暗い決意





 ドゥ=マキラ


 生まれ変わった先で聞いた恐ろしい化物は、文献によると平和な都市にある夜突如として現れ、人々を操り殺したと記されていた。


 傷ついた人に涙を流し、救いを求めれば手を差し伸べる。

 ラルフから見れば聖女とも呼べるような、でも聖女ほど潔白にはきっとなれないちょっぴりドジな女の子。ラルフにとって間違いは日常の象徴だった。

(鏡の前で練習した、必要な笑い方しか知らなかった俺を救ったのは、間違いなくマキラだ。)


 エミーリアに、お前が魔女だと言ったことを思い返す。

 魔女を悪たらしめるのは、きっと彼らに後ろ指を差した人間の方だ。結局、自分はマキラを魔女にしてしまった。

 三人の日常があった世界に転生すると、魔法は悪いものとして消え失せ、科学による文明が進み始めている。

 そこに新たにドゥ=マキラの悪歴が記されてしまった。今の学者が疫病によるものだと断じたため、それとなくドゥ=マキラの存在は誇張された創作とされているが、あの姿のマキラをラルフは知っている。


 あの大きな触手のかたまり。

 赤や黄色で斑点のような模様が描かれ、どす黒い青や緑に色を変えるぬめぬめとした触手たち。

(吐き気がする)

 なによりもあの目。触手の中にある2つの目玉。甘ったるい臭いを放つ、どこからどう見ても醜悪な化け物。


 マキラとは似ても似つかないドゥ=マキラ。


「俺のせいだ」

 転生を繰り返す中でマキラに会いに行っていれば、共に過ごしてさえいれば。阻止できたかもしれない。もっと早く気づけたかもしれない。


 アレは果たして殺せるのか。


(マキラを、あのままにしておけるか。)

 首に絡みついた触手の感触がまだある様な気がして首を掻く。花の匂いが苦手になったのは、触手が放つものに近いからだろうか。

(そもそも、なんでマキラは不死になった?)

 繰り返す転生の中で、エルフの惑星以外でも何度かマキラを見たことはあった。今になって思えばマキラの年齢はいつも変わらない。

 つまりは、マキラが目の前で死んだあの時から、おそらくマキラは年を取っていないのだろうとラルフは予測する。


 だが、不老不死なんてものは魔法の世界にも存在していない。せいぜいが引き伸ばす程度だ。

 寿命の長い生物は居ても、死なない生物は居ない。悪魔でさえ、殺せるのだから。

(可能性があるとすれば…)

 魔法を知ってから、マキラの言うエリックの才能が本当にとんでもないことを実感している。自由に空を飛び、感覚だけで行使される魔法は、エリックの手足のようで。


 ラルフは胸から下げ続けていた教会のシンボルに手を伸ばし、外してそのまま部屋の暖炉へ放り込む。

(神に祈りはしない。教えも、正しさも要らない。)

 今まで幾度となく人を、数え切れないほどの命を殺してきた自分にはとうにあれを持つ資格など無かったのに、ずっといつか救われたいと縋っていた。


「マキラを殺す」


(怖い。俺は、マキラを殺すことが怖い)


 震えた手を握る。冷や汗の止まらない体でなんとか歩き出す。


「誰か居るか!」

 今回もまた貴族に産まれたのだから、その立場を利用しない手は無い。廊下に出て呼べばすぐに執事とメイドが駆けつける。

(居場所さえ分かれば後は赤子の手をひねるより容易い)


 親友で、宿敵で。何度も、何度も殺しあったから。





 ◆◆◆◆◆


 ◆◆◆◆



 今回のエリックはどうやら奴隷解放の革命のために戦っているらしい。

(立派なものだな)

 ラルフは奴隷を『使う』側の貴族の地位にいる。

 記憶が戻るまでの『ラルフ』は、散々彼らを嬲ってストレス解消の道具にしていた。


 窓の外に視線を向けると、庭で遊ぶ妹がいる。

 病弱で、高級な薬を毎日買って飲ませなければならない。貴族の立場が無ければ到底長くは生きられない少女。

 こちらに無邪気に手を振る妹は、ラルフが『違う』ことに気づいていない。微笑んで、手を振り返せば周りのメイドが不思議そうな顔をする。『ラルフ』は病弱な妹を嫌い、居ないものとして扱っていたらしい。


(今日は晴れな)

