火のないところに
キャンプ場の周辺を歩くだけでも、意外と楽しい。
(こりゃ日帰りでも来る価値あるかもな。歩きやすいから荷物も少なくて済みそうだ)
と、ノボルはゆったり歩きながらそう思った。サンダルにカーゴパンツというラフな恰好でも歩けるほど、足元は整備されている。芝の上も、飛び石も、踏みやすいように作られた場所だ。
(こういうところの管理人とか、将来やってみたいな。スタッフから出世して手に入れられる地位なのかな? それともやっぱ自分で土地を購入するか、管理人の身内になって遺産相続するとかが正攻法なのか?)
人為的に手が入った自然の中を歩いていると、そこに管理棟が見えてくる。この近辺では唯一、あからさまな人工物だ。
(そうだ。薪を買っていかないとな)
と、本題を思い出したが、
(うーん……もうちょっと歩いて、それからでもいいか)
ソロ散策の魅力が、どうしてもノボルを惹きつけてやまない。どうせソーハとキタローもそれぞれ楽しく炭を並べたり野菜を切ったりしているだろう。自分はそっち方面では力になれない。
(よし、もうちょっと単独行動させてもらうか)
ノボルが美女二人をほったらかして歩いている間に、ソーハたちは着々とBBQの準備を進めていた。
「わぁ。BBQコンロですね。実物は初めて見ました」
「結構コンパクトに畳めるっしょ? 汚いのはご愛敬ねー」
「いえ、使い込まれた感じがカッコイイです。この焦げた黒と元の銀の間に見える、玉虫色に輝くグラデーションとか」
「……ソーハちゃん、感性が独特だねー」
ノボルの持ってくる薪はあくまで暖を取る焚き火用。BBQに使うのは炭だ。これもキタローが厳選した安物の黒炭を持ってきてくれている。
「炭って、燃えやすいんですか?」
「まあ、その黒炭は比較的燃えやすいよー。着火剤も長持ちするやつ持ってきたからダイジョーブ」
「火おこしはどうするんですか? 火打石でカンカンってやるんですか? それとも木の棒でくるくるーって?」
「……アンタ、原始人にでもなりたいのー?」
一応、ファイアスターター付きのナイフも持ってきているキタローだが、一回使っただけで飽きた。大変だとか難しいとかより、飽きたと表現するのがしっくりくる。好みの問題はあるようだ。
なので、今回は着火にロングライターを使う。ガスと電子って素晴らしい。
「こっちは何ですか?」
「焚火台だよー。この辺、芝生を保護する必要があるからさー。地べたで火を焚くの禁止なんだよねー」
あとはノボルが帰ってくるのを待つだけである。野菜はあらかじめ切ってクーラーボックスに詰めてきたし、串に刺す楽しみは全員が揃ってから始めたい。
「おや、お嬢ちゃんたち、BBQかい?」
唐突に話しかけられて、二人は振り返った。後ろに初老の男性が立っている。
「若いねー。高校生くらい?」
「はい。1年生です」
正直に答えたのはソーハだった。人懐っこい笑顔や警戒心のない距離感は、時として危なっかしいくらい他人と距離を詰め得る。
「炭の使い方分かる? おじさんが教えてあげようか」
「え?」
「いや、あーしら別に教わる事ないしー。自分たちでやってみたいからゴメンねー」
キタローが断るが、おじさんは少し強引に二人の間に割って入り、勝手に座り込んで炭に手を伸ばした。
「遠慮しなくていいって。おじさんベテランだから。お嬢さんたちが生まれる前からキャンプしてるからさ」
「ちょっ。要らないってばー」
炭を奪い取りながら、キタローは嫌な顔をする。
(面倒くさい相手に当たったなぁ。あーし一人の時はこんな人が寄ってこないのに……あ、ソーハちゃんがいるからか)
と、女装した自分より女子の空気を纏う少年に責任をかぶせる。
自分一人でコスプレしていると、自撮りに夢中で面倒くさいSNS映え女子みたいに映るのだろう。それは話しかけられにくいはずだ。
今日はソーハたちと一緒で、まだカメラも出していない。これなら仲のいい女子二人に見えても不思議はなく、声をかけやすいのも理解できる。
(しかも、これの厄介なところは『女の子をナンパする』が目的じゃなくて『若い子にいいカッコを見せる』が目的なところだよねー。あーしも男だから分かるけどさー)
と、的確に相手の気持ちを分析する、名探偵キタロー。
相手は性的にワンチャンあればという気持ちを持っていない。ただ純粋に、親切心と自尊心を満たしたいだけである。キタローが今回ソーハたちと一緒にキャンプしている理由も似たようなものなので、少しだけ気持ちが分かる。悔しい。
(さて、こういう時の断り方は――どうしよう?)
