第35話 我慢の果てに

オレの躰から臓腑がはみ出ていく。まるで絞り出された歯磨き粉のように。

 咲き乱れるサクラソウを、ドロドロの薄ら黒い血が小汚く染めていくのを眺めながらゆっくりと視界が狭まる。

 消えゆく意識の中、傍に誰かが近寄って来た。

この綺麗なおみ足・・・見覚えのある編み上げのサンダル・・・。

 リッチェ!!リッチェなのか!?


「・・・はっ!!」


 唐突に開かれたオレの目に急速に色彩が戻る。風に吹かれ舞い散る花びらが頬をかすめた。精神と躰が次第に繋がる中、ぼうっと彼女を探すが、そこにリッチェはいない。

 オレは・・・ハインツにやられて・・・

そうだ!!体、食い千切れ・・・て・・・無い!!何だ??どこもなんともないぞ??どういうことだ??


「フフフッ!!アハハハハ!!やっぱりいいねえ!キミの驚く顔は!

・・・どうだい!?なんとも無いだろう?キミに、私の魔力のみで噛み付いてみたんだよ」


 チクショウ!アイツの魔力に飲まれ、あてられてたのか!今は竜の姿だというのに、ハインツのニヤけたツラが透けて見えるようでむかっ腹がたつ!


「ふざけるのも大概にしろよ!今のはドッキリとかそういうレベルじゃなかったぜ!!」


 確かに身体的には何もないが、心に、というか、触れてほしくは無い部分に噛み付かれた様でとても嫌な気分だ。

 お陰で背中がヒリつきやがる。


「私はね、此処に竜飼いの素質の有る者を連れて来て、今のように魔力で噛み付き、その者の本質を視るのだ。その際に邪な魔力があれば私がそれを喰う。そして廉潔の身となってもらい、竜を授けるのだ。

 普段は儀式の一環として行うのだけれどね。キミの場合は不意打ちだからびっくりしたろう?・・・ところでキミは・・・」

「うるせぇよ!よこしまだか縦じまだか知らねぇが、オマエのせいでイライラすんだよ!!マジで!」


 これ以上苛つくと危ねぇ。またアザにのまれちまう。オレにはやらなければならない事がある!聞きてぇ事だけ聞いて、サッサとおさらば、コイツとはもう関わらないようにしねぇと!

 深く息を吸いゆっくりと吐き出しながら心を落ち着かさせる。


「フーーッ。怒鳴ったりして申し訳けない。ハインツ・・・いや、祖竜。貴女に尋ねたい事があるんだ。

“女神の涙”について教えて欲しい!!それは本当に存在するのか!?また、数々の奇跡を起こすって噂は本当なのか!?もし有るのなら、オレはそれが欲しい!!どうか教えてくれ!!いや、下さい!」


 オレは深々と頭を下げた。もしコイツが色々と知っていて、気分が悪いから教えてやらない!なんて事になったらようやくここまでたぐり寄せた糸が切れちまう。コイツなら、そう言いかねないからな!


「・・・女神の涙、か。目に指せば全てが見通せ、飲めば願いが叶い、空に撒けば死人が生き返る・・・確かそんな風に伝わっていたねえ?

 んー、ルイ君。キミはそれを欲してなんとするのかな?」

 

 やや鋭い目つきで、今度こそ本当に喰われちまうところまで顔を突き出してきた。

 目の前の本物の牙はぬらりとした光沢を帯び、その先はどこまでも鋭い。

(・・・脅しか?)だが、オレも退くわけにはいかない!


「それを手に入れて偉くなりてぇとか金儲けしてぇとかじゃない。ささやかな幸せを・・・オレにとっては充分過ぎるが・・・それには、奇跡が必要なんだ!!お願いだ!!どうか教えて欲しい!!」


 一歩下がり地面に擦りつける位に頭を下げ懇願した。コイツに土下座など死んでもしたかねぇが“女神の涙”となれば話は別だ。リッチェを生き返えさせらるのならばオレは何だってする!!


「ルイ君。実は、先程のひと噛みでキミの事は少し視させてもらった。だから何故必要なのかは判っているよ?キミの心の大半は、髪の長い少女との思い出でで一杯だった。それはとてもステキな思い出・・・。また同事にその娘がどうなってしまったのかも、ね。

キミは・・・その娘を蘇らせたいのだろう?だから女神の涙が欲しいと」


「・・・そうだ!いや、そうです。だから、どうか、お願いします」


 コイツ、やっぱり人の心に干渉してやがった!思い出に土足で踏み込まれたのはとても許せねぇが、とにかく今は下手したてに出ねぇと!・・・我慢、我慢だ。


「そうだねえ。3回まわって“ワンダフル!!”って言ったら、考えてみてもいいかな。それでダンカンの街での事はなかったものとしてあげよう」


 ・・・ちいっ、根に持っていやがったな!

