ヤスケ

 フィスタが両腕をだらりと下げ、顔をやや前に出したノーガードの体勢で構える。ボクシングで見る構えだが、違うのはフィスタの両手には歪曲した刃のカランビットナイフがあることだった。

 上体をゆらゆらと揺らしているフィスタにヤスケが腕を振り回して襲い掛かる。フィスタはスウェー(上体そらし)とウィービング(フック系の打撃をかいくぐる動作)、バックステップで攻撃をかわす。そしてヤスケの腕が伸び切ったところを狙って、カランビットナイフで腕を切り裂きにかかった。しかしヤスケの馬鹿げた筋肉量のために、刃はヤスケの体の表面を切り裂くことしかできない。

 右、左とヤスケがフックをくり出す度に、壁には穴が空き、廊下の鉄の柵は拳型にひしゃげていく。

 二人の戦いから距離を取っていたディアナがコンパウンドボウでヤスケを狙う。だが、ふたりとも激しく動くためなかなか的を絞ることが出来なかった。

「くそ……。」

 ディアナの狙いに気づいたヤスケがフィスタを横蹴りで吹き飛ばそうとする。

 フィスタは両手を交差させて蹴りをガードするが、ヤスケの力で吹き飛ばされてしまった。軽く宙に浮いた後、カーリングのストーンのように廊下の上を滑っていく。

 フィスタが倒れると同時にディアナが矢を放った。

 ヤスケは両腕でその矢を受け止める。筋骨隆々のヤスケの体は矢の先端を滑らせ、矢はマンションの共有廊下の壁を叩きながらヤスケの背後へと消えていった。

「うそ!?」

 再びディアナは矢を装填するが、ヤスケにジャケットの袖を掴まれていた。

「う……!」

 ヤスケが腕を振り上げる。顔には満面の笑みがあった。

「ディアナ、逃げ……。」

 左フックがディアナの腹部に入り、ヤスケの拳の形に合わせてディアナの肋骨が砕けた。

「ごぶぅ!」

 ディアナの口から血が飛び出す。その一撃でディアナの顔からは生気が失われていた。

「ハハハッ」

 ヤスケがさらに腕を振り上げる。狙いはディアナの顔だった。

 絶体絶命、そう思われた瞬間に、マンションの壁をぶち抜いてヤスケに体格負けのしない、薬物投与で筋骨がゴリラ並みになっているクレイトスが現れた。

 クレイトスはヤスケの顔面を掴んで廊下の柵に押し込み、さらに柵を破壊しながら一緒に三階から落ちていった。

 二人の鈍い落下音、常人ならばこの段階で動けなくなりそうなものだが、クレイトスとヤスケはすぐに立ち上がった。

「ワーオ!」

 ヤスケはクレイトスの出現に驚いて口をすぼめる。

「うるぁああああ!」

 クレイトスがヤスケに殴りかかる。

「ハッハ~!」

 ヤスケも拳を振り上げる。

 お互いの顔にお互いの拳が当たる。ふたりは怯むことなく左右の拳をお互いの顔面に叩き込み続けた。それは技術もへったくれもない、まるで野生動物の縄張り争いの喧嘩のようだった。

「ディアナ、意識はある?」

 一方のフィスタは、重症のディアナをマンションの部屋に匿い様子を見ていた。触診でディアナの肋骨が内臓に刺さっていることが分かる。

 ディアナは苦しそうに呼吸をしているが、フィスタが話しかけると微かにうめき声を上げるので、どうやら意識はあるようだった。

 フィスタはディアナが呼吸をしやすいように衣服をはだけさせる。

「ごめんねディアナ、あなたをここに置いていくけど……やばかったらこれを使って」

 フィスタはディアナの手に銃を握らせた。

 ディアナはうっすらと目を開けてフィスタを見ると、微笑んでうなずいた。

「……じゃあね」

 その頃、マステマの手下を迎え撃ちながら、チャカは異変に気付いていた。マステマの姿が見当たらないのだ。マステマがいたら、もっと戦況はプライベーターたちにとって苦しいものとなっていたはずだった。

