走馬灯リテイク
国仲
走馬灯リテイク
「――カット! 撮り直しだ!」
折りたたみ椅子に足組みして座る
カメラの前に立つ主演の青年と数名の脇役が同時にため息を吐く。出番に備えているキャストやスタッフたちも肩を落とした。どこからか「またか」という
痺れを切らした主演の青年が、全員の気持ちを代弁した。
「瓜田監督、いい加減にしてくれませんか?」
「いい加減?」
睨みつける青年に、瓜田はいたって落ち着いた声色で聞き返す。丸めた台本で自身の膝を規則的に叩く姿から、悪びれる様子は一切見られない。
「このシーンを撮り始めてもう四時間半になります。僕たちの演技は問題ないはずです。こんなの、
青年の握り締めた両拳から怒りが
「『問題ない』? その程度の演技で良いと思っているお前みたいな俳優がいるから、演出に頼った幼稚な大衆受け作品ばかりが量産されるんだ。審美眼のない無能は黙って俺に従っていればいい」
あまりに
瓜田は
数日が経った。いくつかのシーンを何とか撮り終えたものの、予定は大幅に押している。そんな状況だった。
「一カメ! このシーンは肩ナメだろうが! 崖側に回り込め!」
今日も瓜田の怒鳴り声が響いている。
指示を出された若いカメラマンは、崖際に立つ役者の足元を確認し、引きつった笑みを浮かべた。
「回り込めって瓜田監督……それじゃ僕が崖から落ちちゃいますよ。この崖、波が激しいから
「じゃあ、俺が撮る」
瓜田は
十数メートル下では猛々しい波が何度も岩肌に激突し、
「始めろ」
足腰はぐらぐらと揺れているのに、カメラだけは上から吊られたように微動だにしない。
現場は騒然としたが、止める者は一人もいなかった。瓜田が意見を曲げないのは今日までの撮影で嫌というほど知っていたからだ。
異様な緊張感の中、まもなくそのシーンが終わるというところで、不運にも突風が吹いた。
瓜田と地面を繋ぎ止めていたスニーカーのつま先が宙に浮いた。彼が覗くファインダーには、役者の肩越しの景色ではなく
瓜田の体が海面に叩きつけられる。深く沈む間もなく全身を激流に揉まれる。海水が肺を満たしていく
気がつくと、瓜田は誰もいない映画館に座っていた。
席は中段中列。スクリーンの端から端までがちょうど視界に収まる、最も好きな座席位置だ。
状況を把握できずにいると、オレンジ色の照明が落ち、ブザーが鳴った。スクリーンに瓜田が映し出される。数年前、映画コンクールで受賞した彼がタキシード姿でトロフィーを掲げている。
「なるほど、俺は死ぬのか。上映会形式の走馬灯とは気がきいている」
瓜田がポツリと呟いた。直前の出来事と今の非現実な光景を繋ぎ合わせた結果、そう思い至った。
細かい疑問はいくつもあるが、それら全てを頭の隅に押し込む。映画鑑賞に雑念は厳禁だ。頭を空っぽにして作品に集中するのが制作者への礼儀であり、映画そのものに対する当たり前の敬意。鑑賞後、絶賛するにしろ口汚く
走馬灯のシーンが切り替わる。スクリーンの中の瓜田は小学生だ。父に連れられて初めて来た映画館で食い入るように鑑賞している。
この日、瓜田の人生が決まった。映画とはかくも雄弁に人間を語ってしまうのかと、脳天を雷に撃ち抜かれたような衝撃を受けた。エンドロールが終わってもしばらく立ち上がれなかった。
瞳に炎が灯った幼い少年の表情がスローモーションで流れていく。後日、批評家たちがその作品をこぞって罵倒した。それも瓜田の情熱を駆り立てる燃料となった。
客席に座る大人の瓜田は、肘置きの上で拳を握りしめる。自身の喉が鳴る音が聞こえた。
続けて、初めて映画制作に挑戦した中学時代のシーンに移る。夕陽に向かって疾走する同級生にデジタルカメラを向けながら並走している。こうして見返すとひどく
しかし、全身汗まみれで頬を紅潮させる瓜田少年の顔を見れば、拙さなど
撮り終えて、主演と息を荒らげながらデジタルカメラを覗き込み、データを確認する。顔を見合わせ、クランクアップと叫んだ瞬間、当時流行っていたポップミュージックがカットインした。
瓜田は無意識に立ち上がっていた。ピンボケしていた古い記憶が、きめ細やかな解像度をもって脳裏に
再度、作中の時間が飛んだ。冒頭の受賞式に戻る。大人になった瓜田が真紅のカーペットを踏み、無数のフラッシュに応えている。
一人の老人が瓜田の背中にやさしく触れた。
瓜田は限界だった。
震えながらスクリーンを見つめ、必死に耐えたが我慢できなかった。
衝動が、決壊したダムのごとく激流となって溢れ出た。
「――ふざけるな!!」
そう叫んで、座っていた座席を両手で掴む。鉄筋コンクリートで溶接された椅子を常識はずれの腕力で引き抜き、頭上まで持ち上げた。
生身の人間にはとうてい不可能な
「山場のスローモーション! 流行りのサントラ! クライマックスに敵役の涙! 何から何まで売れ線の演出だ! 俺の人生で大衆受けを狙うな!! 撮り直しだあああああっ!!!!」
瓜田はスクリーンに向かって椅子を放り投げた。けたたましい轟音と共に、目の前の空間に
撮影現場は
現場保存ということで関係者はこの場から離れることを禁じられた。通夜を前倒ししたかのような重苦しい雰囲気だ。殺到するであろう取材や撮りかけの映画の
救急車が待機し、十人以上の救助隊が捜索に当たるも発見は絶望的――というのが専門家の見立てだった。
――そんな
女優が尻もちをつき、震えながら崖を指差している。全員の視線がその先に集中した。
雲ひとつない青空を背景に、
次の瞬間、崖下から黒髪と海藻が溶け合った不気味な
「カメラの中身を確認する! タオルとドライヤーを用意しろ!」
崖をよじ登り、瓜田が叫んだ。身震いして全身から
「何をしている、ボケっとするな! それと部外者はとっとと下がれ! 撮影の邪魔だろうが!!」
その場にいた者の反応は二つ。
瓜田の映画に対する底知れない執念に
陽射しが心地よい
『生涯多くの名作を世に残した日本が誇る映画界の巨匠、瓜田監督が、今朝お亡くなりになりました。享年九十歳。大往生でした。ご冥福をお祈り致しま……』
アナウンサーの流暢な朗読が止まった。スタジオの慌ただしい空気が画面越しに漂ってくる。
『……そ、速報、速報です! 瓜田監督がたった今息を吹き返しました! 病室にいたご家族によると、「シーン数が多すぎて引き算が意識できていない。撮り直しだ」と叫びながら目を覚ましたそうです!』
瓜田の幕は、まだまだ下りそうにない。
走馬灯リテイク 国仲 @shinkq7
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