相手が下心を持っているわけじゃないのだから、『実はあーし男なんだよねー』とか『こっちのソーハ君は男子で、あーしの彼ピ』といった言い回しは真偽に関わらず意味をなさない。ノボルが帰ってくれば、イメージの問題で解決しそうだが……
(あの見た目だけベテランっぽいド素人ノボル。早く帰ってきてプロっぽい気配でも出せってのー)
などと、おじさんに肩を抱かれながらイライラしていると、
「あ、あのっ」
ソーハが声を上げた。
「んー、どうしたのお嬢さん。教えてほしいこと、あった?」
おじさんがそっちに向き直した。ようやくキタローは、酒臭い息から解放される。思うに『酒臭い』とは酒の匂いではなく、酒によってブーストかけられたおじさん本来の臭いではないだろうか?
(ソーハちゃん、何か秘策があるのかな?)
キタローは、ソーハがきっとおじさんを追い返してくれると期待していた。しかしソーハは目を輝かせて、おじさんより少し低い位置に視線を持ってきては、おじさんに距離を詰めていく。
(あ。これダメだ。本気でおじさんから何か教わる気だわ)
と、キタローが溜息をついた。その予想は、精神的には正解。結果的には、不正解。
「これとこれで、火を起こせますか?」
「――は?」
キラキラした目を向けるソーハ。その手には、割り箸と板状の着火剤があった。
「え?」
おじさんも当惑していたが、ソーハは板を地面に置くと、当然のように割り箸を手のひらで擦って回す。
「こうやって火を起こすんですよね。お手本を見せてください」
「ええっと……それはライターを使ったらいいんじゃないかな?」
「それじゃダメです。はい」
はい、と割り箸を渡されても、おじさんはどうすればいいのか分からない。これをチャンスだと判断したキタローは、さらに畳みかける。
「そ、ソーハちゃんはいつもその方法で火をつけるもんねー。あーしもいつもそれー」
「え?」
「いやー、キャンプって言ったらこれじゃない? あーしらの常識だしー」
「え? え?」
目の前の女子高生と思しき二人が、自分よりサバイバーだった件……そんな状況においやられたおじさんは、どうしたらいいのか分からなくなっていた。
(ま、まだだ。まだ笑うな。あーし。……くっ。っぷ)
追い詰められたおじさんは、もう逃げるしかなかった。ただ何も言い残さず逃げるのは負けた気がするので、下ネタだけ言い放って帰る。
「いやー、おじさん火起こし器は作れないなー。赤ちゃん作るのは得意なんだけどね。なーんて……」
この軽口さえも、ソーハの前では自爆行為になる。
「え? 赤ちゃん作れるんですか。どうやって?」
「え?」
さすがに、ソーハも保健体育の義務教育課程は修了しただろう。だからこれはそういう意味ではない。
現にソーハは、割り箸を握りながら赤ちゃんの作り方を訊いている。きっと工芸品的な人形を作れるのだと勘違いして、その赤ちゃん人形の作り方を訊いているのだ。
ソーハから見たら、ここにいる全員が男なのだから、必然『赤ちゃん作れる』と言ったらそうなる(?)。
問題は、ここにいる全員が男だと思っているのはソーハとキタローだけだというところだ。年頃の女子からその言い回しで質問されたら、おじさん壊れちゃう。
「ファーwww」
ついに笑いをこらえられなくなったキタローは、垂直の崖を転げ落ちるような勢いで、水平の草原を転がっていった。
数分後に立ち上がり、ようやく歩いて戻ってくると、そこには――
「た、助けてー。襲われるー!」
「待ってくださーい。赤ちゃんの作り方、教えてくださいよー」
おじさんを追い回す可愛い痴女ソーハがいたので、本当にもうダメだった。
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