 ラルフの目は、色を映さなくなっていた。

 医師に寄ればストレスが原因だという。

 なら、記憶が戻った際の、あの強い衝撃の影響だろうとラルフは考える。

 昔は絵を書くのが好きだったが、この目では難しいだろうと嘆息する。

(今更、この手で描きたいものなどないがな)



 ◆◆◆◆◆



 窓際から離れ、廊下を進んで地下へと向かう。

 昨晩、金で雇ったあらくれ者に子どもを人質にエリックと、ついでに一緒にいた仲間2人を捕らえさせた。

 あらくれ者が使ったのは偶然その場に居た、エリックとは何の縁もゆかりも無い子どもだというのに、簡単にエリックは武器を捨てて降伏した。

(そういう所が、)

 考えて、首を横に振る。余計な事だ。

 考えなくていいことだ。と。


 この家の地下には、この家を建てた祖父が奴隷と『遊ぶ』ために作った部屋がいくつかある。

 階段をおりて右側。3つ並んだ扉のうち、真ん中の鍵を外して開く。

 石のタイルが貼られた床から冷気を感じる。鉄製の壁には1箇所だけ細長い小窓があり、そこから細く陽の光が差し込んでいた。

 部屋の中心には拘束用の硬い椅子が1つ。

 手足を拘束されたエリックはそこに縛り付けられていた。


 あれだけ目を引く金髪も、色を失ってしまえばただの細い糸と変わらない。自分を見て、少しだけ見開かれた目もただのガラス玉にしか見えない。

 エリックが口を開く。連れてこられる前に痛めつけられたであろう唇が少しだけ切れていた。

「喋るな」

 低く、冷たく言い放つ。

 記憶が戻っていないと思ったのか、エリックが心底残念そうに眉を下げる。

 自分の長い黒髪を後ろでまとめ、簡単に紐で結ぶ。上着を脱いで部屋の脇に置かれたイスの背もたれにかけた。首のスカーフを外し、イスに畳んで置く。シャツの袖のボタンを外し、肘までまくった。


「僕の仲間は?」

 エリックの声がする。この声を聞くといつだってあの日の森を思い出す。

 どこまでも暖かく、平和な。かつて過ごしたエルフの星とはまた違った暖かさ。あの星の大樹に守られているのでは無く、自分たちで守ろうとしてきた場所。

 何度もエリックとあの頃に戻ろうと話していたはずが、いつだって同じ目標があったはずが。

(なぜ、こんなに遠いんだ)

 運命を決めるのが神なら、きっと自分は神を恨むべきなのだろう。なぜいつも殺し合わなければならないのか。なぜ、こんなにも恨み合わなければならないのかと。


 ────拳を振り上げる。


 エリックが意図に気づき、歯を食いしばる。

 その柔らかい頬を、殴った。


 鈍い音がして、骨にビリビリとした痛みを感じる。動けないエリックの胸ぐらを掴み、更に二度、三度と殴りつけた。 まだ転生なんて事が起こると思っていなかった頃に、自分の父親にそうされたように。

「俺の、許可が、あるまで、喋るな」

 念を押してから手を離すと、無言のまま口に溜まった血を地面へと吐き捨てる。じっとこちらを見る目から逃げるように背を向け、今度は小ぶりのナイフを手に取る。ずっしりと重たいそれを、力の入らない手から滑り落ちないようにしっかりと握った。

(…皮膚が裂けたか)

 エリックを殴った手は傷ついていた。エリック自身の血で傷はあまり目立ちこそしないが、遅れてじわりと熱を持つ。小さく息を吐き、冷静な顔を作ってから改めてエリックを振り返った。



 ◆◆◆◆◆



「お前がマキラを不死にしたのか?」

 端的に尋ねるが、エリックは困惑の表情を浮かべるばかりだ。

「ラルフ、どうして、い゛ッっ?!!」

 肩口にナイフを突き刺す。欲しい言葉はそれじゃない。

「マキラに、なにをした?」

 問いを再度投げかける。

 脂汗を浮かべながらエリックが首を小さく横に振る。痛みに耐性はあるだろうが、少なからず動揺させていることに安心した。



 不死の妙薬や霊薬に不死の魔法や魔術。文献で目にしたことはある。だが、どれも絵空事ばかりで本当に実行可能なのはやはり寿命を伸ばす程度のことだ。

 そして、不死の『殺し方』となるとただでさえ少ない不死に関する文献はほぼゼロとなる。なにせ死なないから『不死』と呼ぶのだから。


 ただ、今回の一件に限ればどうだろうか?

 不死の魔法を使った張本人ならどうだろうか?


