腹ペコゾンビ
昨日あったことを鹿角さんはほとんど覚えていなかった。ただ意識が曖昧になるほどお酒を飲んだのは初めてでとても楽しかったと言ってくれた。
「本当に立花さんに迷惑をかけませんでしたか?」
「あぁうん大丈夫だよ」
「よかったぁ、後輩にだらしないところを見せられませんからね」
――キスはしたけどね。
そんな言葉が喉仏のところまでせり上がってきたが、あぶないあぶない。それだけは口が裂けても言えないのだ。
飛行機での移動も行と帰りでは時間間隔がまるで違う。行きはあれほど長く感じていたのにもう富士山が見えていた。
機内サービスのドリンクをちびちび飲みながら、まだ昨夜のアルコールの余韻が残って気持ちよさそうに寝ている鹿角さんを横目で眺めながら僕も瞼を閉じる。
離陸してからさすがに早かった。訓練されたキャビンアテンダントが人間を冷凍マグロの運搬ごとく出口にさばいていき、荷物チェックのあと僕たちはタクシーの順番待ちの傍ら火曜日からの仕事の段取りを確認しあう。
「来年は優勝しましょうね」
「来年かぁ、僕は正直おなかいっぱいですけど」
「何を言ってるんですか、来年はあなたがリーダーの番ですよ。私も全力で協力しますからね」
「まじかぁ、ちなみに来年の会場はどこだっけ?」
「北海道です。蟹ですよ、ジンギスカンですよ」
「じゃあ頑張ってみますか」
「ぜひそうしましょう」
苦笑しながらも鹿角さんのやる気に満ち溢れた瞳を見ていると、なんだか元気をもらった気がする。
「ほらタクシー来ましたよ。お先にどうぞ」
僕は彼女に順番を譲った。
「それじゃあお疲れ様でした」
「鹿角さんまた会社で」
「はい、お先に失礼します」
彼女を乗せたタクシーに軽く手を振って、僕は空に両手を伸ばして背伸びする。
鹿角さんのまっすぐすぎる瞳はあの頃の自分みたいに見える時がある。僕がもう失ってしまった情熱やら期待やらを一心に背負った輝かしい瞳。
だからこそ、危うく、時折心配になるのだ。
都合よくタクシーが目の前で止まった。
僕は経費で落ちるぎりぎりの駅までを目的地にお願いして、発進したと同時に肩を落とす。
なんだかんだ疲れた。
だが、それ以上に実りある出張になったのも事実だ。
――わかばさんは果たして元気だろうか。
自らの部屋の前でこんなに緊張しているのはなぜだろう。
まぁ正味三日ほどしか家を空けていないし、あんなんだがあの人も大人だ。
お金もおいてきたし腹が減っていれば、コンビニくらい一人でいけるだろう。
僕は楽観的にドアをひねるとうんともすんともしない。
鍵がかかっていた。
たしかに行くとき鍵を閉めた記憶はある。
――いやいやまさか。
「ただいまぁ」
鍵を開けて部屋の中に入るとそこは誰もいないと錯覚するほど静かだった。
「わかばさん?」
瞬間、地鳴りのような音が部屋に響く。
「よ、芳くんかい?」
部屋の奥から死んだ魚のような目をしたわかばさんがゾンビのように這いつくばってくる。
「ちょ……えっ、なな何があったんですか」
「それはねぇぇぇ」
吐き出した声とともに再び地響きのような音。どうやらその音の正体は彼女にあるようだ。
「お、お腹すいたねぇ」
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