第35話 《炎竜》
深夜。
ほとんど全ての建物の明かりが消えてこの世界の東京が静かになる時間。
あるいは、よくない輩がちらほらと徘徊しているような時間。
そんな時間であるからこそ裏社会で生きている人間たちも行動がしやすい、というものだった。
「さて、準備は整った。ここに火の海をつくろうじゃないか」
密かに、《ハンター》の一員は笑った。
まるで、これから起こることを全て知っているかのように、知った上で楽しんでいるかのように。
幹部から頼まれた重要な仕事はもう終わらせていた。
あとは、その仕事の成果がどれくらいになるのかその目で確かめるだけであった。
《行間》
時は、ほんのちょっとだけ遡り進が図書館で呑気にあくびをしていたころ。
不意に、みことから電話がかかってきた。
進は目をこすりながらゆったりとスマホの入ったポケットに手を伸ばした。
いったい、こんな真夜中になんのようなのだろうか、という微かな疑問を含めながら。
「もしもし。進だけどどうした? こんな真夜中に」
『もしもし、みことだ。どうしたって……お前、今どこに?』
少し、みことの息が上がっていたので進は不思議に思いながら問い返す。
「図書館だけど……。お前のほうこそマジでどうした? 何か急いでるのか?」
ザザッと電話の向こうから急停止するような音が聞こえた。
『お前、マジで知らないのか? 速報とか避難警報出てただろ』
そう言われて、進はスマホの通知画面を引っ張り出してきた。
そしてそこにある文字を見て声を漏らす。
「あ、本当だ。いつの間にかこんなの届いてたけど……。これ何?」
『知らないのかよ。そのまんま警報だよ、警報。自然災害とかが起きた時にでるあれだよ』
そう言われて、進は理解した。
緊急地震速報的なアレらしい。
「で、どうしてそれが出てるんだ? どっかでなんか起こったのか?」
進が電話越しの落ち着かない声に冷静に質問を問いかけると、すぐに返事は返ってきた。
それは、進にとっては意外な答えであった。
『火事だよ』
「は?」
火事くらいで、そこまで騒ぐことがあるだろうかと進は思った。
確かに、大規模な火事ならそういう措置が取られるとは思うが、それにしても、
「この区域全体に避難させる命令を出すって……やりすぎじゃね?」
火災の発生場所も詳細に書かれていたので進はそれを見てみことにいう。
確かに、進からすればこれはやり過ぎだと思っても仕方はなかった。
『火災の発生源から五キロ以内に住んでいる住民は完全避難』。
警戒体制が五段階で分けられているのだが、その四に割り振られていた。
みことから答えが返ってくる。
『やりすぎ……、か。それがそうでもなくてな』
「?」
電話の向こうの声がしばし逡巡したように思われたが、すぐに言葉はつながった。
『進は、《ファイヤー・ドレイグ》って知ってるか?』
進はそう言われて、考えるような素振りを見せたが、すぐに首を振って言った。
「ファイヤーってついてるあたり、何か炎関係なんだろうけど。ドレイグってなんだ? みことの《再現》できる《災害》の一種か?」
返ってきた答えは否であった。
そもそも、そんなことだったらみことがわざわざ進に話を振るはずがなかったが。
『まぁ、自然現象の一つって言う枠に入れるならあながち間違っちゃいないのかもしれないけど……。イギリス諸島の湿地や沼地、あるいは北ヨーロッパの山の洞窟の中に住んでいて財宝を狙うものには容赦がないと言われる、《炎の竜》だよ』
進は密かに息を呑んだ。
それは実在する生物ではない、存在してはいけない生物なのだと本能が体に訴えていた。
吐き出す息が少しだけ震えているのは気のせいではないだろう。
