第7話

 警察が来ても師匠は全く慌てずに、私たちに言ったのと大体同じようにもう一度説明した。そうすれば自分は捕まらないと心の底から思っているみたいで、警察に腕を掴まれて始めて暴れた。

「まさか掃除の外注した人がこんな奴とは思わなかった」

 担任はやれやれと首を振って、次の授業へと向かった。

 声を出そうと口を開くと逆に息を吸い込んでしまう。手が震えて、ゆっくりとしか打てない。沢山、反論したいことがあって、困っている。師匠が撒いていったわだかまりを、まだ弁解できていない。

「辛いよね。校門出ればいい? 学校では喋らないってことは、外でちゃえばいいってことだよね」

 杏沙乃が私の背中をさする。門を出た途端にどうしようもなく泣けて来た。言葉にもならなかった。息をゆっくり吸って吐くことができたらもう少し落ち着くかもしれないけど、師匠の教えを守っても何もいいことはなかった。腕を引っ掻いた。まっすぐ三本線が現れる。何度も同じところをなぞると、皮がめくれる。痛みが身体全体に染みていく。私の指先が残っていたのは、自分を分かりやすく傷つけるためなのかもしれない。

 急に引き寄せられて、顔を胸にギュッと押しつけられた。

「なんか! 全然分かんないけど、人の心臓の音聞くと落ち着くってなかったっけ?」

 涙も鼻水も涎も全部杏沙乃の制服に吸い取られていく。制服に埋もれながら唸った。考えることが多すぎて、とりあえず全部手放して泣いた。腕の力が緩んだところで顔をあげると、杏沙乃も泣いていた。私がひどいことをした。毎日話かけてくれたのに、嫌だと言ったのに。

「ごめん」

「ごめんじゃないよもう。辛いねー。クソだねあいつ! いい人だと思ったのに、全然違うじゃん。どうして菜連ちゃん騙そうとしたんだろう。酷いよ」

 相手が泣いているのを見ると、あくびのように涙が移った。自分の中の汚いものを全て晒し切らないと、もっとひどいことになる気がして、吠えるように泣いた。高校の前を通る人たちの視線を感じたけど、構わずに泣いた。


 声を上げるタイミングがぴったりで、謎のハーモニーが響いた。杏沙乃はそのあともまだ泣いていたけど、私は綺麗にハモったのがなんだかおかしくて笑ってしまった。

「私、吠えたことはないけど、小鳥のさえずりが得意なの」

 杏沙乃のさえずりは本当に上手くて、水笛を吹いているみたいに美しかった。どこかで呼応するように鳥が鳴いた。昔から知っていたのに、杏沙乃にそんな特技があるのは知らなかった。そこまでの積み重ねがないのに、師匠のことを丸々分かっていると思っていたのが馬鹿だったのかもしれない。多分私はもう二度と吠えることは無いんだろうと思いながら、私は目を強く擦った。

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余計な指先 黄間友香 @YellowBetween_YbYbYbYbY

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