兄、再会する
大みそかの夜。
いつもはこの時間でも明かりの灯るビル街も今日は静まり返っていた。
居酒屋だけがにぎわっていた。
興の会社は午前中だけの出勤だった。
あまり働き方にこだわりはないから、仕事を終えることを条件だけに社員の要求はすべて飲んでいる。
そういいながら、自分は最近は家業のほうが忙しくて仕事が溜まっていた。
それを全て片付けていたらこんな時間になってしまった。
椿は怒るだろうか。
少し足を速めて帰りを急ぐ。
同じように、早足で歩く女性がいた。
興は追い抜かされたことで、なんとなく女性のほうを向く。
思わず足を止めた。
女性はガタイのいい男性とぶつかる。
小さく謝って立ち去ろうとするも、男はいらだった様子で、女性を引き留める。
興はその様子をじっと見ていた。
だがやがて、男性の口調が荒々しくなり、女性が涙目になると、興はまた歩き始める。
「ちょっと。」
男性の肩をつかんで止める。
「やめてください。怖がってるでしょう。」
男は興をにらみつける。
興が冷たい瞳で男を見下ろすと、男は舌打ちして肩に置かれた興の手を振り払う。
「ありがとうございます!」
女性は困り眉のまま深く礼をする。
「いいんですか?行かなくて。」
「え?」と女性は絡まれたときのように困った顔をする。
「早歩きしてたから。」
女性は納得したように苦笑してうつむく。
「癖なんです。」
興は女性の顔をじっと見て心底安心する。
覚えていないみたいだ。
「あの……お腹すいちゃって。お金、ありませんか?」
何を言っているんだと思ったその瞬間、大きなおなかの音が鳴り響く。
「お金、持っていないんです。」
彼女の困り眉は、過去の記憶と罪悪感を思い起こさせる。
「本当、ひどいんですよお……セクハラにパワハラ、おまけに安月給……私なんか相手にして、時間の無駄ですよ。」
飲み過ぎじゃないかと思う。
でも彼女は止まらない。
涙目でため息と一緒に愚痴を吐く。
「こんな会社辞めたいですよお、でも、やめたところで行く場所なんてない……私、ただでさえドジなのに……」
彼女はグラスを大きく傾けてビールを流す。
「もう、それくらいにしたらどうですか。」
「やってらんないですよお。」
ろれつが回らない。
「俺、そろそろ帰らないと……」
終電はまではまだ時間があったが、椿を待たせている。
「あぁ、そうですよね。私なんかに付き合ってもらって申し訳ないです。」
少し酔いがさめたように言う。
「私なんかって、それ口癖ですか?」
彼女はうつむいたまま言う。
「いつも、人より優れていることなんてなかったんですよ。」
「自意識を変えないと、何も変わらないですよ。」
女性は顔を上げる。
「きっとあります、人よりいいところ。」
フッと柔らかく笑った。
「なんだか、兄に似てます。」
興の表情が硬くなる。
女性はそれに気づかず続ける。
「あの、またお話聞いてもらってもいいですか?あ、いや、あなたのお話も聞くので。」
興は視線をさまよわせた後、財布を取り出す。
会計よりはるかに多い数の札を置いて、何も言わずに踵を返した。
彼女のことはよく知っていた。
彼は、彼女のことを嬉しそうに話した。
戸田朝子――彼女は五年前に亡くなった親友の妹だった。
きっと興のことを知ったら、彼女は怒るだろう。
「どうした?」
つぶらな瞳が言う。
眠そうにあくびをして、「おかえり」といった。
「遅かったね。」
「ごめん。」
説明する気はなかった。
「あぁ、いや……元気ないね。」
沈黙に椿は「忙しかったもんね、そりゃそうか。」と笑う。
「あんまり嬉しくない再会をしたんだ。」
興の言葉に椿は思わずこちらを振り返って、そして固まる。
「それはまあ、運が悪いね……今日に限って。」
椿はやさしく笑う。
「まあでも、悪い運使い果たしたし、来年はきっといい年になるよ!」
妹の笑顔は疑いようないほど綺麗だった。
「憂と臣は?」
「買い出し。なんか憂兄がケーキ食べたいって言いだして……」
「こんな夜中にか。」
「そう、年越しはケーキだろって。私は食べないからお兄もがんばってね。」
興はむっとして息が止まったような顔をする。
妹の言葉は断れない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます