02【アタシを匿ってほしいの】


 這いよる混沌をご存知だろうか?


 千の異形をもつと言われる外なる神の一人で、最強の邪神アザトースの世話役。神格は極めて高く、その戦闘能力も邪神の中でトップクラスの存在だ。時代ごとに姿を変えてきた這いよる混沌だが、現在のお姿はと言うと、

「今日は絶好のサスマティング日和だなぁ〜、風が気持ちいいのぉ〜」

 ……現在の姿は、毛量多めの白髪ツインテールの幼女である。


 サスマティングとは、サイクリングの刺股バージョンと言ったところか。刺股に跨り空を散歩するのが、今の這いよる混沌のマイブームのようだ。要約すると、幼女が刺股に乗って空を飛んでいる。


 這いよる混沌ナルラトホテプもまた、ここ、夢咲町に住むヒトならざるモノの一人だ。人間界では名を成瀬なるせとしている。人は皆彼女を成瀬さんと呼ぶ。


「コーナソで買ったこの刺股、なかなかの乗り心地だな。風の切れが違う」


 知った風なことを言いながら目を閉じ全身で風を感じる成瀬さんは気付いていない。

 目の前に巨大な看板が、——三階建てビルの二階から三階のフロアを拠点とする、パパスリア住建の看板が迫っていることに。


 ゴツン、と鈍い音が鳴ると同時に、成瀬さんの意識は現実へと引き戻された。文字通り星を見たであろう成瀬さんは地面に落下、ホームセンターコーナソで買ったばかりの、お気に入りの刺股は無惨に大破した。



 陽も傾き空も赤く染まる頃、双羽はブチョーと別れ帰路についていた。商店街で食材を買い、町の端に位置する年季の入ったアパート、ロイヤルシャトーカピバラに到着した。

 ここロイヤルシャトーカピバラは二階建ての木造アパートで築年数は今年で四十年となる。そんなお世辞にも綺麗とは言えないボロアパートが双羽の住む家である。


 一階四部屋、二階四部屋の計八部屋の一室、二◯一号室が大穹家である。

 実はこのアパート、双羽の母が亡き夫から受け継いだアパートであり、つまりはオーナーである。しかし、双羽たち以外に住んでいるのは一人だけ。それも邪神。更には家賃激安。

「……いてて……」

「あ、成瀬さんおかえりなさい。また事故ったんですか?」

「我の……刺股……無念」

 そう、外なる神、成瀬さんだ。

 立派なタンコブを拵えた成瀬さんはただの棒切れと化した刺股を引きずりながら自室へ、二◯四号室へ去って行った。


「あらら、あれはまた相当に凹んでますね。きっと買ったばかりだったんですね、うん。後で作ったカレー差し入れしてあげますか」


 双羽は部屋に入ると買って来た食材を手際よく片付ける。リビングの背の低いテーブルには、母のメモ書きがあった。

「今日も夜勤ですかぁ、身体壊さないといいですけど……」

 双羽の母は、ここロイヤルシャトーカピバラを守るため、そして双羽を育てるため、日中も夜も遅くまで掛け持ちで働いている。そのため、家事は双羽が率先してこなしている。


「お母ちゃん……」


 すると、遅れてもう一人の家族が帰宅した。

「おー、ふたは、帰ってたか、テケリ・リ」

「テケリ・リじゃないですよ? あまり遅くならないように、いつも言ってるじゃな……」

 双羽は言いかけて言葉をのんだ。ショゴスちゃんの後ろに見慣れない少女がいたからだ。


「あら、お客さん、ですか?」

「うん、クテーって言うの、テケリ・リ」

「クティよ……訳あって少しお邪魔したいのだけど、いいかしら?」

 クティの変わった風貌に瞳を瞬かせた双羽は、ふと我に返り「どうぞあがって下さい。今カレーを作ってるところですから、良かったら食べてってください」と笑顔で客人を招く。




「へぇ〜、クティちゃんってルルイエのお姫様なんですね! しかもアイドル!」

 人外の存在を疑いもしない双羽は、邪神が家に来ても会話がスムーズである。なんなら、成瀬さんの正体も知っているわけで、正直なところ邪神は珍しくもないのだろう。

「そうよ、スーパーアイドルよ! アタシの歌で争いのない世界を創るのが目標なの、ふふん、尊いでしょ? 崇めなさい?」

 カレーを食べながら意気投合した双羽とクティは存在を忘れていた成瀬さんを思い出した。


「そうでした、成瀬さんにカレーをおすそ分けするんでした!」

「あっ、アタシも忘れてたわ! ナルラト姐さん、あ、ここでは成瀬って名乗ってるんだっけ、その成瀬さんに用事があったんだったわ!」

「おー、そうだったんですね! 待っててください、どうせなので呼んで来ますね! ご飯は皆んなで食べた方が美味しいですし!」


 双羽は二◯四号室へ向かった。


「とてもいい子ね、双羽って」と、クティ。

「ふたは、優しい。ショゴスもふたは好き。ご飯も美味しかったリ、テケリ・リ」

 程なくして、傷心の幼女が姿を現した。

「む、姫ではないか。人間界まで出て来るとは珍しい……我に何か用か?」

「え、誰?」

「……ナルラトホテプだが?」

「アタシの知ってるナルラトホテプは、もっとこう、ぼん! きゅ! ぼん! って感じのお姐さんだったはずよ?」

「言うてもお主とは百年以上は会っておらんからな。まぁ色々あって、少々縮んでしまったが、我は正真正銘、ナルラトホテプだぞ」

「たしかに、面影はあるわね……」にしても、縮み過ぎでしょうに、と苦笑いを浮かべたクティだったが、昨今の邪神は力を弱め、姿も全盛期より親しみやすい姿に変貌してきているのを思い出し、とりあえず納得することにした。


「で、ルルイエのお姫様ともあろうクティーナ姫が、這いよる混沌である我に何の用だ? もぐもぐ」


 カレーを食べながら問う成瀬さん。


「次のコンサートの日まで、アタシを匿ってほしいの」


 クティは至って真剣な表情で言い放った。

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