進の体が少し震えているのは気のせいではないだろう。
戦慄じゃない。
恐怖ともまた違う。
では一転して歓喜か。
そんなわけあるわけがない。
感じたのは、拒否感だった。
その事実をただ、否定したいと思うだけの。
進はその場で、歯を食いしばって頭をガジガジと掻きむしった。
それから、自分の太ももを叩いて気持ちを沈める。
「……《神話降ろし》、か」
ぽつり、とそうつぶやいた。
『進、お前その言葉をどこで……』
進は、みことの声が上擦ったのを聞いて何かまずいことを言ったのだろうかと考えて、一応事実とは異なるが言い訳を言っておく。
「いや、この前《ハンター》にさらわれた時にちょっとな」
『あ、いやすまん。そうなのか……』
みことには申し訳ないが、メモリーのことを説明するのは面倒くさいのでそう言うことにしてもらおう、と進は決めた。
彼はそのまま窓の方によってみる。
舞い上がっている炎が見えないか確認する意味も込めて。
「あれ、か。というか、肉眼で見えるくらいにはその竜でかくないか?」
異常であった。
進が見ているのは崩れ落ちる建物のによじ登るようにして炎を上げているそれであった。
『そう、だな。十メートルくらいはあるんだよ』
「で、みことはそれを聞いてどうするつもりなんだ?」
進は、視界を窓の外から手元の時計にずらしながらみことに聞いた。
『どうにかしよう、って思ってるんだけどな。どうしてもまだ俺を導入する許可が降りていなくて、さっきから近場で待機中だ』
「っ、導入する許可とかそう言うこと言ってる場合じゃないだろ?!」
『そうだとしても、全ての人間の避難が終わっている以上俺が無断で動くとな……』
進は、クソッと吐き捨てた。
(行動の主導権を握ってやがる大人は、毎回判断にのちのことを考え過ぎなんだよ)
そうして、あれをやれこれをやれ、これまで待て、と自己中心的に周りを指示し終わったらあとは全て別の人間に任せる。
自分は決して損しないように、自分以外のことを後回しにして考えている。
(だからと言って、俺たち子供が勝手に動けばいいって話でもないんだけどな)
とりあえず、と電話に向かって声を発する。
『ん?』
「俺もそっちに向かうから、そっちで落ち合おう」
『っ、了解。場所はわかっていると思うけど……』
「大丈夫だ。光たちの寮の場所なら流石に知っている」
燃え盛り、崩れ落ちたのは我らが《風神》含め、多くの人間が住んでいる《流星学園附属第二十八女子寮》であった。
進は読んでいた本と、寮から持ってきていたテキストをパタンと閉じると慌ただしく、図書館を出て行った。
そして、暗闇の中をよく見えないまま、走る、走る。
息がきれてもそれでも走る。
「クッソ。自転車でも作っておけばよかった」
最近、錬金術師らしいことを何にもやっていない自分に毒突きを入れておいた。
そもそも、《錬金術》という《ウエポン》を授かっておきながらうまく活用できていない感じは前々から持っていたのだ。
「クッソ」
進は、どうしてと吐き捨てる。
どうして、メモリーにしろ今回にしろ自分の前で問題ばかり起きるのだ、と。
暗黒に包まれたその空間に虚しくその声が響いた。
そうやって、目の前に周りと違い一際目立つような烈火を目にした進は目を見開いた。
(焦げ臭い、感じがしない?)
それどころか、近づいて行っても火災特有の酸素不足を感じない?
ギロリと、崩れ落ちつつある女子寮を囲んだ炎の竜が、双眸をこちらに向けた気がした。
よくよく見てれば、その竜は体が炎で囲まれている、などとそういうことではなかった。
そもそも論、体の全てが炎で構成されていた。
(どうやって実態を保っている?)
