経験をして成長して。
俺とも口喧嘩したりして。
やりたいこともたくさんあったんだろうな。
それが現実は、
1年の365日のうち、350日ほどの入院生活のため、
あんなに色白で、あんなに細い腕。
そして、あんなに純粋でやさしい笑顔。
ずっと守っていきたい。
そのためには、俺にできることならなんでもする。
不要だと思っていた、
大嫌いだったこのチカラもいくらでも使ってやる。
コエをかたちにしていく。
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