第46話

 井上は顔を覆う。

 遂にその仮面は剥がれ、爛々とした目が隙間から輝いている。

「アイツが悪いんだ」

 呪詛の声が響く。

「ずっと一緒にやってきて、劇団も大きくなってきて……そんな時に、あいつは俺達を裏切ったんだ。俺達の劇団はアイツが居なくなってからまるで上手く行かなくなって、皆いなくなっちまった

 全て、上手く行くはずだったのに……」

 井上は矢沢の事情を知らない。

 花蓮が一瞬の迷いを見せている間に、井上は過熱していく。

「アイツの居場所はすぐにわかった。

 なんせトップスタアさまだからな。

 劇団もマトモに動いてない状況だったから、ここに事務所を移転するのだってだれも反対しなかった。

 そして……偶然思いついた、俺が犯罪者にならず、アイツを殺せる方法を」

 井上の目が何かの位置を確認する。

「全員動くなッ!」

 井上が服の下から銃を抜いた。

 しかし、この場にはもう一人の銃士ガンスリンガーが居る。

 井上よりわずかに遅く銃を抜いた花蓮は、井上より早くハンマーを上げると引き金を引いた。

 銃声が鳴り響く。

 井上の手から拳銃が吹き飛んだ。

 唖然とする井上は、それでもあきらめずにポケットからナイフを抜く。

 そのナイフが効果を発揮するより早く、刑事の手が井上の襟を掴み、大外刈りで地面に叩きつけた。

「現行犯逮捕だ、話は所で聞かせてもらう」

 井上に手錠をかけた刑事は、ゆっくりと立ち上がる。

「これまでの狼藉、失礼しました。綾小路さんは即座に署からお帰り頂きます。

 ……初心を、思い出しました」

 そして、刑事は花蓮に深く頭を下げる。

 あまりの変わり身に唖然とする花蓮に、刑事は恥ずかしそうに目を伏せる。

「真摯に事件と向き合っても、評価されるのは早々に事件の内容を決めつけて、真実を捻じ曲げて、事件のを演出できる刑事です。

 しかし私は、それにガキのようにいじけ、腐っておりました。

 ……今日のあなたを見て、もう一度、地道にやってみようと思えました」

 もう一度刑事は頭を下げる。

 良くも悪くも、随分と単純な男の様だ。

 苦笑を浮かべながらも、綾女が許すのならば花蓮はこの刑事を許そうと思った。

「すぐに綾女の事を開放してくださいね、約束ですよ」

「えぇ、部下に伝えます」


 二人の後ろのドアが開く。

 突然の来訪者に驚く花蓮の頭に、固いものが振り下ろされた。


 目の前が真っ赤に染まり、花蓮は地面に転がった。

 刑事が銃を抜くよりも早く、部屋に入って来た人物は刑事に発砲する。

「おいおい、ようやく見つけたと思ったら……愉快なことになってんじゃないの」

 部屋に入って来たのは2人組の男達だった。

「こいつ、事務所借りるだか何だかで凄い借金してんのよね。

 しかも返す当てナシ。

 なんでサツが居んのか知らねーけど、こいつ連れてかないと俺らが殺されんだわ。

 悪く思うなよ」

「じゃ、こいつ連れてくから」

 男二人組が井上を連れて行く。

 花蓮は血が噴き出す頭を押さえ、何とか立ち上がった。

「刑事、さん……」

「私の事は構わずに、奴らを追ってください……!ホテルに俺の馬が預けてあります!」

 撃たれた刑事は腹から血を滲ませ、動けそうにない。

「おつるちゃん!刑事さんをお願い!」

 花蓮は、割れるように痛い頭に涙を浮かべながらも、ホテルの外に飛び出す。

 男達は待機していた蒸気自動車に井上を乗せて車体を発進させる。

「逃がすかぁ……っ」

 血と涙に塗れながら、馬車に駆け寄った花蓮は馬に跨った。

 

 高利貸しのケツ持ちを受け持つヤクザたちにとって、それはいつも通りの取り立てになるはずだった。

 市立劇場前は一等地である。

 もとより、売れない劇団の団長が事務所を構え続けられるような場所では無かったのだ。

 取り立て対象は何故か警察沙汰になっていた用だが、彼らにはあまり関係の無いことである。

 払えないなら、体で支払ってもらえばよい。

 いつもの様に返済能力のない客を拉致して、ヤクザ達は蒸気自動車に乗り込んだ。

 最近この街でも手に入る用になった蒸気自動車は便利なものだった。

 ボイラーが暖まるまで発進できないこと、停車中の操作を誤ると爆発の危険性はあれど、一定の速度で走り続ける事が出来る鋼鉄の馬は悪党達にとっても魅力的なのである。

 燃料を燃焼させ、仕事が終わった気になっていたヤクザの一人は、馬の足音に後ろを振り返る。

 そこには、血まみれの女が髪を振り乱しながら馬を走らせる姿があった。

「な、何だよあれ!?」

 他のメンバーも、花蓮の怨霊の様な姿に恐れをなして銃を抜く。

「おい、てけ……」

 風に混じって、花蓮のかすれた声がヤクザ達の耳に届く。

「それは、冤罪の、証拠なんだ……っ!