進は、呆気に取られたままだったがなんとか考えられるだけの脳を残しておけた。
結論から言えば、科学的には絶対にあり得ることのない燃え方だった。
何もない場所で、空気だけが一定の形を保って燃えているなんて。
それこそ、進が少し前に使った《水素爆発》を持続的に行っているかのように。
《ウエポン》ならばそのような再現はもしかしたら可能なのかもしれないが。
(いや、あれだけ精密な形と大きさを保たせるのは至難の業だな)
あの、S級の面々ですら能力の解放は持続的に行うと疲れる、あるいは頭痛がするというのに。
それの、例外に当たるとすればそんなことをできる人間たちを進はたった一つしか知らなかった。
「《ハンター》」
「だろうな」
目の前の炎に圧倒された進の後ろから声がかかってきて、後ろを振り返った。
そこにいたのは、竜を睨みるけるみことであった。
「《神話降ろし》について、お前はどこまで知ってる?」
進は、みことに聞かれた内容にあんまり、と返した。
それに対して返ってきた、そうだろうなという言葉に進は疑問を返した。
「そんなに誰もそれについて知らないのか?」
素朴な疑問だった。
みことという一個人が持っているような情報ならば他の人間たちも知っていると思うのは当たり前だろう。
しかし、それでもみことは首を横に振ったのだ。
「俺が知っているのは、俺自身が《ハンター》と一番関わりの深いS級だからだよ。他の一般市民に俺は情報を開示しようとは思わないし、これからもしようとは思わないからほとんどの人間はそれを知ることはないさ」
S級だから。
みことがそれを自慢げよいうよりか、権力として言ったのは初めてだったのではないだろうか。
もちろん、普段の冗談の中ではそういうことは多々あったがこういう場所で。
「それは、どういう……」
「すまん。流石に俺にも黙秘権を切らせてくれ。この話は、まだここでするべきじゃないと思うから」
みことがそう懇願してきたので、進はお、おうと言いながら頷いた。
話を目の前に戻す。進は改めてその竜を見上げてみた。
「あれ?」
そして、おかしな点に気がついた。
「こんだけ集中的に人間が集まってきているのに、どうして攻撃だのなんだのをしない?」
こういうのは、人間が近づいてきたら攻撃してくるのがお約束、とまで進は思っていた。
実際、こういうドラゴン系統のキャラクターはなんにせよ一回は人間を攻撃している気がする。
「そこなんだよ」
みことがそう返してきた。
みこと自身も眉を顰めていることから、彼にとってもイレギュラーな状態、と言った方がいいのかもしれない。
「なんだっけ? その……《ファイヤー・ドレイグ》の伝承に括られてたりはしないのか?」
進は、もしかしたらと思ってみことにそう聞いてみたが、みことはどうだろうなというだけだった。
「実際、俺もそんなに《神話》について詳しくはないんだ。ただそうだな……。さっきも言ったけど、宝を襲うものには容赦がないらしいぞ?」
「宝? なんだそれ」
「しらねぇよ。大体、宝なんてあってもあいつの纏ってる炎で全部燃えちるだろ」
「確かに」
ざわざわとした関係者たちの声がちらほらと聞こえてくるが、やはりそこにいるのは女子たちが多かった。
寮に住んでいた流星学園の生徒だろう。
深夜に起こったことにびっくりいているのが半分、これからどうしようと心配になる気持ちが半分。
そんな顔をしているな、と進は感じた。
それでも、パニックになっていない分マシな方か、と呟いたのちに隣を見る。
「みこと」
「ん?」
「一応聞くけど、本当に死者はゼロだったんだな?」
もちろん、とみことが即答したことに進は安堵した。
ホッと息をついたのだが、その瞬間、ゴーン、ゴーン、ゴーンと不気味な鐘の音がかすかに響いた気がした。
それの真偽を確かめようとしたが、それは《
「急になんだよ!」
進はビリビリと震え出した空気に圧倒されながらそう叫んだ。
今度こそ明確に、そのありもしない炎で作られた目が顔が、進の方へ向いた。
その瞬間、咄嗟に進は両手を前に突き出していた。
無意識のうちに《錬成》を唱えて、向かってくる灼熱を変形した。
それなのに進は、その工程の中で冷気さえも感じていた。
それをおかしい、と思ったのも束の間。
彼にもう一度、不自然なほど明るい炎が襲いかかった。
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