祖竜なんだろ!?俗っぽいな!


「・・・あの時はわるか・・申し訳けなかったです。仕方なかったんだ、色々あって。それに、ハインツが女性だと知っていたら、オレはもっと紳士的だった!」


 「男性であったとしても紳士的であって欲しいものだね」


 ぐうの音も出ない。しかしお前が言うか!色々言いたい事はあるが「リッチェのため、リッチェのためだ」と呟き、深く息を吐く。

・・・はん!!見てろよ!?オレはシラフでも結構いけるんだぜ!!

 シェネからのよろけ三回転!両手を高く上げポーズ!!


「ん~ワンダフ~ル!!」


 満面の笑み!!ほとばしるエネルギー!!

どうだ!!このヤロウ!!


「ククッ・・・アーッハッハー!!いやあ、よくも、まあ!!歳の割にはキレがいい!頑張りましたね!!」

「っ!じゃあ!!」


「いや、思ったよりも面白くなかったかな」

「オマエ!!」

「何か??」

「何でも・・・ございませんです」


 クッソ~!!コイツッッ!!完っ全に遊んでいやがる!・・・あ・・・イライラが・・・!!ヤバいな。押さえ込めるギリギリのラインまできてやがるのがわかるぜ!


「本当に、お願いします。もう、ふざけるのはよしてください。お願いします!・・・お願いします!!」


 オレは歯を食いしばり、再び地面に頭を擦りつけた。


「ハハッ!とても不様だ!ソレは中々面白いよ。これで“教えてやらない”って言ったら、キミはもっと色々見せてくれるのかな?」

「テメエ!!」


 ・・・ああ、もう・・・無理だ!!押さえ込めねぇ!

 オレの背中から蝉が羽化するように黒い塊が頭をもたげる。


 “思いの通らぬ世界ならばいっそ滅んで終え”


 もう一人のオレが囁く。


「ォおおおおおおおっっ!!」


 咆哮と共に不愉快な悪意がそこかしこに飛び散る。魔力で作り上げられた景観は歪み、結界が雷電を伴い激しく反発する。


「これは、すごい!まさかこの私が冷や汗をかく程とは!ただ・・・まだ何かに守られているね。

・・・ふむ。もう少し煽ってみるかな!?」


「「そのあたりで、もうおよしなさい」」


 今まで、隣で静かにしていたリンの様子がおかしい。眩いばかりにひかり輝く霧となり、やがて、それは形づく。

(・・・リッチェ!!)

 かろうじてへばり付いている意識がその姿を認めると、自然と涙がこぼれ落ちる。


「お、お、お、お・・・」


 何か声をかけたいが言葉にならない。


「これが、あなたの愛するものの形、ですか。とても素敵ですね。

 初めまして。私はあなたが探し求めている者、女神と呼ばれている存在。今はこの竜を通してですけど。まずはその悪意、納めていただきましょう」


 “女神”と名乗る、リンを借りたリッチェの姿のそいつが右手を差し出すと、辺りに散らばる霧の悪意と共に、一旦オレの体から魔力が引き剥がされて球体となり、 再びオレの背中へと戻された。

 急激な魔力の移動にオレの精神が悲鳴を上げその場に突っ伏してしまった。


「ハインツ、よくぞ引き出してくれました。お陰でだいたいの見通しが立ちましよ。・・・やり方には少し難がありましたけどね」


「面目ございません。長きにわたりヒトの姿であったが為、役が染み付いてしまっているようで・・・」


「あなたの子供達は?」


「はい。全ての竜、滞りなくめぼしい者達の元へ。私の側近七匹、一匹は既に。五匹は派遣、もう一匹は只今でございます。あまり時間がない故、禊ぎは行いませんが、精査は済ませてありますのでご安心の程を」


「そうですか。ご苦労さまでした」


「勿体ないお言葉に」


 激しい眩暈と吐き気に襲われているオレに優しい光を浴びせながら“女神”が近寄って来た。


「許して下さいね。あの子に悪意はないのです。あなたが魔人化するように仕向けろと私が頼んだのです。あなたに、どれ程の悪意ある魔力が内包されているのかが知りたかったのです。

 ・・・私を探す旅の間、随分と憎しみや悲しみを吸い込みましたね。ご苦労さまです。しかし、まだ、それでは到底足りません」


・・・仕向ける?吸い込む??意味が・・・オレの意識がまだはっきりしないせいか?それじゃあまるでオレがそうなることが予定されていた、と聞こえるのだが・・・?


「あなたは、私の元へ来る様定められている者なのです。・・・と言うより、私があなたをそう運命づけ、蘇えらせました」


「あなたは、(魔王)となるのです」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

RUIRIN 涙鱗 ~竜飼いのオッサンは女神の涙を見られるのか~ @kadononai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