つかのまと関係性

 そんなこんなで、クッキングが始まったわけであるが、当然てんやわんやである。ひき肉はあった。パスタも、しかも生パスタがあった。トマトも、その他調味料、香草、なにからなにまで揃っている。

 だからこそ、困る。アプリコットのミートソースは作り慣れたものではあるが、なにも特別ではない。トマト缶とひき肉と、あとはソースの類か市販のミートソースのもとなどが材料となる。だがこの場に使い慣れた安売りのトマト缶もなければ、ミートソースのもとなど存在しない。


「あ、アプリコットっ、火が、火が」

「そこのつまみです。コンロの火を──」


 そうこうしているうちに、パスタを茹でていた鍋が泡を吹いてしまった。

 リネンはコンロを使い慣れておらず、それが故に起こった悲劇だ。

 なお、本人は“焚火であれば火加減は完ぺきに調節できる”と豪語していたが、走行中の列車内で火を起こすことになるため諦めてもらった。


「それじゃあえっと、あまり期待しないでくださいね」


 食材は高級な、しかし扱いにくいものばかり。道具もなんだか機能が多かったり種類が多かったりして不安が募る。だが、リネンはそれにきょとん、として言うのだ。


「するよ、アプリコットが作ってくれれば、なんでも」

「随分と重い期待ですね」


 苦笑すると、アプリコットは包丁を手に取ろうとして──


「……トマトを刻むのって、どの包丁を使えばいいと思います?」


 形状の異なる三十ほどの包丁を前に再び思い悩むこととなった。



 出来上がったミートソースはお世辞にも出来が良いとは言えなかった。トマトの刻みが甘いせいでときおり形が残っているし、見よう見まねですらない適当に入れた香草の味が効きすぎている……が、リネンに不満はないらしい。


「ん、うん、うん……」


 喋りもせず、ただ黙々とパスタが口の中へと消えていく。

 二人が出会ったばかりのころも、こうしてリネンは次々にパスタを平らげていた。あの頃を思い出す、何も変わらない光景。ただ一つ、違うのが──


「んむ……おかわり」


 リネンが突き出した皿をすかさず受け取り、アプリコットはおかわりをよそぐ。

 そう、今回は一味違う。正確には量だが。


「おかわり」

「はい」


 これで五杯目。だが心配ない。麺もミートソースもまだまだある。もとより終点までぶっ通しで三食食べられるようにと作ったのだ。一食分すら耐えられなくてどうする。


「おかわり」


 リネンの食事ペースはまったく衰える様子がない。まったくもって驚異的だ。

 食べて食べて食べて、ようやくリネンが満足するとアプリコットはひそかにガッツポーズをした。



「そういえば、決めないの?」


 シャワーを終えたアプリコットが部屋へと戻ると、リネンがベッドの上で足をぶらぶらと動かしていた。彼女は今軽めのパジャマを身に着け、タオルを首にかけている。すべて車内の備品から拝借したものだ。


「決める……ってなにをです?」

「名前、法則の」


 倒置法で答えるリネン。

 言われてみれば、アプリコットは自身の法則に具体的な名前をつけていなかった。つける必要がなかったから、というのが一番の理由だが、そもそも名をつけるという発想自体がなかった。


「名前ですか」

「うん、つけたほうがいいよ」


 リネン曰く、自らの力──法則には名前を付けたほうがいいのだという。力を得た際にひらめきのように頭に浮かぶこともあれば、アプリコットのように自力でつける必要があることもあるがともかく、大半の法則はイメージによって作動、作用する。イメージを強固に、法則をより極端に特化させるために名前を利用するのだ。


