花と死体

弥生 菜未

undead

 死してなお生きる。

 大抵その言葉の裏には、誰かの逞しい人生譚や、涙無しには語れない、儚く切実なる想いが秘められていることだろう。

 死してなお生きる。

 それが人々の胸中で完結しているのであれば、きっと感動し感嘆する。喪失感とともにある旧懐を知り、故人への感謝や労り、尊敬の念を口にする。多少の恨み言はあれど、すべては過ぎ去ったこと。あるいは自分とはもう関わりのない人。そうしてようやく、現実に返る。

 しかしながら、この言葉に希望を見いだせるとは限らない。感動も感謝も尊敬もない。そんなことだってあり得る。私はそうだった。

 死してなお生きる。

 この言葉が尊ばれるのは、故人が故人であるからだ。『死』が言葉に意味をもたせ、想いの辻褄を合わせるのだ。これが非常に重要である。だから何度でも言おう。

 死してなお生きる。

 故人は決して蘇ってはならないのだ。


 そこにあるのは、何度でも蘇る“不思議な身体”。


 覆してはならなかった『死』を、結末を迎えたはずの物語の続きを、私は紡ぎ始めてしまった。


 ◇


 刃物を滑らせ指をこうと、筋や血管が地を蚯蚓みみずが如く、餌を探す蛇が如く、何度でも再生する。空腹は訪れず、睡魔もやってこない。人が人たらしめるための欲求は募らず、心臓も呼吸も止まったまま。神様に操られたマリオネットのように、あるいは魂の宿った絡繰人形のように、私は死した身体で今世を生きる。


 最古の記憶は棺の中だ。眼前を覆い尽くすのは闇。酷い腐敗臭の中で、微かに土の臭いがした。

 光を求めて地上へ飛び出したとき、美しい月光に照らされる。身体は腐り、全身から体液が染み出す。肌は泥状に崩れ、胃酸で腹が裂けている。棺から出たことで骨が殊更突出し、蝿がたか蛆虫うじむしが湧いていた。


 しかし、身体は再生されていく。


 己が何者か、何が起こったのか分からぬまま、変わりゆく身体を呆然と見つめた。

 夢から覚めたような感覚。

 靄がかかったような、寝起きの私。

 時間が経てども相変わらず自分のことは思い出せず、途方に暮れる。周囲を見渡し自分の墓石らしきものを見つけど、名前はない。そこにあるのは所々が欠けた粗末な石と、枯れた一房の花だけだ。

 ふと、花に触れる。ただ本当に、なんとなく。その枯れた花に触れたくなって、触れてみる。

 そして花は応える。

 瑞々しさを取り戻し、褪せた色に深みが加わっていく。薄暗闇の中でも分かる。その花に命が宿ったのだと。

 いまだ残る腐敗臭の中、ふわりと柔らかに揺れる花。人にはない、不思議な力。そして不思議な身体。


 生前の記憶はない。蘇った理由も分からない。だが、縛られるものもない。如何いかなることにも恐れはない。

 今なら、何者にでもなれる気がする。

 今だから、一歩を踏み出せる。

 そうして私は旅に出た。


 そして知る。

 世界は美しさに満ちている。

 何日も、何ヶ月も、何年も旅を続けた。


 ◇


 鮮やかな花畑の中心で、足を止める。

 何年経っても歳を取らない身体は、透き通るような乳白色の肌に包まれている。血色が悪いとも言えるが、口紅や頬紅をさせば誤魔化すことは容易い。手袋を外し、指先でそっと花弁を撫でる。そして風に靡く髪をもう片方の手で押さえながら、枯れた花を探していた。


「元気のない花はどこかしら?」


 声に出してみても返答がある訳がないが、一人だと独り言も多くなる。


「――――ここだよ」

「あら?」


 後方から幼い声がした。そして男の子が木の陰から顔を覗かせた。彼が手に持つ花は萎れ、力なく垂れている。


「お姉ちゃん、お花治せるの?」

「ふふっ、任せなさい。私は魔法使いなのよ」


 違うけど、違わない。人にはない力がある。心地よい矛盾と密かなる自信。男の子の輝かしい笑顔に、高揚感は高まるばかりだった。

 男の子はジゼと名乗った。

 私はアンだと名乗った。

 この花畑はジゼの街で管理しているのだという。私はその街に身を寄せることにした。花を蘇らせる力に人々は驚きつつも、快く私を迎え入れてくれる。疲れ知らずの身体で役に立てたことも、必要としていなかった食が美味しかったことも、嬉しくて仕方がなかった。

 死してなお生きる。心地よい矛盾が、再び生まれる。


 ――――――だが、順調に思えた旅路も、ここまでだった。


 ◇


 また、夜中に目が覚める。

 人間を装うために眠るようになって、数日が経った。宿の階段から聞こえる足音があまりに忍び足だから気になって目が覚めた。他の宿泊客に配慮しているのだろうか。そもそも、こんな時間に客とは珍しい。

 と思ったのは束の間、勢いよく開いたドアから侵入した男が、私の心臓を目掛けて刃物を突き刺した。


「なっ…………!」

「恨むなら己を恨め」

「…………どうして?」

「魔女なんて害悪にしかならないんだよ!!気持ち悪い!!!」


 私の身体から引き抜かれた剣は、緑色の血液を纏って不気味に光る。けれど、緑は闇に紛れて男は気づかない。すっかり安心しきった男は私に背を向け、剣を部屋の隅に捨てると、用はないと言わんばかりに部屋を去った。私の身体は前と変わらず尋常じゃないスピードで再生され、それでもどうしようもない悲しみが私の言葉を遮った。

 私が害悪……?旅人だから?特別な力を持っているから?死人だって気づかれた?誰かを知らずのうちに傷つけた?


