第3話 シニストレアの鏡像 4-⑵
港から見える海は、沖合がわずかに波立っているほかは至って穏やかだった。
異国の船――おそらく貨物船であろう――がゆっくりと行き交い、その間を伝馬船と呼ばれる小型の船が忙しく行き来していた。
流介は港に停泊している船を横目でとらえつつ、一風変わった知人とその船を探した。
やがて他の伝馬船とは明らかに異なる異様な外観の船が目の前に現れ、流介は桟橋に足を踏み入れると前方にある船――いっそ「館」と呼びたいような奇怪な小型船を目指した。
幻洋館と名付けられたその船は、船の上に玩具のような洋館が丸ごと乗っている世にも奇妙な船であった。
「こんにちは、匣館新聞の飛田です」
流介が扉の前で名乗ると、頭上から「やあ、飛田さんじゃありませんか。どうぞお入りください。鍵はかかっていませんよ。中に入ったらそのまま二階の『書斎』に来て下さい」と声が降ってきた。
流介が天を仰ぐと、二階の窓からお馴染みの美青年――水守天馬がにこにこしながら「上がって」という仕草をしているのが見えた。
「お邪魔します」
扉を開け館の一階に足を踏みいれた途端、流介はいつものように軽いふらつきを覚えた。
一階はがらんとしているのだが床のタイルが不規則にはめこまれているため、奥行きがわからなくなるという異変が起きるのだ。
流介がらせん階段を上って二階に行くと、大きな本棚を左右にしつらえた『書斎』で天馬が「ようこそ」と出迎えた。
「やあ天馬君。今日はどうしても君に意見をうかがいたいことがあってね」
「ふふ、承知してますよ。『手をくれ面』のことですね?」
天馬は何もかもお見通しだと言わんばかりに、口の両端を持ち上げてみせた。
「さすがは天馬君、いかにもその通りだよ。昨日『港町奇譚倶楽部』で日笠和尚やウィルソンさんの推理を聞いてきたんだが、どうも最後のひとかけらがうまくはまらなくてね。そこでぜひ君の知恵を借りたいと思ってやってきたのだ」
「まず、これまでに分かっている内容をお聞かせ願えますか」
流介が『奇譚倶楽部』で披露された推理と自分が見聞きした事柄を併せて語ると、天馬はひとしきり頷いた後で「なるほど、大体のことはわかりました」と言った。
「なんだって、本当かい?」
「ええ、たぶん」
「まったく、君の頭の中はどうなっているんだい」
流介が肩をそびやかすと、天馬は口元に笑みを湛えながら階段の傍にある地球儀を左右に回した。
「まず、この事件最大の謎は、佐吉が仏壇に供えていた「手首」は何だったのかということです。これに関してはある程度当てはまる仮説を持っています。飛田さんは『栄光の手』という物をご存じですか?」
「栄光の手?」
「はい。西洋の言葉ですが、これは死体の手を乾燥させたものと死体の脂肪から造られた蝋燭のことを言います」
「ろうそくだって?」
「はい。『栄光の手』を燭台のように立て、そこに死体の脂肪でこしらえた蝋燭を立てて火をつけます。するとそれを見た人が魔力で動けなくなるという言い伝えがあるのです」
「魔力だって?まさか佐吉さんが持っていた手は、死体から切り離した手だというのかい。信じられないな」
「本物かどうかはわかりません。しかし少なくとも佐吉さんはそう信じていたと思われます」
天馬は本棚から何冊かの本を取り出すと、小さな書き物机の上に置いた。
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