6 産声
オリダの出産予定日は、熱い大気の月が終わり山々が冷気を帯びる頃だった。
誰の見立てでも、同じ週数の妊婦より腹がせり出していた。
その日が近づき、オリダは友を頼った。
「カスタネア、お願いがある。門番のタククスの元へ行きたい」
カスタネアはオリダの願いを無下にすることができなかった。
ふたりはフード付きの黒い長衣をはおって、そろりと城を抜け出した。
オリダは見慣れた木戸をたたく。
少年が出てきた。
「もうじき、産まれる。ここで産ませて」
脂汗をにじませたオリダの表情を見て少年は、すぐに兄を呼びに行こうとした。
「その前に湯を沸かす用意をして。布は持ってきた」
「どうして、ここで産もうなどと」
カスタネアは、小さな部屋を見渡した。粗末な寝台にオリダを横たえさせた。
「他の
「……」
「もし、産まれたのが、——ならば、その場で
何を今さらたしかめるのだろう。
オリダもカスタネアもしてきたことではないか。
ほどなくして、タクススが息を弾ませて戻ってきた。夜番は弟と替わったという。
オリダの枕元にひざまずき、その手の甲に接吻するさまを、カスタネアは苦々しく見た。
誇らしき高嶺の花を、ただの野草に代えてしまった、その情夫が、どんなに美丈夫でも許せない。
「湯を沸かしてください」
タクススに命じた。
「オリダさま。お覚悟を。どうしてでも夜明けまでに産みたいのでしょう?」
「えぇ。お願い、カスタネア」
促進剤なる薬草がある。それを使えば出産は早まる。そして、
等間隔で、ひどい痛みが来ているだろうに、オリダはハンケチをくわえ声を押し殺していた。叫び声をあげて、ここで出産しようとしていることを知られたくない一心だろう。
その我慢強さにカスタネアは
カスタネアは、「オリダを支えて」とタクススに頼んだ。座位の姿勢を取らせて、赤ん坊をカスタネアがすくいあげる位置に座る。
促進剤と術のかけ合わせ。赤ん坊は、するりと産まれた。次に胎盤が出てくる。それを鉄鍋で受ける。赤ん坊は小さくて、鉄鍋に胎盤ごとおさまった。
この辺りの出産は、産まれた赤ん坊と胎盤をつなぐ、へその緒を切らない。へその緒が渇いて自然に落ちるのを待つ。それよりの優先事項がなければ。
ひとり産まれて安心する時間はなかった。
オリダの腹は、普通の妊婦より大きかった。考えられることは——、思っていた通り、もうひとりが産道を降りてきた。
「赤ちゃん……」
オリダが手をのばす。
オリダの出血は、ひどい。
赤ん坊に左の乳首をふくませると、オリダは小さく加護の術をつぶやいた。
カスタネアはオリダの右の乳に、もうひとりの赤子を添わした。
タククスは、その枕元にいるしかできない。
左の乳を吸っていた子供が、口を乳首から離した、そのときを見逃さずに、カスタネアは抱き上げた。
「日が昇らぬうちに城外へ連れて行け」
タクススに命じた。
「はい……」
青ざめたまま、タクススは寝台のオリダに目をやった。
汗に髪がはりついた額。顔色は雪のように白かった。唇が、かすかに動いて何かを訴えている。タクススは、その唇に耳を近づけた。
「街道の脇に山へと昇る道がある。朝日があたるほうの山肌に、石像の目印が立っているから、その通りに登って行け」
カスタネアは赤ん坊を荷物のように布にくるんで、タクススに渡してきた。
タクススは、その無言の小さな包みを手に長屋の住まいを出た。
「
そう告げたタクススに、門番の男は、ちらりと小さな包みを見ただけだ。
「あいよ。お役目、ご苦労さん」
タルコは城門の近くにはいなかった。他を警備しているのだろう。
ソレスに来たときにみかけたことがあったのだ。
タクススは石像を目当てに山肌を登った。
道の終わりに
『その
腕の中の赤ん坊をタクススは離せないでいた。
『お願い』と、あのとき、オリダはつぶやいていたのだ。
『赤ん坊をお願い』と。
それは、捨てろと言ったのか?
ここに赤ん坊を置いていけば、やわらかい肉の匂いをかぎつけて、森の獣が来るだろう。自分の手を汚すこともない。ないのだ。
とうとう赤ん坊が泣きはじめた。どうやら、術が切れた。
「あぁ。もう、さっさと置いていかないからさ」
聞き覚えのある男の声がして、タクススはふりむいた。
そこに立っていたのはゾーイと、
「貸しなよ。初乳は飲ませたかい」
女は慣れた様子で、タクススから赤子を引きはがそうとした。
「あっ」
とっさにタクススは両手を上にあげて、赤子を触らせぬ体制を取った。
「今、その
ゾーイが、いやな
「ほら。泣いてんだろ。おまえに乳、やれるわけじゃないんだから、あきらめろ。この女なら、たっぷり乳が出るからな」
「——男児は殺すんじゃないのか」
タクススは警戒を解かない。
「そりゃ、死ぬこともあらぁな。だが、丈夫な子供なら高値で売れるんだ」
「売るのか」
「おい。人でなしみたいな目で見るんじゃないよ。どっちかっていうと、こりゃ、人助けだぞ」
「オレの子は売ったりはしない」
「ふーん。どっちでもいいぜぇ。ただ、おまえ、その赤んぼ連れて、ソレスには戻れねぇぞ」
タクススは、すでに決めていた。
「……タルコに、弟に伝言をしてくれるか」
きっと、オリダは、赤ん坊を「生かしてくれ」と言った。
だから。
〈了〉
魔女の国の女と門番のバラッド ミコト楚良 @mm_sora_mm
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