 ラルフはそう考えた。だが、『マキラを殺すために不死の殺し方を教えろ』とバカ正直に伝えてエリックが答えるわけは無い。


「答えろ、お前は」

「ラルフ。君、記憶がッッ!!!」

 刺したままのナイフを捻る。傷口を抉るようにしてやれば額に汗を浮かべて歯を食いしばる。

 とは言え、この程度でエリックが話すわけは無い。とラルフは考えていた。いつかの転生の折にエリックは敵国に捕まりもっと酷い拷問を受けた。曰く、手足の皮を剥がされたのだという。それでも奴は情報を離さず、むしろ生還したことで仲間の士気が高まったのだとか。

(なら、他の手を使うまでだ)

 記憶が戻ったと確信したのか、エリックが矢継ぎ早になにかを言っている。

 聞かない。聞かない。聞こえない。

 耳を塞ぎ、心を塞ぐ。

 良心の類を心の底に無理やりしまいこんで、代わりにずっと「汚い、醜い」と隠してきた感情を引きずり出す。


「なあ、エリック。

 俺はマキラを愛している」


 当人の居ない告白。ラルフがそれを口にしたのは、本当に本当に初めてのことだ。2人への友愛では無く、マキラ1人にだけ抱いていた淡い想い。

 マキラがエリックを好きだと分かっていながらずっと彼女を想い続けていた。それと同時にエリックへの醜い嫉妬もひた隠しにしていた。美しい容姿と慈愛と正義を持った心。才能にも恵まれた、まさに英雄と呼ばれるべき人間。

 神に縋ることしか出来ない自分とは違い、行く先々で得がたい仲間を得ながら、世界のために戦ってきた男。


「だから、だからこそ貴様が憎らしい!!」

 拳を再び振り上げる。

 なぜマキラに望まれながらマキラの傍に居続けることを選ばないのか。世界を救ってばかりで影で泣く1人の女の子をなぜ見過ごすのか。

(俺なら、俺なら────!)

 きっとマキラはそんなエリックが好きなんだろう。

 世界のために自分を犠牲にしてしまうエリックを守りたかったのだろう。

 自分はきっと、マキラと世界を天秤にかけてもマキラを取ってしまうから。それでマキラが自分自身を責めるであろう事を分かっていながら。


 ハッとして、手を止める。

 何度も何度もエリックを殴った手が痛い。

 いつの間にか、ナイフも床に落としていた。

 息は上がっていたし、汗で髪も乱れている。目の前のエリックは動かない。息はしているが、顔や体は痛々しく痛めつけられ、頭から血も流している。


「ぁ…」


 醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い醜い


「げほ…ッ…ら、るふ…」

 エリックがこちらを見あげる。瞳に映る醜い自分が見える。


「おれ、を、おれをその目で俺を見るなぁああああ!!!!」


 怒鳴る。

 殴る。


 今度こそ気を失ったエリックの首ががくりと項垂れた。

 髪を伝った血がぽたりぽたりと床へ落ち、乾いた石床へと吸い込まれていく。

 膝の力が抜けてその場に座り込んだ。乱暴に頭をかき、叫びながら床へと頭を打ち付けた。

(すまない、すまない。すまないエリック。すまない。すまない─────。)

「もう、止まれないんだ」


(だってエリックの瞳に映る醜い俺は、


 楽しそうに笑っていたんだから)



