第36話 少女旅宿

「ここだな……」


「ふひ~☆」


 最寄り駅から五キロほど歩いただろうか。安達の家は、山々に囲まれた、ごく穏やかな場所に建っていた。


 この辺りは汚染されていないらしく、重苦しい防護服を着ずに済んだのは救いだった。


 つつましい庭には、葉の落ちた木が一本生えていた。その根元には青いポリバケツが奇妙なコントラストが生み出している。大方、肥料でも作っているのだろう、二、三匹蠅が飛んでいるのが見えた。


 壁に立てかけられた農具を見るともなく見つつ、俺は引き戸をどんどんと叩いた。


「安達? いるか?」


 ややあって、戸が開かれる。


「珍しく客が来たと思えば、貴様か、鳴海」


「安達、少し痩せたか?」


「馬鹿を言うな、かえって筋肉がついたくらいだ……ん? そっちのお嬢さんは?」


「ああ、こいつはデイジー。ちょっとこいつ絡みで相談があってな」




 久方ぶりの再会となった安達は、俺の同期にあたる。


 弱冠十八にして情報部からのスカウトを受け、公務員として身を立てていたのだが、父親の死を受けるやいなや、病弱の母を支えるべく、故郷である農村へ引き返したのだった。


「安達、しばらくだった。家族は元気か?」


「お陰様で何とかやっている」


「そうか、それは何より。しかし、お前が急に故郷くにに帰ると言った時は驚いたよ。同期の中でも一際将来を期待されていたお前が」


「何、元々寒村の出の長男坊だ。これまで好き勝手させてもらった分の孝行をするのも悪くないと思ってな。それに、田舎の空気というのは良いものだ。時間があれば貴様を案内したいところだが、わざわざ俺のところに来たということは、火急の用と見た」


「鋭いな。早速で悪いが、この頃の政府の動きについて聞きたいことがあってな」


 安達の表情が僅かに揺れる。


「やはりか。俺も、昨今の情勢はキナ臭いと思っていた。まあ、玄関先で立ち話もなんだ。まずは上がれ。そっちのお嬢さんも一緒に」


「う……うん」


「なんだお前、緊張してんのか?」


「な、なんか今までの人たちとタイプが違うよーな……?」


「ああ、安達は元々こういうしゃべり方なんだ。悪いやつじゃないから心配するな」


「どうした? 上がれ」


「ほら、行くぞ」


 デイジーの手を引いて、俺たちは安達の家に入った。


 沓脱を上がると、床板がキイ、と小さく鳴った。外見相応に、築年はなかなかのものらしい。


 しかし、中はきちんと整頓されており、どこか整然とした雰囲気を醸している。こうしたところに、安達のまめな性格が滲み出ているようだった。


「今日はお前一人か?」


 布団の掛かっていない掘り炬燵に足を入れつつ、尋ねる。


「ああ、家族なら奥の部屋だ。何、気兼ねしなくて良い。茶でも淹れてくる」


 安達の背中を見送ると、デイジーがくいくいと、俺の服を引っ張った。


「どうした?」


「あれなーに?」


「ん?」


 指さす先には、古びた神棚があった。


「ああ、あれは神様を祀ってんだよ」


「カミサマ?」


「お前、そういうことも忘れてんのか。神様っていうのは……なんだ、精神的な拠り所というか、超自然的存在というか……」


「……?」


「まあ、あれだ。困ったときに助けてくれるありがたい相手だな。だから、ああして祀ってるんだ」


「ナルミンは信じてるの? カミサマ」


「どうだかな」


「何の話だ?」そこに安達が戻ってきた。「茶だ」


「ありがたい」


 受け取って口をつける。煎茶などいつぶりに飲んだだろうか。


「いい香り~☆」


「ほう、茶の良し悪しが分かるとは、見所のあるお嬢さんだな。デイジー、で良かったか?」


「うん! わたしデイジー☆ ナルミンがつけてくれたんだよ~☆」


「ほう……鳴海が、か」


 安達がにやり、とする。


「おい、余計なこと言うんじゃない」


「余計じゃないもん☆ 大事なことだよ~☆」


「そうだぞ、鳴海。デイジー嬢の言う通り、名前とはかけがえのないものだ」


「ちっ……」


 何となく気恥ずかしく、茶を啜っては誤魔化す。 そのまましばらく、俺と安達はとりとめもない話をした。主に話題は学生時代の時のことで、久方ぶりの再会だけに、話題は尽きなかった。


