その歌に命はあるのか

 ママもパパもまだいない。ピアノを弾く。歌を歌う。かなり形になって来た。一回録音をしようと言うところでママが帰宅して、それから三十分くらい弾いてご飯に呼ばれたところでパパも帰って来た。

 食卓に三人で並ぶ。豚の生姜焼きがメイン。

 パパが「いただきます」に付属するもののように訊いて来る。

「夏夜は学校はどうだい?」

「ちゃんと学んでるよ」

「そうか。俺も仕事ちゃんとやってる。ママは?」

「もちろん、ちゃんとやってる」

 子供のときからずーっと繰り返されている、儀式のような質問だ。きっと仕事を始めたら「仕事はどうだい?」と訊かれるに決まっている。意味がない質問のようにも思うけど、会話の皮切りが決まっているのはマンネリ化し易い一人っ子家庭では価値があるのかも知れない。そこから何も喋らないこともあるけど、大抵は何か会話が続く。今日はパパが続ける。

「夏夜はAIの描いた絵を観たことがある?」

「あるよ」

「俺、今日初めて観たんだ。緑の塔が何本も立っている幻想的な絵だった。それでネット検索して幾つも観たんだけど、俺にはそれが人間の描いたものなのか、AIが描いたものなのかの区別が付かなかった」

 パパは言葉ほどには興奮していない。

「その区別にはあまり意味がないと思う。どういう生成方法であってもいい絵はいい絵だし」

「多分、その感覚が医療のAI化を進めるんだと思う」

 ママと私は顔を見合わせる。パパはこれから面白いことを言うぞ、と顔で示す。

「俺の病院でもAIを導入しようかって議論が出始めてるんだ。今のところは画像診断のAIだけだけど。放射線科からしてみたら仕事が奪われるんじゃないかって戦々恐々だよな。でも、精度はAIの方が画像診断はよさそう。そこで出た議論で面白かったのが、患者の納得なんだ」

「患者の納得?」

 私の声にパパは魚が釣れたような顔をする。

「そう。今の時代ではまだ、患者が、人間が診断をしたものの方を信じる、もしくは納得するんじゃないか、って考え。これ、すごく的を射ていると思う。全く同じ結果でも医者が言うのとコンピューターが言うのでは納得に差がありそう。逆に言うと、その納得に差がなくなったら、AIで問題ないってことになる。もしそうなったら、他の分野、例えば俺がやってる精神科とかでも、AIの方を患者が選ぶようになるかも知れない。でもね」

 私は頷く。パパは続ける。

「コンピューターを信じるかどうかって、ここ数十年で人間が徐々にして来たことなんだ。計算機だったときもそうだし、今はネットに繋がるコンピューター自体を疑うことは殆どなくなってる。コンピューターが正確に動くことは当たり前になっている。つまり次はその上を走るプログラム、AIもそうだね、それが同じように正確だと、患者が信じるかって段階なんだ」

「なるほど。私が言った、絵の生成が何でもいい、ってのは、プログラムを信じるってことになる、ってことだね」

「その通り」

「でも、それは違うよ」

 パパは固まる。ほう、と声を漏らす。

「どう違うの?」

「絵はあくまで『作品』を見てる。プログラムがどうなっているかどうかは関係ない。結果だけを見て、誰が生成してもいい、って言ってる」

 おー、とパパはちょっとのけ反る。

「そうか。診療のAIも結果を出すけど、問題になるのはそのアルゴリズムとかで、結果だけを見てどうですっては言えないか」

「うん。だから、診療AIを信じられるかどうかと、絵がいいかどうかは、別だよ」

「じゃあ、まだ診療AIを使うようになるのは先なのかな」

「私は、そんなことはないと思う。信じられるから使うんじゃなくて、プロの目で見て信頼に足るとなったら使うんだと思う。その結果、患者さんも次第にそれを信じるようになる。そう言うプロセスだと思う」

「なるほど」

 ねぇ、とママが入って来る。

「作曲のAIもあるんでしょ? どうなの、それは」

「あるけど、見てみた範囲では、いまいちだった」

「どう言うところがいまいちなの?」

「曲としてはちゃんとしてるのもあるし、歌詞も歌詞になってるのもあるんだけど、命がない感じがする」

 ママが苦く笑う。

「それは、機械だから、命はないんじゃないのかしら」

 でも、とパパの声。

「今はまだ分かってない『命』のようなものが、いずれは入るかも知れないよ?」

「うん。もしそう言うのが出て来たら、きっと私は生で作った歌と同じように評価する。いいか、悪いか。だけど本当に不思議な感覚なんだ。命がないな、この歌はって思うのって」

 ママが視線で私の目を射る。

「そう言うレベルの作曲AIが出ても、自分で作るんでしょ?」

「もちろん。自分で作りたいから作ってるんだもん」

 私は生姜焼きを頬張る。音楽の命の感じって何なんだろう。私の作品には命があるのだろうか。……あると信じたい。自分ではあると思っている。あると感じた曲だけを生き残らせている。でも本当のところは、どっちでもいい。命がなかったっていい歌があってもいい筈だ。今のところ出会ってないけど。いや、それでも自分の作品には命があって欲しい。どうしてそう思うのだろうか。シンプルだ。私が感動したり影響を受けたり、素晴らしいと思った作品には命があるからだ。だからどっちでもよくはない。私の作品にも命がなくては、素晴らしい曲に並ぶ可能性がなくなる。そっち側でありたい。……私にとっては私の作品は命があるけど、他の人にとってどうかは分からない。

 噂話とか、政治の話とかと言った流れて消える話をしながら残りのご飯を食べた。

「ごちそうさま」

 食器をシンクに置き、二階の自分の部屋に向かう。

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