「と、言われても……」


 《触れるあなたの奥の底ドロソフィルム・イデア》のように複雑で凝った名前は付けられる気がしない。そもそも、リネンの法則のように大規模でも、複雑でもないのだから。


「釘を物体に貫通させる法則……貫通、通す、透過……?」


 アプリコットはそこそこ、という感じだが、リネンはノリノリだ。本人の希望は無視と言わんばかりに勝手に考え始めてしまう。


「……アプリコット、釘以外もいける?」

「ええまあ……咄嗟にできるのは釘くらいなものですけど」


 アプリコットの法則を発動するには、何段階かの工程が必要になる。

 まずは自身が貫通させたい物体が貫通している様子をイメージする。釘ならば1秒以下でイメージできるが、釘から離れていれば離れているほどに、その認識には時間がかかる。


「なんで釘?」

「あー……」


 リネンの質問にアプリコットは苦笑した。あまり人に話したい思い出でもないが、しかし、そうか。リネンであれば言ってしまっても良いのかもしれない。


「別段特別なことじゃないですよ。釘で死んだ人間を見たことがあるだけです」


 梯子から落ちた大工が、たまたま自身の手に持っていた釘によって死んだ。おそらくは即死で、それを最初に見つけたのがアプリコットだった。ただ、それだけ。それからというもの、釘はアプリコットにとって “死” の、害と破綻の象徴になった。


「それだけです。本当に」

「ふぅん?」


 興味があるのかないのかよく分からない返答をしたリネンはベッドからぼとん、と落ちるとそのまま床で何とも形容しがたい声を挙げた。そのまま死にかけの芋虫のような動きで部屋備え付けの冷蔵庫まで這っていく。


「んー……」


 床に体を伏したまま冷蔵庫を開けたリネンは冷凍ゾーンをのそのそと漁ると、明らかに高級そうなアイスを二つ取り出した。一つは左手、もう一つは口にくわえて、だ。


「へいぱす」


 そのまま左手のアイスを投擲。面食らったアプリコットはベッドの上に身体を投げ出すかたちで慌ててそれを受け止めた。


「バニラ投げた。チョコがよかった?」

「いえ……バニラのほうが好きなので」

「ならよかった」


 キャッチしたアイス片手にベッドから身体を起こそうとしたアプリコットを、いつの間にやら眼前にいたリネンが再びベッドに押し戻した。


「ん」


 そして、そのままおもむろに自身もベッドへと再び飛び込む。アプリコットのちょうど隣に陣陣取るようなかたちだ。


「はっきりしてるのは、良いこと」

「はっきり……?」

「個々が持つ法則は、その人が奥底で思っていること、感じているもの、耐えがたい欲望が濃くあらわれる……って」


 アプリコットは覚えている。新鮮な湧き水のごとく流るる血も、輝きを失った眼球の鈍く光る表面も、そして、メタリックな赤に光る釘の先端から中腹にかけても。

 当時こそショックだったが、今ではただの思い出だ。思い出すことはできるけれど、ただそれだけ。それ以外の感傷を与えはしない。だけれども、その光景は確かにアプリコットの価値観に影響を与えた。

 釘とは、アプリコットにとっては死の象徴である。そして、“貫くこと”そのものの象徴だ。釘は万物を貫く。形あるものも、無いものも。人の生そのものさえも。


「アプリコットの法則は、アプリコットの感じたことそのもので作られてるんだね」

「........そう、なのかも、しれません」


 リネンと出会うずっと前から、アプリコットは自身の法則とともに歩んできた。けれど、向き合ったことはあっただろうか。

 これまで、アプリコットは生きてきた。ただ生きてきただけだ。生きる意味も、目的も目標も、悩みも希望も、すべてが無かった。ほんとうに、ただただ生きてきた。生きるのに精いっぱいであったとかそういうことすらなく、本当にただ単に、流されるままに。


「俺は、ずっと……ただただ生きてきました」


 楽しくもなければ、苦痛でもなかった。人生というのはただのスケジュールで、生命活動はタスクに過ぎなかった。いつ死んでもよくて、けれど、自分から死ぬのはなんだか面倒で、そうして──