 チャカは端末を取り出し、マァトに連絡を取る。

「マァト! 妙だ! マステマの姿が見当たらない!」

『……チャカ、どうやらマステマは貴方たちのいるマンションからは撤退しているみたいヨ……。』

「何だと?」

『方向からすると、テセウスさんが乗っている車を追っているみたイ……。』

 ルーシーがテセウスと一緒にマンションを離れていたことがばれていた。

「どうしてだ……。」

 チャカは空を見上げる。上空にはドローンが数機飛んでいた。

「マァト……センターからドローンを飛ばしてるか?」

『飛ばしてるけど、一台だけヨ。今はゲートの様子を見に行っているワ……。』

「……くそ」

 チャカはドローンを全て狙撃して撃墜すると、フィスタに通信をつなげる。

「フィスタ! マステマはルーシーを追っている! 奴らにルーシーと別行動にしたことがばれてやがった!」

「うそぉ! どうすんの!?」

「もちろん、今からでもマステマを追いたいが……。」

 チャカは一階からマンションの前に出ようとするが、車を止めている所にはマステマの手下たちが未だ大勢いた。

「どうすればいいんだ……ん? なんだあれは?」

 空からドローンに吊るされたロボットが降りてきていた。190の長身で、ミリタリーパンツに胴体は白いプロテクターを組み合わせたような体で、胸のふくらみで最低限の女性の体だと区別がつくフォルムだった。顔は多層ポリカーボネートの面で覆われていて、両手にはコイルガン※とネットランチャーを装備している。

(コイルガン:電磁石の磁力で銃身内の弾丸を引き込んで加速させ発射する銃。)

 ロボットはチャカの目の前で着地した。

『待たせたわね、チャカ……。』

「マァト……え? マァトなのか!?」

『ぜんぜんおしゃれな要素がないから気分が上がる義体ではないのだけれど、仕事だから仕方ないわネ……。』

 マァトはマステマの手下たちに向いてアナウンスをする。

『貴方たち、ここにはもうすぐ街軍の増援が来るわ、大人しく降伏しなさい。もし抵抗を続けるならば……』

「うるせぇがらくた!」

 話している途中でマァトの顔に手斧が投げつけられた。

「あ、マァト、大丈夫か……。」 

 ポリカーボネート製のカバーで無事だったが、マァトは『度し難いワ……。』と呟くと、マステマの手下たちに向かってコイルガンを発射した。

「うわ!」

「ぎゃあ!」

 気の抜けた発射音で、低致死性ともされているコイルガンだが、顔に当たれば相手を失明ないし行動不能に追いやることが出来る。さらにマァトはネットランチャーでネットをマステマの手下たちの上に降らせて行動を封じ、背中の筒から催涙ガスが入った爆弾を発射した。

「マァト、助かったぜ!」

 チャカは隙を見てマンションの前に停めていた車に乗り込み、マステマの後を追った。

 運転しながらチャカはテセウスと通信をつなげる。

「じいさん、無事か!?」

 ルーシーとメンデルを連れて逃亡中のテセウスが応える。

『お、おう、こっちは大丈夫だが、どうした?』

「マステマにこっちの目論見がばれた! そっちに向かってやがる!」

『なに!? しかし、どうやって……。』

 テセウスが見上げると、上空には見慣れないドローンがいた。

『やろぉ……。』

 テセウスはドローンから見られないよう建物の中に入り、建物をつたって移動する手段を取った。

『チャカ、俺たちは六番通りの倉庫に入ったっ。位置情報を送るぜっ』

「……六番通りの倉庫か……それならっ」

 チャカはハンドルを切り、目的地へのショートカットのため、車幅がぎりぎり通るくらいの細道を強引に走り始めた。ゴミ箱を跳ね飛ばしながら、チャカは「すまねぇ……」と弟の形見を汚したことを天に向かって詫びていた。

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