第18話



 皆さんは「運転免許証」をお持ちだろうか。


 あぁ、ここで言う「運転免許証」とは「自動車」に限った話として聞いていただきたい。二輪免許や、船舶、様々あろうとは思うが、ここでは「普通自動車運転免許証」で話を進めていこうと思う。


 昨今、その取得が減っていると聞く。理由は諸説あろうかと思うが、その理由の一つには「クルマ」を所有する事が出来ないと言う。……確かにここ最近、全ての物価が高騰傾向である事は理解している。そして聞くところによれば「クルマは」等と若い世代の方たちから、まことしやかに聞かされたときには、大層驚いたのを覚えている。


 昭和初期、自動車というのは確かに「庶民の憧れ」であった。「いつかはクラウン」などという名言? も存在していたほど、自家用車が登場した当時は、金持ちのステータスシンボルの一つでもあった。……が、昭和中期に入り、日本中に網の目のように道路が出来上がると、その事情は一変し始める。国道が日本を縦断し、県道が街を埋め尽くし始めると、「」と呼ばれる新たなビジネスモデルが産まれ、その普及により、自動車の「産業」としての需要が一気に波及していった。そうして産まれた『自家用車』はその始まりこそ高級車であったが、後に「ファミリーカー」が、人々に受け入れられ、「旅行は列車や船」からその版図を一瞬にして奪い去っていった。……またそれが逆に起爆剤となり『新幹線』への伏線ともなっていったが、そこは別の話。


 そうして市民権を得た自家用車は、それこそ多種多様に増え続けた。それこそ日本のお家芸とも言えるほど多岐にわたり、排気量に限って言えば350ccと言う、極小排気量から4000ccオーバーの大排気量まで、それはもうバリエーションに富んでいた。


 そんな時代を過ぎ、昭和後期に入ると、様々な法律ができ、交通常識もある程度固まってきた頃、自動車にもその「規格」が決まり、それに合わせた「運転免許証」も交付されるようになった。


 ――かく言う私が「運転免許証」を取得できたのは、二十歳の時である。


 ……平成二年、私はと言う罪を償い、晴れて合宿にて実地試験合格し、地元大阪に有る、「門真運転免許試験場」にて筆記試験合格出来たのである。まぁ、欠格事由については、断章を読んでいただければ想像はつくと思われるのでここでは割愛させていただきたく。


 閑話休題。


 私が運転免許を保持する理由は勿論だが「仕事」の為である。そう、エアコン設置業者として、親父殿の会社へなし崩し的に入社してしまった私は、仕事を「見て」覚えさせられ、知らぬ間に職人さん連中と「肉体言語どつきあいでお話」出来るようになっていた。


 ……いや、確かに仕事は二年と言う、即席栽培だったかも知れない。これをお読みの諸兄もそう思うだろう……が、ここで恐ろしくも面白い実話を公言しておきたい。


 ――繁忙期、私は約二ヶ月半、休みなく、朝六時から、深夜三時頃まで、エアコンを設置していたのだ。


 嘘でも誇張でもなく。声を大にしてもう一度言いたい! 毎日毎日、それこそ記憶が曖昧になるほど! 半ばマシーンの如く、トラックに十台以上エアコンを積み、深夜であろうと、お客様に相談し、バリバリと家に穴を開け、壁や屋根や、ベランダに。室外機を取り付けて……。


 ――いかんいかん、少し目の光が……。


 当時、エアコンはまだ一家に一台が当然だった。……そこにと言うおかしな要素が加わった事で、今では考えられない異常な光景が、黙認されたのかも知れない。言っておくが、私の勤めた業者のみがこうだったわけではない。恐らく、当時のことを知っている方がおられれば、少しは分かると思う。私の会社が入っていたのは普通の量販電気店だった。だから当然では有るが、事前連絡は勿論、夕方六時を過ぎての作業については、量販店側からお客様にからの作業である。


 それでも。


 深夜になっても。


「ずっと待ってた工事なんだ。また一週間以上も待てない! 構わないから工事してくれ」


 と言う寛大なお客様のお陰で、私達は半ば朦朧とした意識の中、エアコン取り付けマッスィーンとなっていたのだ。


 ――そんな期間をまる二年も経験した私。一繁忙期で恐らくだが千台近い取付工事を行ったのである。それ以外の日も当然仕事はしていたし、それなりに色々な経験もさせていただいた。


 ……故の戦力増強の意味で、私の班作りは急務であった。……が、そのための運転免許証は入社当時は勿論、丸二年後の欠格開けまでお預けを喰らい、当時は随分肩身の狭い思いをした。


「……アハハハ! やっぱ、親父の子供やな! 暴走で欠格って! 何回補導された?」


 ……まさか、ここで親父の喧嘩っ早さの余波を食らうとは。


 ただ、お陰で運転免許は無事取得できた。そして当時、憧れだった「マイカーデート」を経験したのもこの頃からであり、同時に産まれて初めて「ローン」と言う借金経験もした。愛車遍歴はまた別の機会にでもと考えているが、私の初めての『マイカー』は


 ――カローラ「FX」であった。



 かくして、紆余曲折は有りつつも、私はこの会社で「一人前」と認められ、時を同じくして、『昭和』と言う元号は、気づいた時には『平成』となっていた。

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