#38 「冬メンテ」



 一月の冷え込みは容赦がない。

 エアコンの暖房は部屋を温めてくれるが同時に猛烈な勢いで湿度を奪っていく。

 卓上のデジタル湿度計を確認すると三十パーセントの数値を下回っていた。

 人間にとっても喉や肌に良くない環境だが木材でできている楽器にとっては死活問題だ。


 私はベッドから這い出し加湿器のタンクに水を入れる。

 噴き出す白い霧を眺めながら大きく伸びをした。


 ギタースタンドに鎮座するストラトキャスター。

 義母から譲り受けた大切な相棒だ。

 私はおもむろにそのネックを握り親指で弦を弾く。

 開放弦の響きに僅かな違和感を覚えた。


「……うーん、やっぱりか」


 特定のフレットで音が詰まる。

 乾燥によるネックの逆反りだ。

 指先でフレットの端をなぞると僅かな引っかかりを感じる。

 いわゆるバリが出ている状態。

 湿度の低下で指板の木材が収縮し金属製のフレットが相対的に突き出してきたのだ。


 放置すれば演奏に支障が出る。

 最悪の場合は木材にクラックが入る可能性もある。


「ありかーおはよー……さむいねえ」


 リビングへ向かうと義母の天音 優里あまね ゆりが毛布を被ったままソファで芋虫のように丸まっていた。

 寝癖が爆発している、義母の姿に溜息が出る。

 私はキッチンへ向かい手際よく朝食の準備を始めた。


「義母さん。部屋の湿度低すぎるから加湿器付けておいたよ。あと今日はギターのメンテするから」


「めんて? あー乾燥ひどいもんねえ」


 義母は毛布から顔だけ出してうんうんと頷く。

 彼女自身かつてはミュージシャンだったため楽器を労わる重要性は理解している。


「トースト焼けたよ。目玉焼きとウィンナーも」


「わーい! ありかちゃん大好き!」


 現金なものだ。

 義母は食卓に並んだプレートを見て目を輝かせる。

 私は自分の分の食事を済ませると食器を片付け自室へと戻った。


 作業を開始する。

 まずは机の上を整理し清潔な布を敷く。

 以前、天羽あもうさんから贈られた精密機器の中にはメンテナンスに転用できる高品質な工具がいくつか含まれていた。

 さらに義母の物置から発掘した古いリペア道具も並べる。

 前世で楽器店に勤めていた頃の知識と経験が脳内で鮮明に蘇った。


 私はまず弦をすべて取り外した。

 テンションから解放されたネックの状態を改めて目視で確認する。

 定規を当てて反りの度合いをミリ単位で把握した。


「トラスロッド……一回転の何分の一か」


 ネックの中にある金属の棒を調整する。

 回しすぎれば取り返しのつかないダメージを与える非常に繊細な作業だ。

 私は専用のレンチを差し込み手のひらに伝わる抵抗を神経質に感じ取りながら僅かに力を込める。

 一気に回すのではなく少しずつ状態を確認しながら。

 かつての感覚が指先に宿る。


 次は指板のクリーニングだ。

 レモンオイルを布に染み込ませ、表面を丁寧に拭いていく。

 乾燥で白茶けていた肌がオイルを吸い込み深みのある茶褐色へと色を変えていく。

 潤いを取り戻した指板はどこか生き返ったような艶を見せた。


 一番の難所はフレットのバリ取りだ。

 私は細目の金属ヤスリを手に取る。

 一本ずつフレットの端を慎重に削り角を丸めていく。

 勢い余って指板を傷つけないようマスキングテープで保護する手間は惜しまない。


 シャッ、シャッという規則正しい金属音が部屋に響く。

 削りカスを丁寧に除去し仕上げにコンパウンドでフレットを磨き上げる。

 鏡面のように輝きを取り戻したフレット群は美しい。


 次にブリッジ周りの清掃。

 サドルに溜まった埃や錆を落としネジの緩みをチェックする。

 電装系にも接点復活剤を少量塗布してガリの発生を未然に防ぐ。

 最後にジャックの緩みを締め直した。


 一連の作業を進めている間私は完全に没入していた。

 前世で生活のために嫌々こなしていた時とは違う。

 今は自分の大切な表現手段を守るための儀式だ。

 道具の一つひとつに愛着を感じる。


「……あれ」


 いつの間にかドアが開いていた。

 義母がマグカップを手に立ち尽くしている。

 その表情は驚愕に近い。