 ◆◆◆◆◆


 ◆◆◆◆



「起きたか?エリック」


 3時間ほど経って、エリックは目を開けた。

 拘束をしたままではあるが、簡単に手当てされた体を見て、それからエリックはラルフを見上げる。

 ラルフは手袋で傷を隠した手をぎこちなく動かし、エリックに水を飲ませてやる。

「ら、るふ…?」

「ああ。エリック。俺はお前の知るラルフだ」

「ぁ…ごめ、んね」


 口が切れているからか上手く話せないらしい。謝罪を口にしたエリックに、ラルフは小さく首をかしげて口元を伝う水を拭いてやった。

「なにを謝るんだ?」

「君に、酷いことを、させてしまって」

「…ははっ」

 乾いた笑いが出た。エリックから怒りを感じない。

 あれだけ醜い感情をぶつけてやったというのに、エリックからは哀れみさえ感じられた。

 ようやく抑えた怒りがまた腹の底でぐつぐつと煮えている。

「まあ、いいんだエリック。

 それより聞きたいことがあるんだ」

 笑みを顔に貼り付け、エリックの肩に手を置く。

「マキラを殺すにはどうすればいい?」


 エリックが心底悲しそうに眉を下げる。腫れた頬はより痛々しく、ラルフは子犬を虐めているような気分になった。まだ、子犬をいじめた事はないが。

「なんで、そんな事を聞くんだい?」

「そんなの、マキラを殺すために決まってるだろう」

 額から流れた汗が目に入りそうだったので、ラルフはハンカチでエリックの顔を甲斐甲斐しく拭いてやる。

「なあ、もう終わらせてやろうじゃないか。

 マキラは死にたがってるんだ」

「ッ…そんな、そんなはずないだろ!マキラが死にたがってるなんて、そんな…そんな、嘘を君がつくなんて…」

「まあ、お前が信じようが信じまいがいいんだ。」


 嘘。その言葉に僅かにラルフの胸がざわつく。

 マキラはエリックに、そう言ったことが無いのだろう。その事実に奥底でラルフは細く微笑んだ。一度タガを外した心にじわりじわりと薄暗い闇が染み込んでいく。

 エリックの髪を撫でる。血や汗で少しパサついているが、不快感は無い。「少し待ってろ」と言い残し、ラルフは部屋を出た。



 ◆◆◆◆◆



 ラルフは鼻歌でも歌いたい気分になる。

 今までもこうして、感情のままに動くことはあった。でもいつも怒りや何も出来ない自分の無力感に苛まれていた。

 それがどうした事だろうか。心の奥底で抱えていた、エリックには理不尽な事だと飲み込んでいたものを吐き出すのがこんなにも心地よい。

(さて、次はどうしてやろうか)

 地下の廊下の奥にある倉庫に入れば、多くの拷問器具が並んでいる。ムチや針、ナイフの他にも拷問のためだけに作られた爪剥がしや苦悩の梨、ネズミ用の鉄鍋。

 エリックは泣くのだろうか。自分は勇者だと胸を張る男がどこまで無様になるだろうか。


 笑って、笑って、笑って──────。


 震える手に気づいた。


「は、はは…ははは…?は?………ッヴっ」


 胃からせり上がる酸っぱさに口を抑える。堪えきれずに部屋の隅にあったバケツに吐瀉物をぶちまけた。最初は昼食に食べた溶けかけのサンドイッチ。そこから胃が空っぽになるまで吐き続けた。

(気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い…!!)

 酷い嫌悪感に吐くものも無くえずく。歓喜していた自分が、マキラの願いを盾に醜い嫉妬心をエリックにぶつけていた自分をひたすらに軽蔑した。

(人は皆、1人では生きていけない。だからこそ優しさを他人への尊敬を忘れてはいけない)

 かつて教会で神父から聞いた話を思い出す。

 自分の行いを恥じ、今すぐにでも死んでしまいたくなる。



「迷うな、マキラを、マキラを殺すんだろ…!!」

 苦い口元を乱暴に拭い、大ぶりのナイフを手に取る。

 まな板の上の魚のようにエリックは何も出来ずに座ってることしか出来ない。それを思うと再び心に熱がこもる。

 手にしたナイフは手入れがされておらず、錆び付いているが、肉を切り裂くことはできるだろう。


 ヒューヒューと鳴る呼吸を落ち着け、薄汚い鏡を見てどうにか冷静な顔を作った。



 ◆◆◆◆◆




 人1人を引きずるのはそれなりに骨が折れる。

 抵抗できないように手足を縛ってしまったから、仕方の無いことではあるのだが。

 台車にでも乗せた方がはやかっただろうか。そう思いながらラルフはエリックの部屋の扉を開ける。血の匂いがする室内に、自身ともう1人を引きずりこむ。麻袋を被せてはあるが、服装からエリックはそれが誰かに気づいたらしい。

「コウ!」

「?!え、エリックか?!」

 エリックの声に気づき、コウと呼ばれた男が顔を上げる。麻袋を乱暴に引いて外せば、あらくれに捕えさせたエリックの仲間が出てくる。

「喋るな。喚くな。」

 ラルフはコウの髪をつかみ、首に錆びたナイフを当てる。引き攣りながらコウはエリックとラルフを交互に見た。


「やめろラルフ!」

「エリック。俺の質問に答えろ。ドゥ=マキラはどうしたら死ぬ?お前がマキラに使った魔法はなんだ?」

 刃をほんの少し肉に食い込ませた。やはり錆びているから切れ味は悪く、押し当てた程度では切れそうにない。

 それでもエリックは動揺して叫んだ。

「ダメだ、やめてくれ!ラルフ!」

「残念だ」


 ため息をつき、一息にコウの首をラルフは切り裂いた。

 髪から手を離してやればコウは血を流しながら倒れ、縛られた手足をバタバタと痙攣させる。助けを乞うようにエリックを見つめ、喋ろうとしているの喉や口からは何度も血が吹き出した。

