第5話

 結局、帰りのホームルームまで師匠から連絡はなく、メッセージも必要最低限なものだった。

『無理してクラスで爆発せずに外に出たのは賢明な判断だと思います。八時以降は家にいると思います。』

 たったそれだけだけど、音沙汰がないよりはましだと自分を納得させる。師匠に関してのことは、を寄せることができた。寄せておいて、実際にあった時にときほぐしていった方が楽だし、師匠ははっきり言ってくれるから余計なことがなかった。

 運動部の男子は、放課後に向けてもう着替え始めている。男子シャツを無造作に脱いでユニフォームを着る。煩わしくなくていいなと思う。

 パイプ椅子に座っていた担任がのそりと立ち上がった。担任は日本史担当だけど見た目だけは体育の先生に見える。こんがりと焼けていて、ポロシャツの襟を真っ直ぐにしている。最後に連絡、と着替え中の男子に構わず言った。

「もう知ってると思うけど、最近は盗難が増えている。休み時間とか、授業で教室を離れるときは貴重品は常に持っておくこと。自分の荷物はしっかり管理してな。部活ごとになんか言われると思うけど、備品もちゃんと見ておくように」

 冷ややかな笑いがクラスに漂う。なんだか頬を軽く叩かれているような気分になった。うちの学校の治安の悪いねー、とどこか他人事な感じ。でも財布からお札を盗られた人は結構いて、最近はポケットにいれる人もいる。私の鞄はプリントとかが沢山入ってぐちゃぐちゃだからか、お金が盗まれたことはなかった。

「あいつさ、よく教室からいなくなるよね」

 誰が言ったんだろう。視線が集まって、波のように引いていった。あれ、もしかしてサボりつつ盗んでたのかな。冗談半分に見えて、本当に思っていたりするから侮れない。顔に熱が集中して、カッと熱くなった。指の第一関節から先がなければ、お金をつまめないから疑われることもなかったでしょ。余分なものを削ぎ落としてクラスの人たちと治安悪いねと普通に喋れる。それを思うと指先なんて安いもので、私はいつでも差し出せると思った。自分でやるのが怖いだけで、師匠にお願いして切ってもらってもいいような気さえする。

「犯人探しじゃなくて、自分の身の回りを気をつけてくれればいいから。また何か進展があれば、連絡します」

 そう言いつつ、担任はちらりと私のことを見た。たまたま目があったように装っているけど、わざとらしかった。頭の中で師匠みたいに遠吠えをしてみる。頭のなかでだと私はいつまでも吠えることができて、仲間を見つけるために何度も鳴いた。くぅちゃんみたいにちゃんと聞いてくれるんだったら、私だってきちんと話せる。くぅちゃんみたいな人がいないか、学校の中をくまなく探し回る。どの教室に行っても、私の遠吠えをクスクスと笑うだけで、返してくれる人はいなかった。私の話を、いろんなところに飛んでしまうとりとめのない言葉を聞いてくれるのは、師匠とくうちゃんしかいない。

 日直のやる気のない号令で、HRが終わった。鞄の中からしわくちゃになっているプリントを取り出して、伸ばしていく。よく見たら二ヶ月前とかのプリントが折り紙の途中みたいに折れていた。それも全部伸ばして、ファイルに入れる。顔は火照ったままで、いつまでも引いてくれなかった。整頓された鞄の一番目立つところに財布を入れる。

 師匠にメッセージを送ろうとしても、言葉にうまくできなくて何度も書き直した。文字を付け足すたびに自分の苦しさとは違ってとうとう文字でも伝わらなくなってしまったのかとスマホを落として画面を割ってしまいたくなった。

『最近、うちの学校は盗難が多いみたいです。明日掃除の時とか、師匠もお財布とか気をつけて。夜また遊びに行きます』

 何も含まない文章を送っても、違和感はぐるぐると身体の中を巡っている。メッセージにはすぐに既読がついたけど、返信はなかった。


 八時きっかりに師匠の家に着いた。今日はコンビニでお菓子と、くぅちゃんが食べれるようにビーフジャーキーを買った。狼だからもしかすると食べないかもしれないけど、コンビニにいる中で一番可能性があるのを選んでみた。信号は青で、顔みたいな模様は見ないまま走ってきた。いつもどおりに310号室に手だけ伸ばしてインターホンを押す。309号室は明かりがついているのにしんとしている。今日も着ぐるみがいいな、なんて考えていたら、310号室から眠たそうな人が出てきた。

「今、誰かいませんでした?」

 大きく首を振った。あれ、師匠の家のインターホンって特別じゃなかったっけ。あれ、私もしかしてずっと間違ってる? 310号室の人は私のことを上から下までじろじろと見つめた。

「もしかして309号の人ですか? 夜にすごいうるさいんですけどなんとかしてもらえます? うちのアパートめちゃくちゃ壁薄いの知ってますよね。朝早いんで早く寝たいんですけど」

 違います。びっくりしたままの顔で言ったから、あんまり信じてなさそうだった。310号室の人は咳払いみたいなため息を吐いた。じゃあ言っといてもらえますか? あんまりうるさくすんなって。ギャーギャーやられると、まじで夜寝れないんで。あと高校生でしょ? あんまり夜遅くならないようにね。310号室の人は私の返事を待たずにドアを閉めた。防音だから音が漏れることはないって師匠は言ってたのに。緑の壁では足りなかったんだろうか。

 恐る恐る309号室のインターホンを押す。ちゃんと連絡したし、師匠はいるはず。何度か押してみても師匠は出てこなかった。308号室の人も出てこなかった。自分の心臓の音がはっきりと聞こえる。背中に嫌な汗が伝っていた。公園に行って自分一人で吠えた方がいいだろうか。溜め込んでよかったことはなかった。発散する。自分の中を渦巻いているいろんなものを外に流していくのを、着ぐるみという膜なしでしちゃって平気なのか分からない。師匠、と呼んでみてもドアは開かなかった。

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