 おいていけぇぇぇぇぇぇっ!」

「ひいいっ!?」

 鬼の様な情報で追ってくる血まみれの女に、荒事には慣れている筈のヤクザ達ですら震え上がった。

「 く、くたばりやがれ!」

 ヤクザ達は花蓮にウィンチェスターライフルを連射する。

 花蓮は予見していたかのように、蒸気自動車からでは狙いにくい角度に馬を走らせる。

 ウィンチェスターライフルの弾幕が花蓮を捉える前に、花蓮のS&W No.3が瞬く。

 あっという間の6連射は、ヤクザの一人を自動車の窓から外へ引きずり落とした。

 花蓮はNo.3を中折りトップブレイクし、空薬莢を後方にばらまく。

 巧子が弾倉を削って調整した半月挿弾子ハーフムーンクリップを2つねじり込み、花蓮は銃身を再びロックした。

 この素早い装弾こそが、金属薬莢と中折れ式の強みである。

 花蓮は即座に三連射、もう一人のヤクザの腕を吹き飛ばし、車内に押し返す。

 順調かと思われていた戦闘は、馬の失速という思わぬ形で足止めを食らう。

 体力の限界が来たのだ。

「そんな、もうちょっとなのに!」

 花蓮は歯を食いしばると、逃げる蒸気自動車とは異なる道に入った。

 そこは大通りであり、時折蒸気自動車や蒸気バスが通過していく。

「 ストーップ!」

 馬を置いて蒸気バイクの前に飛び出した花蓮に、バイクは衝突寸前で停止した。

「危ないじゃないか!死ぬぞ!

 って、キミ怪我してるのか!?」

「んな事は後回し!ちょっと足になって、お願い!今殺人犯を追ってるの!」

 蒸気バイクに乗っていた青年は、すぐにニヤリと笑った。

「そう言うことなら断るわけには行かないな!」

 花蓮を前に載せると、蒸気バイクは走り出した。


 花蓮を振り切ったと安堵するヤクザ達は、大通りから黒い塊が並走してきた事に目を見張った。

 蒸気機関車の頭に二輪とボディを無理やりくっつけたような見た目の蒸気バイクが、花蓮を前に乗せて蒸気を吹かす。

 まるで黙示録の第4騎士の様に、彼らを刈り取るためにどこまでも追ってくる。

「うわぁぁぁぁ!や、ヤツが居るぞ!」

 今度は銃を構える隙もなく、花蓮の銃が運転手を吹き飛ばした。

 コントロールを失った蒸気自動車が、民家の壁に追突して止まる。

 蒸気バスから這い出てきた最後の敵が花蓮に銃を抜く。

 花蓮は敵の肩と膝を2連射で砕いた。

 敵の居なくなったバスに、花蓮はフラフラと接近し、井上を引きずり出す。

「つかまえたぁぁあっ!」

 花蓮のあまりの形相に、井上はただ恐怖するしか無かった。


 後続の警官達がすっかり怯えた井上を回収していく。

「医者も来ていますし、署までご同行していただきたいのですが……」

 警官の運転してきた蒸気自動車に乗り込みかけた花蓮は、踵を返して、自分をバイクに乗せてくれた青年のもとへ駆け寄った。

「今日は巻き込んじゃってごめんなさい。

 今度綾小路相談所に来てください、お礼させて欲しいんです」

 青年はおかしそうに笑った。

「そうか!君、よく見たら藤堂花蓮じゃないか!

 血まみれで顔がわかんなかったよ。

 全く、綾小路とは本当に縁があるなぁ」

 事態が飲み込めていない花蓮に青年は名刺を手渡す。

「僕はこういうものでね。

 お礼なら結構、今日の君の活躍を記事にさせてもらうから、それじゃぁ!」

 青年は口早に別れを告げると、バイクで去って行った。

「あ、ここって……」

 そこには、綾女が反目しつつも愛読している三流タブロイド紙の名前が記載されている。

 世間は狭いものだと、花蓮はしみじみと思った。

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