「どうして…………」


 ようやく放たれた言葉は、無人の部屋で虚しく散った。




 再生が完了し、胸元が破れた服を隠すようにローブを纏った。この街を出よう。いや、この国を出て、誰も知らない遠くへ――――。

 宿を一歩出て、背筋が凍る。


「やっぱり魔女は生きていたぞ!」

「不死なんじゃないか!?」

「心臓を突いたはずなのに」

「痛がりもせずに歩いているわ!」

「魔法で治したんだ!治せないように腕を折れ!魔女は手から魔法を放つ!」


 ――――――あぁ、私が嘘をついたから。

 温度を感じない、小さな滴が頬を伝って地面へ落ちる。魔法なんて大層な力、持っているはずがない。ただ、花を生き返らせただけなのに。


 途端に、世界が色褪せて見えた。


 手が切り落とされる。離れた手は溶けて消え、本体から手が新たに作られる。

 足に斧が刺さる。重くて、動く度に食い込むが、やがて体液が斧を溶かしていく。強い酸の臭いがする。

 首が落とされる。視界は歪み目が回るけれど、身体が首を求めて追いかける。首はすぐに身体と繋がった。


 皆が驚いている。気持ちが悪いと距離を取り、死に物狂いで刃物を振り回す。その刃物が私ではなく誰かに刺さって上がる悲鳴が幾つか聞こえた。だが、それも遠い。涙が視界を不鮮明にし、孤独が音を掻き消した。


 街を出たとき、広い花畑を月の光が照らした。ぼやけてはっきりしない月の光も、暗闇に覆われ黒ずむ花々も、何も美しくはない。ただ虚しいだけだ。私が見てきた世界は何だったのだろうか、と色褪せた世界に私は再び涙した。


「アン! アンー!!」


 ジゼが私を呼んでいる。


「どこにいるの? アンー!!!」


 疲れて座り込む私は、長い草の中に隠れていた。ジゼは草を掻き分けて進み、逃げることのない私はすぐにジゼに見つかる。だが、抵抗する気力も残っていなかった。


「大丈夫」


 ジゼは私に抱きついた。その一言があまりに柔らかくて、私は思わず目を見開く。


「大丈夫だよ。僕は何もしない。…………何もできなくて、ごめん」

「…………」


 もう人間なんて信用できない。たった数日で嘘のように手のひらを返す。


「どうして私は、嫌われなくてはならないの?」


 ジゼは抱き締める手に力を込めた。それが守られているみたいだ、と感じてしまう自分が憎らしい。


「きっと、毒草を生き返らせてしまったから。…………母さんたちが手に何重にも布を巻いて、慎重に刈って枯らした毒草を、素手で掴んで触れて生き返らせてしまったから、街の人はアンが怖くて仕方がないんだよ」

「怖いからってどうして、殺そうだなんて考えるの? 私は感情があって、アンデッドだけど魂があって、私だって人間が恐ろしくてたまらない。けれど、だからといって殺していいものではないでしょう? どうして…………? どうして、私は、傷つけられなくてはならないのっ…………!」


 涙が溢れて止まなくて、声が震える。今さら隠す気なんてなかった。

 ただ、心が痛くて仕方がない。見えない刃がずっと、刺さったままだ。


「そうだね」


 静かな声でジゼが言う。ジゼの身体が私から離れ、私は俯くしかなかった。俯きながら、延々と流れる涙を眺めていた。


「――――星だったら」


 闇が茜色の光を孕む。ジゼの声がまた、優しく響いた。


「正体が何だろうと関係ない。ただただ美しさに感動して、未知を恐れることはなく、探究する。排除するんじゃない。純粋な憧れをもって関わり合う。――――そうだったら、何かが変わっていたかもしれない」


 私は言葉を失った。涙が、ジゼの頬を伝っている。声は優しいのに、涙で潤んだ、悲しみに満ちた瞳が星空を見上げている。


「ジゼ、ごめんなさい」


 私の旅には、目的がなかった。でも、見つけた。

 私はアンデッドで、人にはない能力を持っている、その理由を。

 今、見つけた。


「きっと私が、世界を導かなくてはならないのかもしれない」


 争いは傷つくばかりだから。私は嘆くだけではいけないんだ。


「私には何度でも立ち上がれる身体がある。未知なるものを恐れるのではなく、探求する精神を、この老いぬ身体で伝えていかなければならないのかもしれない」

「…………アン」


 他の誰かが、痛くてどうしようもない傷を抱えないように。


「ありがとう、ジゼ。気づかせてくれて」


 私が人間を突き放せないのは、ジゼのような人間がいることを知っているからかもしれない。

 そう思えたとき、私は孤独ではなかった。


 ◇


 私は旅を続ける。

 アンデッドで、手が冷たくて、花を蘇らせることができる。だけど、心があって、涙を流して、怒ることもある。人間と大差のない私が、未知を恐れる恐怖心を除くことができたなら、きっとこの世から戦いだの争いだの、誰かが傷つけ合うことは無くなるかもしれない。

 そうなったらいい。今は単なる希望で、理想でしかないけど、私が旅をする目的はそこにある。

 そうしたらきっと、明日にはひとつ、何かが変わっている。

 そう信じて、アンデッドな私は旅を続ける。

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花と死体 弥生 菜未 @3356280

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