第28話 “ヴァルトフ氏についてどのようにお考えですか”

 サマンサの母は、かつてこの地を訪れていた。


 ちょうど第一回統一選挙が行われた年だった。彼女は旧R国内の選挙の模様を取材しに来たらしく、夫婦は街頭インタビューされたことがあった。その頃、R国人はЯ国に対する敗戦を認めない者も多く、選挙期間中は国連選挙監視団から派遣された多数の警備員が配備され物々しい雰囲気だったという。


 彼女はまず、自らがЯ国人であることを明らかにした上でいくつかの質問を彼らにした。戦争について、選挙について、気になる候補者、総督に就いた者にはどのような政策をして欲しいか、復興に対する不安はあるか、そうした質問の数々の中で、彼らが不思議に思った質問があった。


「“ヴァルトフ氏についてどのようにお考えですか”……」


 夫婦いわく、候補者は答えたのに、最後に聞いてきたのはその質問だった。わからないと言いつつも、夫婦は「先の戦争の英雄とはいえ、あんなに若い人が当選するはずがないじゃないですか」と冗談めかして答えたのだという。その時の母の様子は、彼らの様子に少しも緊張感を崩さず「そうですか」といった。


 ただ、次の瞬間には朗らかな笑みを浮かべ、「貴重なご意見をありがとうございました」と礼をした。


 そんな彼女に、夫婦は逆に質問したのだという。


「ところで、あなたはどの人に投票する予定ですか?」


「すみませんが、選挙の公平性のためにどの候補者にというのは明言できません」


「ああ、記者ですからね。ごめんなさい」


「いえ……しいていうなら、両国間で戦争があったことを反省して、お互いにとって良識ある発展を望む人に総督に就いてもらいたいと思います」


「そうですね。ぼくらには息子がいるんですが、息子もそうした候補者に投票すると決意してましたよ。放蕩息子で政治にもとんと興味がありませんでしたが、徴兵されて無事生還できた経験が、琴線に触れたんでしょうね」


 夫婦がそういうと、彼女は「……私にも5歳ほどになる娘がいます。戦時中はまともな食事を与えられない日も多かったです。だから、せめて何不自由なく生きられる社会にしたいと思っています。欲をいえば本人の満足のいく人生を選び取っていってほしいですね」と告げた。


 柔らかに目尻を下げ、けれどまっすぐ見据えた目でそういう彼女の凛々しい姿が強く印象に残ったんだ、と夫婦は最後に付け足した。


 第一回統一選挙の時、サマンサは確かに5歳だった。年代も一致する。取り出していたカメラをぐっと握り直した。同じ場所で、同じ人と、同じカメラを持って、彼らの話を聞くと、ふと母親の足跡を辿ってみたくなった。もうほとんど残っていない母親に関する記憶の断片が、誰かの中に今なお確かに息づいている事に身震いした。


「なんだか運命的なものを感じますね。お母さんは、今どうしていらっしゃるの?」


 婦人がサマンサに問うと、興奮しかけた感情が一気に冷めていく。


「母は亡くなりました。選挙から数年後に、乗っていた車が運転中に炎上したと聞いています」


 それを聞いた老夫婦は驚いたように顔を見合わせ、気の毒そうな表情でいった。


「あれだったんですか……。痛ましい事件でしたね」


「というと?」


「え?」


「母の死についてご存知ありそうな反応だったので」


 そういうと、老夫婦は「Я国出身であればもしかしたら知らないのかもしれませんが、当時のR国内では、そのニュースは一部でかなりの話題になりました」


 選挙から数年間、R国人による無差別テロが多発していた時期があった。多くはR国内でのЯ国人に対するものであったが、戦争からの混乱も落ち着きを取り戻しつつあるなか、一部の者がЯ国内でのテロ活動を企てるようになった。


 当時、Я国内での報道はすでに内務啓発省による検閲下にあり、サマンサの母の死が表立って騒がれることはなかったが、R国独立派のフリーメディアがゲリラ的に撒いたビラで「あれは総督が謀ったマッチポンプ」だとか「これを口実に再びR国人を弾圧してくる」などといったプロパガンダが蔓延ったという。


「でも実際は、あれは本当にR国人によるテロだったんですよ。〈川鼬鼠オットセル〉というのが声明を出して、あれは我々が企てたものだ、と」


 これから会おうとしていた存在が母親を殺害した犯人の可能性がある──そう思うとサマンサは全身が強ばった。事故だとばかり聞いていた母の死が、そうではなく〈川鼬鼠オットセル〉によって画策された死なのだとしたら、なぜ母はその死の企てに利用されなければならなかったのか。


 オセロスクに来たのは偶然だったが、この出会いはもはや運命だった。サマンサは目の前の老夫婦に深く頭を下げた。


「日もすっかり暮れてきましたし、そろそろ行かないと。色々と興味深いお話をありがとうございました」


「いいんですよ。写真を撮っていただいたせめてものお礼です」


 あ、とそこでサマンサはカメラを握りしめた。政府供与の端末で撮られた粗末な写真などこの人たちには必要ない。


「もしよければこのカメラで撮影してもいいですか。端末よりもずっと綺麗に残せますし、お住まいを教えていただけたら現像してお送りするので、よろしければ」


 そういうと老夫婦はやはり顔を見合せ言った。


「ありがとうございます。よろこんで」


 オセロスクに夜の帳が降りようとしていた。滲んだ青の暗さの中で外灯たちが明かりを放ち、寄り添う老夫婦の顔をちらちらと照らしていた。サマンサは露出とピントを調整し、彼らが今までの人生でいちばん素敵に写るよう、カメラのシャッターを切った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る