兄と許されない過去3
自分の名前が予想もしなかったところから聞こえて朝子は思考が止まる。
今まで考えていたことがすっかり飛んでしまった。
「あ、ごめんなさい急に。びっくりしますよね」
きっとたくさん愛されて育ったのだろう、幸福を体現するような顔の彼女が言う。
音がなくても表情だけでなにが言いたいのか伝わる。素直さと愛らしさは朝子にはない。
「えっと、私、京極興の妹で……」
また、予想もしない名前。朝子は悲痛な現実に戻されたような、でもまだぼんやりとしているような不思議な気持ちになる。
「お嬢、ここじゃ邪魔です。」
そんな彼女の後ろから、険しい顔の男の子が言う。漫画だったら、少し同情しちゃうような過去を持っていそうな敵の顔つき。
「あ!すいません!」
彼女は誰に謝っているのか、周りをキョロキョロと見渡したあとに少し大きな声で謝る。
興の妹だと言う彼女が、男の子に連れられて道の端まで行くのに、朝子は少し戸惑いながら着いていく。
彼女は朝子の顔を見てにっこりと笑って言う。
「私、京極椿って言います。えっと……兄がいつもお世話になってます。」
「いや、そんな……」
お世話になってるのは私の方、と言いかけてやめた。もう終わりにしたのだから。
「私のこと、知ってたんですか?」
「あ……気分悪くしちゃったらすみません、プライベートな話なのに。」
明るさといい、気がきくところといい、興には全く似ていない。
そもそも顔もあんまり似ていない。
「いや全然……」
「兄が一度だけですけど、話してくれて。」
ふと椿の隣の男の子に顔を向けると、なにやら険しい顔で椿を見ている。
椿にデートをつけたことを言うな、という圧力であったが、それを朝子が知ることはない。
「あ……こっちは」
朝子が男の子の方を見ているのに気づいて、椿が言ったのに、被せるように男の子が言う。
「守間清臣です。興さんにはお世話になってます」
どういう関係か気になったが、書けるわけもない。
椿も勢いで話しかけたせいで、内容もなく少し沈黙があった。
気まずい、適当に言い訳して帰ろうかなと思う。
でも、鞄の重みが何かしなきゃいけないことがあると主張しているような気がした。
脳裏に浮かぶのは兄の写真。
ポツンと地面に灰色のシミができる。
思わず顔を上げると灰色の空から水滴がいくつも落ちてくる。
「あ、私傘忘れちゃった。臣、持ってる?」
「いや、俺も……」
「あのさ」
朝子は思い切って言う。思いの外大きな声になってしまった。
驚いて朝子を見る二人に、途切れ途切れの雨音にかき消されそうな声で言う。
「そしたらちょっと時間潰さない?私、奢るから。」
二人がブンブンと揃って首を横に振る姿がそっくりで、しかも何かの小動物みたいで面白かった。
興さん、あんなに面白い子たちに囲まれてるのに、なんであんなにふてぶてしいんだろう。
朝子がもう一度言うと、椿は今度は手までつけて断ろうとしたが、さらにもう一度言うと、じゃあ……と折れた。
自分でもどうしてそこまでしたいのかわからなかったけれど、どうせ最後だからなんでもいいやな気持ちだった。
「なんでも好きなもの頼んで。」
そうして椿はアイスティーを選んで、清臣の代わりに、ブラックコーヒーも頼む。
「勝手に頼まないでくださいよ。」
「どうせこれだったでしょ。臣、これしか飲まないもん。」
「間違ってないですけど」
そういえばあの店で頼んだアイスティーは一口も飲まずに出てしまった。
「仲良いのね、二人は付き合ってるの?」
朝子が聞くと二人はなんだか慣れたような様子で否定する。
「よく聞かれるんですけど」と椿が言うからそう言うことなんだろう。
そんなに仲がいいなら付き合っちゃえばいいのに、とも思う。
カプチーノの入ったマグのふちをなぞる。
頰には涙の感覚が残っている。