「……あのころと比べると、今は色々と大変です」


 追っ手がいる。いつ死んでもおかしくない。たとえ国外に逃亡できたとしてもその先とんとん拍子というわけにもいかないだろう。


「だけど、今のほうがずっと──」


 そうずっと、ずっと。


「ずっと、楽しいです」

「……そっか」


 ちびちびと、付属の紙スプーンでアイスを食みつつ、リネンは軽く微笑んだ。


 二人の間にそれ以上の言葉は必要なかった。リネンはいまだにアプリコットを巻き込んだのだという罪悪感と、彼なしではここまで来れなかっただろうという想いがあって、だから、黙った。悔いなくてもいいと、もうわかっていたのだ。


「じゃあなおさらつけなきゃ、名前」

「悩みどころですね」


 アプリコットは困ったように微笑んだ。

 そうだ。なおさら、つけたい。リネン・ユーフラテスという人間との出会いはアプリコットから日常を奪い去った。奪い去られてしまった。あたかも白馬にのった姫騎士のように。

 戻りたいと思えない。なんの色も、味も、匂いもないあの毎日なんてもはやゴミ以下で。一度刺激リネンに慣れてしまえば、それ以下の刺激なんて味わいたいとすら思えない。


「アプリコットの殺意は透き通ってるから、それを入れたい」

「急に真顔で何を言い出すんですか」


 咄嗟に返すアプリコットだが、隣で寝転がるリネンの顔は大まじめだ。


「“誰かを害そう”っていう気持ちって、わりと真っ黒で、とげとげしてて、苦しい」


 だから、殺意だって立派な穢れだ。穢れそのものは浴びすぎていてもはや慣れっこだけれど、それは苦手な場所に出ることに慣れた。というようなものであって、決して“だいじょうぶになった”という類のものではない。


「その点、アプリコットのは透き通ってて綺麗。苦しさもあんまりない」

「そういう……ものですか?」

「そういうもの」


 アプリコット本人としては、他の殺意となにが違うのか。という気持ちである。

 なにかを、誰かを害そうとする気持ちに上も下も、濁っているも透き通っているもないだろう。ああでも、なるほど、少しだけ──


「納得、か」

「なにが?」

「ああ、いえいえ、そんなに気にすることでも」

「……そう言われると、逆に気になる」


 ぶーたれるリネンを適当にあしらいながら、アプリコットは先ほど感じた納得感をもう一度咀嚼しなおす。


 つまりは、空っぽなのだ。

 誰かを害する。殺す。そう言った気持ちの中身は義務とか生活のためだとか本当にそれだけのことで。木製人形使いバラテラムのようにコンプレックスに裏付けされた癇癪でもなければ、爆破蛍使いチーズケーキのような悦楽のためでもない。

 ただ、“しょうがないから、やるか” その程度の気持ち。人を殺すということへの向き合い方としては最悪に近いそれが、リネンにとってはちょうどよいのだろう。


 だとしたら、この先は?

 自分とリネンのために人に殺意を向ける。果たしてその殺意は透き通っているのだろうか。それとも、彼女にとって苦痛になるほどに黒く濁って──


「──アプリコット」


 いつの間にか、リネンはベッドの上で座り、アプリコットの隣から彼の顔を覗き込んでいた。


「どうしたんです?」


 先ほどの不安はおくびにも出さずそんな言葉を吐いたアプリコットに対し、リネンは眉をひそめた。

 もしかしてこの男は、私が気が付かないとでも思っているのだろうか。だとしたらなんだか、とってもムカつく。


「こら」


 アプリコットの両側の頬を両手で挟み込んだ。


「なにがどう変わっても、アプリコットはアプリコット」


 たとえこんな法則が、もろ手を挙げて否定したとしてもアプリコットはアプリコットなのだ。 

 ずっと一緒にいたい、ただひとりの人なのだ。


「適わないなぁ……リネンさんには」


「だから、これからもミートソースを作ってほしい。たくさん」


「……そんなものでよければ、いくらでも」


 列車は走り続ける。終着駅へ、命運を分ける最終地点へ。

 

 そうして夜は更け、空け、また更けて──


 始まるのだ。旅の終わりが。

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無垢の証明 五芒星 @Gobousei_pentagram

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