第15話 日の目は全て敵となる

 次の日、ハンカチに包んだ一本のウィンナーにいわれのない罪悪感を覚えたサマンサは、それでも何かの証拠になればと、知り合いの鑑識の元へ向かった。大学時代に知り合ってから腐れ縁になってしまった親友だ。


 鍵のかかってない一軒家に無断で入り、私設の研究室へ向かう。相変わらず散らかった廊下で足の踏み場を探しながら奥び部屋へ向かうと、目的の人物は椅子に体を持たれかけて寝入っていた。


 リューダ・ハレヴィンスカヤ──サマンサの同級生で最近大学院を中退し、自堕落な上に恥も外聞もないが鑑識技術だけは一級──は、しつこく名前を呼ばれる声で目を覚ました。誰が呼ぶのか半目で主を探し、サマンサの姿を見て目を見開く。


「……幽霊?」


「生きてるよ」


 勢いで抱きついてこようとするリューダを軽くいなし、バッグから目的の物を取り出す。


「今日はこれを調べてほしくて来た」


「ウィンナー? これまでで一番変なものかも。ワンちゃんシャリク癖いいかげん直したら?」


 怪しいものを見つけてはリューダに鑑識を依頼する関係上、おかしなものを依頼することも多かったサマンサのことを、リューダはからかいをもって“ワンちゃんシャリク”と呼んでいた。


「それよりも一ヶ月間何があったの。啓発官来てガサ入れまでされて大変だったんだけど。おかげで部屋がこの有り様」


「部屋が汚いのはいつものことでしょ」


「サムがそれいう?」


 リューダは腐っても親友だ。〈サムの汚食事会サムズダートミール〉のゴタゴタには極力巻き込みたくはないが、訳のわからないものまで調べてくれる協力者はリューダしかいなかった。


「たぶんだけど、この間の紙片のことでいろいろ嗅ぎ回ってたんだとは思うの。下水道の成分が染み込んだ紙が道端に落ちてるなんて怪しさ満点だからね。サムのことだし、深入りしすぎて捕まったんじゃないかとひやひやしてた」


 腐れ縁の勘というやつか、図星な推測にサマンサは苦笑いを返した。


「心配してくれてありがとう。でもまさか啓発官が来るなんて、迷惑かけてごめんなさい」


「別にいいって。それよりサムが無事だったことのほうが大事だから」


 そういって笑うリューダに、彼女はかすかにため息を吐いた。何の呵責もなく生活できる者たちを、せめてもう〈サムの汚食事会サムズダートミール〉と関わらせてはいけない。


 一週間の猶予が与えられた後はまた地下生活に引き戻されることになる。それは周囲の者にとっては〈サムの汚食事会サムズダートミール〉との唯一の接点を断つ意味で好都合ではあるものの、ひるがえってサマンサにとっては体制への裏切りと見なされ、日の目は全て敵となる。彼らが地下に籠って活動する理由が少し分かった気がした。


「分析が終わるのはいつになりそう?」


「変なもの入ってるかどうか調べるだけなら、一週間はかからないよ」


 一週間の猶予のうち、残っているのは今日を含めて3日しかない。


「そう……じつは仕事がまた長引きそうで、結果を取りに来られないかもしれないの。その時は、そのデータを啓発官に渡してあげて」


 怪訝な顔をしたリューダがいう。


「いいの? 重要なのが出たら手柄渡しちゃうことになるけど」


「構わないから、そうして。テロリストに繋がるといったって、どうせ大した組織じゃない」


「サムがそういうなら別にいいけど」


 リューダはそこで、あっと気づいた顔をすると、部屋を出ていった。スリッパの音を軽快に鳴らして戻ってきた手には、一冊の本があった。


「この一ヶ月の間にコルスン先生の新作出てたんだよね。仕事忙しいと思って買えてないと思ってさ、サムのために買っておいたの。よかったら受け取って」


「本当に?」


 サマンサが嬉々として受け取った本には『О наличии или在るべき отсутствии объектов被写体の для фотографирования有無について』とタイトルが書かれていた。


「今回のは珍しく短編集なんだっけ」


「時代にそぐわない旧式のビデオカメラで風景を撮り続ける老齢の女性の物語が表題作らしくて。その様子が少しおかしい、という話ね」


「サムってほんとコルスン先生の作品好きだよねえ。総督ヴァリの次くらいに好きだったりするでしょ」


 リューダにいわれ思い返してみたサマンサは、頭の中で序列を作った。両親、総督ヴァリ、リューダ、コルスン先生、職場の同僚、知人、辛うじて最下位を免れたのはゲラルト、ジーン、マクシムの三人だ。当然、末尾を飾るのはトレヴァーだった。


「コルスン先生は母親が読み聞かせてくれた絵本の作者でもあって、幼い頃からずっと好きな作家だからだと思う。それに、色んなジャンルの作品を書いてるし、作風に合わせて常に表現を変えていて、文筆を仕事にしてる以上は見過ごせない」


「じゃあ、コルスン先生のこと、サムのお母さんも大好きだったんだろうね」


「ええ。家にたくさんあったのは覚えてるけど、今はもう、一冊も残ってなくて」


 サマンサは幼い頃の朧気な記憶の中から、母親の書斎にあったたくさんの本を思い出しながらいった。そこで思いがけず、母親が読み聞かせてくれた絵本のタイトルを見つけ、その中の一説を思い出した。


 “アナグマは、死ぬことをおそれてはいません。死んで、からだがなくなっても、心は残ることを、知っていたからです。”


「え? どうしたの? どっか痛い?」


「ううん、なんでもない。本、代わりに買ってくれてありがとう。すっかり忘れてたから。帰ったら読ませてもらう。後で埋め合わせさせて」


「あ、うん」


 サマンサは本を抱えた。このまま長居してしまったらよくない気がした。


 部屋を出ていく直前、リューダに呼び止められた。


「サム。あのさ。サムに比べたらあたしは恵まれてるし、好きなこともできて、不自由なことなんかさ……何ひとつ知らないまま生きてきたって思ってるけど、これだけはいわせて。あたしはサムの一番の親友だと思ってるから、本当に辛いことがあったら我慢しないで相談してほしい」


「……大丈夫。本当に辛いことなんか、もう忘れたもの」


 そういうサマンサをリューダは真剣な表情でまっすぐ見つめていた。それで彼女は気づいた。また嘘をついてしまった、と。


 それでも、親友を巻き込む訳にはいかない。サマンサは軽くうつむき、今度こそしっかりと、なるべく気丈に振るまった。


「それよりも、頼んだものお願いね。取りに来られなかった時は、言った通りにしてくれればいいから」


 去り際、リューダが見せた一瞬の悲しさがサマンサを苛ませた。親友にこんな表情をさせてしまうなんて――と。

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