「あのね、二人にお願いしたいことがあって。」
不思議そうな視線を受けながら、朝子はカバンの中から写真を取り出す。
「これ、お兄さんに渡してほしいの。」
椿の顔に疑問の色が浮かぶ。
当然だ。直接渡せばいい話なのに、そう思っているだろう。
「あのね、私、お兄さんとはもう会わないことにしたの。」
椿が息を呑む。
「せっかく声をかけてくれたのにごめんね。」
「こちらこそ、すいません。」
少し落胆の滲む声だが普通を装って言う。
「あと、お兄さんに、『酷いこと言ってごめんなさい』って伝えてほしいの。」
椿はまだ不思議そうな顔をしている。清臣はなにを考えているのかわからない顔で写真をじっと見つめている。
「お兄さんは、悪くないんだけど、その、私が酷いこと言ってしまっただけだから。」
兄のことになると、どうしてもその頃に戻ってしまう。まだ高校生だった幼い考えのままで、興に反発し、なかなか酷いことを言ってしまった。
「あの……直接じゃなくて、いいんですか?」
椿が心配そうな瞳で言う。
裏表がない子だな、と思う。感情がそのまま表に出る。それは、朝子も同じだけど。
若い分だけ彼女が眩しい。
「ごめんね、二人には迷惑かけちゃって……」
「それは全然、平気なんですけど」
「もう、終わりにするから、いいの。」
椿はじっと机を見つめたあと何かを覚悟したように顔を上げた。
「兄は、わかんないけど、多分そんなに怒ってないと思います。」
椿は慎重に言葉を選ぶように話す。
「朝子さんのこと……すごく、大切に思ってるはずなので。」
雨が上がった空は相変わらずどんよりとしていたけれど、どこか澄んだ風が吹いていた。
水たまりを避けて歩く。
そういえば、お金渡すの忘れちゃったな。
二人はきっと朝子の涙に気づいていたけれど、なにも言わなかった。
私が高校生だった頃と比べたらずっと大人。いまでさえ、気の利いた言葉はおろか、大切な言葉も間違えてしまう。
好きだったんだよなあ。
これが大人の恋愛なのかな。カッコつけて頼んだカプチーノのほのかな苦味が口の中に残っている。
また、涙が溢れる。
この涙は、失恋の涙だろうか。それとも兄への申し訳なさだろうか。
自分の気持ちもわからないまま泣く。
今、雨が降ればこの涙も誤魔化せるのに。
「私、余計なことしちゃったよね……」
清臣よりずっと身長の低い椿の表情は並んで歩いているとあまり見えない。
「まあ、いいんじゃないですか。あの人も、渡したいものがあったみたいですし。」
椿は渡された写真をじっと見る。
「これって、興兄かな?」
「そうだと思いますよ。隣の人は知らないですけど。」
椿はくるりと振り向いて、写真を清臣の顔の横に並べる。
「ちょっと似てない?」
「そうですか?」
椿は頷く。その顔に浮かぶ笑みを見て、よくないことを考えているのだとわかる。
「ふてぶてしさが似てる。」
清臣はムッとしたが、それに返すことはしなかった。
「ねえ、臣って人見知り?」
椿が話題を変える。
「そんなことないですけど、お嬢が人懐っこすぎるんじゃないですか。」
「なるほど……いつもご苦労様です。」
「ほんとですよ。」
雨だ、と椿が呟く。
「降ってますか?」
地面を見てもわからないし、雨粒が降れた感覚はない。
「うん……まあ臣そこらへんの感覚鈍そうだもんね。」
「どういうことですか。
「刺されても平気じゃん。」
「平気ってことはないですけど。」
「私も強くなりたい。」
清臣は呆れた様子で椿にいう。
「じゃあ何回も刺されたらいいんじゃないですか。」
「臣はそれでいいの?」
「よくないですね。」
花に弾痕、鬼に衣 りんごンゴ @YoidukiAka
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