「コウ!コウ!!」

「さて、あと一人いるな」

「ッ!やめろ!やめてくれ!!」

 死体を軽くエリックの方へと蹴り、もう一度ラルフは部屋から出た。



 ◆◆◆◆◆




 叫び声が聞こえていたからか、もう一人の女はキィキィとうるさく喚いた。猿轡を噛ませてから同じように麻袋を被せ、エリックの元へと引きずっていく。


「ラルフ、やめて、やめてくれ。話をしよう?僕に怒っているんだろう?彼女は関係ないだろ?」

 こちらをあやす様に話すエリックに少なからず苛立つ。まだ自分に優位があると思っているのだろうか。

 女の麻袋を外した。死体を見て叫ぶが猿轡のおかげて幾分かマシだ。どうにも女の甲高い叫びがラルフは嫌いだった。

「ドゥ=マキラはどうしたら死ぬ?」

「マキラが好きなら、どうしてマキラを殺すなんて言うんだ?何かあったんだろ?」

 舌打ち。好きだからこそ、ラルフはマキラを殺したい。だが、それをエリックが理解する日は来ないのだろう。

「黙って話せ、エリック」


 エリックが唐突にがくりと項垂れる。

 女の顔が絶望に染まり、なにかを喚く。イントネーションから察するにエリックの名前を呼んでいるようだ。

「うるさい」

 女を殴って黙らせる。静かになると、エリックがなにかを呟いていることに気づいた。床に女を放って屈み、口元へと耳を寄せる。


「……んで…なん…なんでなんでなんでなんでラルフはそんなに怒るんだなんでマキラを殺そうとするんだどうして僕はただ3人でいたいだけなのに仲良くしたいだけなのになんでどうして上手くいかないんだどうしてなんでなんで」

「ッ?!」


 数歩、後ずさる。下を向いた目を血走らせ、呪文のようにエリックはボソボソと1人で話し続ける。エリックに助けを求めていたはずの女でさえ、今の彼の様子に動揺しているようだった。

 10秒、20秒…いても立ってもいられず、ラルフはエリックの顎をつかみ、無理やり上を向かせて怒鳴る。

「エリック、俺の質問に答えろッ!!

 マキラはどうやって殺すんだ!」


「…………」


 ラルフの背筋に冷や汗が流れる。

 腫れた目を開け、じっとこちらを見るエリック。瞳孔は開き、表情が無い。瞬きもせずにこちらを見つめる目からは異様さを感じざるを得ない。

 反射的に手を振りあげた。そこにあるのは単純な恐怖。縛られているのはエリックのはずなのに、心臓を掴まれているような不気味さがある。



 ─────ゴッ



「ぅ、ぁ…?」


 ラルフの視界が大きく揺れる。


(殴られた…?)

 頭への衝撃。足にチカラが入らず、エリックの隣へと倒れる。霞む視界に映るのはエリックを攫わせたあらくれの中に居た1人だ。そいつはラルフが動けないと見るやいなやエリックの拘束を解き始めた。

「くそっくそっ…!俺みたいなチンピラでもなぁ!恩は返してえんだよ!」

 そのあらくれにはエリックとのラルフの知らない接点があったらしい。


(悪運の良い…)

 ラルフはイス伝いになんとか立ち上がる。こっちを殺す気は無いのか、あらくれはエリックと女を連れてさっさと逃げる気らしい。


(そう言えば、エリックの周りはいつも人が多かったな)

 まだ朦朧とする頭でそんな事を考える。どの生でも、エリックにはいつも仲間が沢山居たように思える。

 ラルフはナイフを手に取った。ここで逃がせばおそらくもうこの生では捕まえられない。

 革命は起こり、市民が救われあの妹は死ぬ。


「エリック!!」


 怒鳴る。エリックが振り返り、こちらを見て目を見開いた。首に押し当てたナイフで、頸動脈を切り裂く。


(これで終わりだと思うな)


 全て捨てると決めたから。

 もう、何も要らないと決めたから。

 記憶が戻る前のラルフの人生さえ無駄にして


(お前を、お前とマキラを殺すだけの存在になってやる)

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