「どれ……そろそろ本題と行くか、鳴海」


 茶がぬるくなり、話題が一段落ついた時、安達が切り出した。俺も、意識を切り替える。


「そうだな……。今日来たのは、こいつについて、何でも良いから情報が欲しかったからだ」


「デイジー嬢か……。実は、俺も貴様に会う前から、話だけは聞いていた」


 安達は、戸棚から何やらファイルを持ち出してきた。「実は、政府の通信に関して、以前の同僚に流してもらっていてな」


 安達は、ファイルを開けて見せた。中には、整頓された書類が覗く。


「聞けば、デイジー嬢を、近々押収する計画があるらしい。無論、秘密裏のことではあるが……。それに何やら妙な動きもあると聞く。貴様、デイジー嬢のことはどれくらい知っているのだ?」


 その言葉で、俺は知り得た情報を何一つデイジーに伝えていないことを思い出した。戻ってからのゴタゴタで、伝えそびれていた。


 デイジーを見る。不思議そうにこちらを見つめる顔。伝えても良いのだろうか、こいつが”軍事用”であると……。


「ナルミン、だいじょーぶだよ」


「えっ?」


「どんなことでも、わたし、受け入れられるから」


「デイジー……そうか、わかった」


 安達に向き直る。


「安達、あれは先の大戦以前に製造されたものだ。本来、人間の介助用に作られている」


「介助用? それをどうして政府が欲しがる?」


「それは名目だ。本当のところ、デイジーは軍事用に作られた。もちろん、公には伏せられていたが……」


「なるほどな。つまり、政府は敵にデイジー嬢をぶつけんとしている訳か……」


「デイジーが敵を追っ払うところは俺も見たことがある。確かに、デイジーならあるいは可能性はあるかもしれない。しかし……」


「ああ。些かむごいな。それに疑問も残る。敵勢力に対し、デイジー嬢だけではあまりに無謀だろう。単体では、群体には結局勝てないものだ。何か政府には勝算がある、ということになる」


「そこが俺にもわからない……」


「まあ、デイジー嬢には、それだけの価値があるということだろう」


 冷め切った茶をぐっと飲み干し、安達がため息をついた。


「何にせよ、用心することだ、鳴海。監視の目は案外、貴様の近くにあるかもしれん」


「ああ」


「ん……? 何か物音が……」


 安達が振り向くのと、戸が荒々しく開けられるのとは、ほぼ同時だった。


「何だ、貴様らは」


「名乗る必要はない。そこの機械を、こちらに明け渡せ」


 入ってきたのは、がっしりとした体躯の男。シックなスーツを纏い、冷めた目をこちらに向けている。


「ご挨拶だな。デイジー、後ろに」


「ナルミン……」


 デイジーを下がらせ、退路を探す。裏手から何とか逃げ出せるか……。


「鳴海、貴様はデイジー嬢を連れて逃げろ。ここは俺が引き受ける」


「安達……」


「行け」


 有無を言わせぬ安達の口調に黙って首肯し、俺はデイジーと駆けだした。


 思った通り、裏手は勝手口になっている。迷わずそこから躍り出、ひたすらに駆ける。


 事前に確認したところによれば、このまま行くと、草木が密集している地点に辿り着くはずだった。そこに暫く潜んで、やり過ごすしかなさそうだ。


 そう踏んでいたが、甘かった。どこもかしこも、人の気配がする。ここに来たときから、すでに術中だったのだろう。


「万事休すか……」


「ナルミン……」


「大丈夫、大丈夫だ」


 デイジーの頭を撫でてやり、何か手はないかと思案するが、何も浮かばない。

 背後で、草を掻き分ける音がした。まずいと思ったときには、強い衝撃が俺の頭にあって、それきり、何も見えなくなった。

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