「ありか。すごいすごいとは思ってたけど、そんなことまでできるんだ」


 私は手を止めずに答える。


「動画サイトでリペアの専門チャンネルを見た。やり方は理屈で分かるし」


「……理屈はそうだけど。そのヤスリとかトラスロッドを回す時の迷いのなさとか……まるで何年も修行した職人さんみたいじゃない」


 義母は部屋に足を踏み入れ私の手元を覗き込む。

 子供が真剣な眼差しでギターを解体し再構築していく姿は彼女の目には異様に映ったのだろう。

 普段は可愛い娘として接している彼女が私の中に眠る「前世」の気配を敏感に察知した瞬間だった。


「長く使うものだから。お義母さんがくれた大事なギターだし」


 私は事実を淡々と述べた。

 義母は一瞬呆然とした後で困ったように眉を下げて笑った。


「そっか。……うん。そうだね。大事にしてくれて嬉しいよ」


 彼女は私の頭を優しく撫でると「コーヒー置いておくね」と言って部屋を出ていった。

 ドアが閉まる音を聞きながら私は作業を継続する。


 嘘はついていない。

 動画サイトで情報を得たのも事実だ。

 ただその情報をアウトプットするための経験が前世という形で蓄積されているだけだ。


 新しい弦を取り出す。

 ゲージはいつもと同じ。

 ペグに弦を通し一定の巻き数で固定する。

 チューニングを合わせオクターブ調整を行う。

 全ての工程が終わる頃には窓の外は夕暮れ時になっていた。


 私はギターを持ち上げ、椅子に腰掛ける。

 指板を滑る指に引っかかりはもうない。ネックの状態も完璧だ。

 アンプに繋がずそのまま和音を鳴らす。


「――――」


 メンテナンス前よりも明らかに音が明瞭になった。

 各弦の分離が良くなりサスティーンも伸びている。

 手入れをされた楽器はそれに応えてくれる。

 この瞬間こそリペアの醍醐味だ。


 私は満足感に包まれながら改めてギターを見つめる。


 部屋が冷えてきたことに気づく。暖房の温度を少し上げた。

 潤った指板と輝くフレット。

 最高のコンディションになった「新しい相棒」を手にすると創作意欲がふつふつと湧き上がってくる。


 冬休みも残り少ない。

 三学期が始まれば学校生活に時間を取られることになる。

 今のうちにこの研ぎ澄まされた音で新しい曲を形にしておきたい。

 私は録音機材の電源を入れマイクのセッティングを始めた。





 ******……





 1:名無しの視聴者さん

 動画投稿サイト"WWTube"について情報交換及び雑談をするスレです。

 荒らしは即通報&NG設定。

 ネットマナーを守りながら利用しましょう。


 次スレは>>950


 ……

 …………

 ………………


 512:名無しの視聴者さん

 おい

 リンカネちゃんが上げた動画見たか?


 513:名無しの視聴者さん

 見た見た

 ギターのメンテのやつだろ


 514:名無しの視聴者さん

 フレット磨きすぎて鏡になってて草

 あんなんプロの仕事やんけ


 515:名無しの視聴者さん

 普通小学生があんな本格的な道具揃えないでしょ

 ヤスリとかマスキングとか


 516:名無しの視聴者さん

 前にも掃除の件でガチ勢なのバレてたしな

 家事もリペアも「極める」タイプなんだろうな


 517:名無しの視聴者さん

 >>516

 道具を大事にする奴は信用できるって古事記にも書いてある


 520:名無しの視聴者さん

 リンカネ氏「冬の乾燥は敵です」

 説得力ありすぎ


 521:名無しの視聴者さん

 俺も自分のギター見直してみるわ……

 ホコリ被らせてる場合じゃねえな


 522:名無しの視聴者さん

 やる気出させてくれる配信者の鑑


 523:名無しの視聴者さん

 次の配信正座待機


 524:名無しの視聴者さん

 お前ら乾燥対策しろよ

 インフル流行ってるらしいぞ


 525:名無しの視聴者さん

 加湿器ポチった


 ……

 …………

 ………………


 1001:名無しの視聴者さん

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