ソニア・エクアの天敵

 ウィルが公爵家本邸に来てすぐの頃、ソニアが屋敷の案内をしていた。

 レイリアスの勉強の時間や食事の時間、就寝の時間など、適当な合間を縫って、屋敷を回る。


「この先が公爵閣下の書斎よ。お嬢様から御用事を言いつけられたとき以外、近づいちゃダメよ」


 ソニアは、張り切ってウィルに説明していた。

 ソニアがグリーンリバーに来たとき、ウィルは領館に不慣れなソニアを助けてくれた。彼は話せないけれど、身振り手振りで伝えてくれた。その礼のつもりである。

 それに、ソニアは本邸の中では、まだ新入りの部類なのだ。純粋に先輩ぶって説明出来るのが嬉しかった。


「ここが使用人用の勝手口。食料庫が近いのよ。私達は、あまり行く機会がないと思うけど、一応案内しておくね」


 勝手口から外に出ると、すぐ近くに倉庫らしき建物が見えた。ソニアが、あそこよと指さした。


「前にね、食料庫にお嬢様が隠れていたことがあってね……」


 食料庫のそばの人影に気づいたソニアが、口を噤む。また人影も、ソニア達に気づいたようだ。こちらを振り向いた。


「なんだよ、サボりか?」


 少年と青年の間くらいの年齢に見える。ソニアと同じくらいの使用人が、怪訝そうに眉をひそめた。コルク色の髪を短く切り揃えていることから察するに、貴族ではないだろう。

 多くの貴族は、男性も女性も長い髪が主流だ。


「ただの案内よ。そっちこそ、サボってないで持ち場戻ったら?」

「芋を取りに来たんだよ。そもそも、厨房担当キッチンメイドでもないお前がいる方がおかしいだろ」

「だから、案内中だって言ってるじゃない!」


 まだ付き合いの浅いウィルだが、彼女が声を荒らげているところなど、一度も見たことがない。

 恐らく彼は、厨房の者なのだろう。料理人用の服を着ている。サイズが大きいのか、袖を何回もまくっている。


 髪の色よりも数段濃い茶色の目と、ウィルの黒い目がぱちりと合う。ウィルが無言で頭を下げると、彼は不快そうに眉をひそめた。


「お嬢様が拾ってきた子どもって、お前か」

「拾ったんじゃなくて、引き抜き!」

「似たようなもんだろ」


 彼が鼻を鳴らす。理由は分からないが、ウィルは彼に嫌われたらしい。それに対して、ウィルは何の反応も示さなかった。

 代わりに、ソニアが頬を膨らます。


「まったくもう……。ウィル、この失礼な男はトビー。厨房の下働きよ」

「料理人!」

「似たようなもんでしょ! まだ見習いなんだから!」

「お前、お嬢様に気に入られたからって調子乗んなや!」

「乗ってないですー!」


 ソニアが、べーっと舌を出す。

 それを無視して、彼──トビーはウィルを睨んだ。


「厨房まで噂が届いてるぞ、口の聞けない平民だって」


 やはり、ウィルの反応は無い。

 言葉に含まれる棘に、気付いていないわけではない。単に、思うことが無いだけだ。口が聞けないのは、紛れもない事実である。事実を言われて、何を思えば良いというのか。


 しかし、それが気に触ったのか、トビーは益々眉間の皺を深くする。


「なんでわざわざ平民の、しかも話せない奴拾ったんだろうな。そのせいで、『お嬢様は物好きだ』って言われてんのによ」

「ちょっと! お嬢様の悪口は許さないわよ!」

「俺が言ってんじゃねえよ!」


 ソニアがウィルを庇うように前に立ち、ビシッとトビーに指をつきつける。


「平民平民言うけど、あんただって平民でしょ!」

「ちげーよ! 伯爵家だよ!」

「元、ね。伯爵様だったのは、あんたのお祖父さんでしょ? お父さんは騎士爵を賜ったし、お兄さんもそうなるでしょうけど、料理人見習いのあんたは平民よ! ずーっとね!」

「名ばかり貴族のお前に言われたくねぇわ!」


 つきつけられた指を払って、トビーが叫ぶ。


「金も無い、領地も狭い! あるのは爵位だけの貧乏子爵! 閣下から金を貸してもらえなかったら、とっくに没落してただろ! なあ聞かせろよ、借金のカタに働かされるってどんな気持ちなんだ?」

「なんですって!」


 ウィルをよそに、今にも掴み合いが始まりそうな雰囲気だ。両者睨み合いをしていたが、遠くからトビーを呼ぶ声がして、ふたりは同時に顔を背けた。


「さっさと厨房に戻りなさいよ! 馬鹿!」

「うっさい! 間抜け!」


 悪態をついて、トビーはその場を足早に去っていった。その後ろ姿を睨んでから、ソニアは振り返り、ウィルにごめんねと謝る。


「トビーは私と同じ時期に働き始めたんだけど、すっごく意地が悪いの。彼が言ったことは、全部気にしなくていいわ。私もそうしてるもの。

……まあ、うちが貧乏なのはホントだけど」


 ソニアが大きなため息をついた。


「昔、どうしてもお金が無いときに、公爵家がお金を貸してくれたらしいの。私が赤ちゃんのときの話よ。

でも、そのお金は返し終わってるの。借金のカタとかじゃないから、心配しないで。ちゃんとお給料はいただいてるわ!」


 下位貴族の令嬢が、行儀見習いとして高位貴族の屋敷で働くことは、ままある。けれど、ソニアは違うのだろうと、ウィルはなんとなく察していた。

 生きる為に働く者の真剣さが、彼女にはあるような気がしていた。


「むしろ、公爵家で働けて幸運よ。だって、公爵家は他の貴族のお屋敷と比べて、お給料が高いし、お休みもしっかりしてるの。それに……お嬢様にも会えたしね」


 にっこりとソニアは笑った。いつもの笑顔に戻った彼女は、もう戻ろうとウィルに言った。

 来たときと同じく、勝手口から屋敷に戻る。扉をくぐる前に、ウィルは食料庫の方を振り向いた。


 彼は芋を取りに来たと言っていたのに、食料庫に入らなかった。

 本当は、彼は何をしに来たのだろう。小さな疑問に首を傾げる。

 疑問は浮かべど、口にすることは出来ず。結局、ウィルは黙ってソニアの後ろを着いて行った。



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余談

3年後、ソニアとトビーは結婚します。ケンカップルです。

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『悪役令嬢と過ごす10年あるいは7日間』小噺 ツユクサ @tuyukusa

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