第11話

「今日さ。皆で山へ出かける約束があるんだけど、瓜子も来るでしょ?」

 そう問われ、瓜子は「うんっ」と明るく即答したが、すぐにはっとした表情になって綾香に提案した。

「桃太も連れて行って良い?」

 これは気遣いからの台詞らしかった。ここ数日の瓜子の遊び相手は桃太であり、互いに十分な愛着が生まれていることを感じていた。そんな中で瓜子がかつての級友と親交を取り戻すとなれば、未だクラスに馴染み切っていない桃太は取り残される形となる。そこに寂寥を思えないと言えば嘘だった。遊びに連れて行ってくれることそのものよりも、瓜子のその優しさが桃太の胸に染みた。

 綾香は一瞬だけ迷うようなそぶりを見せた後、すぐに笑顔を取り戻して。

「もちろんいいわよ。桃太くん恰好良いから女子の皆気になってるし、喜ぶと思うわ」

 と返答した。瓜子は「わぁい」と言って桃太の肩を掴んだ。

「と言う訳で……、桃太も来るよね?」

 正直女子の遊びに一人だけ参加するというのも気まずさがあり、上手く馴染める自信もなかったが、しかし瓜子の気遣いを無駄にする訳にはいかなかった。

「そうだね。一緒に行かせてもらおうかな」

「じゃ、一緒に行こうねっ」

 綾香の言う『皆』というのは、クラスの女子の全員ということらしかった。その総数は五人であり瓜子と綾香の他、それぞれ沙耶と梓と千雪という名前だった。

「行きましょう」

 綾香を先頭に、少女達は学校の裏山へと遊びに出掛けた。

 道中、少女達の態度がどこかよそよそしく、若干の緊張感を纏っているのに桃太は気が付いた。桃太の知る小六の少女達というのはもっとかしましい生き物であるはずなのに、口数は少なく常に桃太や瓜子の表情を伺っていた。自然体に見えるのは綾香だけで、瓜子から「ねぇもう仲間外れにされない? もう普通に一緒に遊べる?」と尋ねられるのに、まるで年上のお姉さんのように「ええ」「そうよ」と笑顔で頷いていた。

「……ねぇ瓜子」

 桃太は小声で瓜子に声をかけた。

「なぁに桃太」

「なんか、皆ちょっと様子がおかしくない?」

「確かにちょっと前と違うかも。でもわたしずっと仲間外れにされてたからそう感じるだけだと思う。それに、桃太って男子もいて緊張してるのかもね」

「クラスの男子なんかいても緊張の理由になるものなの?」

「ならないよ。見慣れてるし、モテてたの多分満作くらいだし。でも桃太って二枚目でカワイーじゃん。綾香とか結構桃太みたいのがタイプだと思うよ」

「そ、そうかな?」

 そう言われ桃太は綾香の方に視線をやった。歩く度セミロングの黒い髪と共に、小学生としてはかなり豊満な胸部が揺れた。綾香は桃太の視線に気が付くと、唇を緩めながら艶やかな流し目を送った。桃太はたまらず赤面して視線を下に落とした。

「ちぇい」

 桃太の向こう脛に若干の痛みが走った。「ぐえっ」と振り向くと、そこには脛を蹴って来た瓜子が桃太の方を見ながら含みのある澄まし顔を浮かべていた。

「な、何だよ?」

「わたしのこと可愛いって思ってるんじゃないの?」

「え、ちょっと。それは聞こえないし忘れるって言ってくれたろ?」

「忘れて良いの? わたしは忘れたくないんだけどなぁ」

「え? いや、それはその……」

 澄んだ瞳にじっと顔を見竦められる。それが続けば綾香に流し目を送られた際の数倍の赤面が訪れることは必至であり、それは年頃の桃太にとって是が非でも避けたい醜態だった。

 桃太の額から汗が滲み出そうとしたその時、瓜子は堪忍してやるとばかりに視線を反らした。型破りに見えて実は他人への情けと言うものを知っている瓜子だった。そして男女間の心の機微に対し未熟で無頓着に見えた瓜子であっても、とどのつまり『女子』には違いなく、時には自分のような青い男児を翻弄してのけるのだと桃太は悟った。

 やがて一行は山沿いの道を歩み始めた。「ちょっと行った先に山の入り口があって、そこからちょっと登ったら遊び場だよ」という瓜子の説明を聞き終える頃、先頭の綾香がふと足を止めた。

「ねぇ瓜子。あそこに何か見えない?」

 綾香の長い指が山沿いの木々の隙間の一点を指さした。そこは落ち葉がやけに散らかっている以外には殊更に興味を引く要素はなかった。

「え? 何もなく見えるけど」

「なんか落ち葉の隙間に変なのが見えた気がするの。動いてたような……小さな妖怪かしらね?」

「虫だよ」

「分からないわ。ねぇ瓜子、見て来てくれないかしら? あんた討魔師の娘なんだから、他の誰かが行くより良いと思うの」

 そう言われると、瓜子は逡巡する様子もなく「分かったっ」と言って歩きはじめた。

「ちょっと待って瓜子」

 そんな瓜子を、桃太は制止して前に出た。

「ぼくが行くよ」

「どうして? 言われたのわたしなのになんで桃太が行くの?」

「……何か変だと思わない? あそこはどう見ても何もないし何も動いてないし、気になったとしても瓜子一人を行かせるのは絶対変だ。討魔師の娘だからなんて、理由も大分強引で……」

「大丈夫だよ桃太ありがとう。でも大丈夫わたし綾香信じるから。友達だから疑ったりしないし、万一なんか騙されてたりしてもそんな嫌じゃないよ。引っ掛かってあげるもんね」

 そう言って瓜子は桃太の前に出て、綾香が指さした地点に歩きはじめた。

 その足取りに衒いはなく警戒した様子は見られなかった。桃太が心配しながらその背後を見守っていると、やがて散らばった落ち葉の上に足を降ろした。

 その時だった。

 瓜子の足元が途端に崩れだし、出現した穴の中へとその華奢な肢体が転げ落ちて言った。中は泥水になっており水の跳ねる音が激しく響く。泥の中で尻餅を着いた瓜子の白のワンピースは泥だらけで、薄汚く変色し無惨な有様になった。

「あ、あははははっ」

 そんな仕打ちを受けてなお、瓜子は怒った様子もなく、悲しんだ様子も見せず、普段と変わらない明るい笑顔を浮かべて見せた。

「ひっかかっちゃったね。ねぇ綾香落とし穴なんていつの間に掘ったの?」

「そいつらに先回りさせて、掘らせたのよ」

 そう言って、綾香が瓜子の背後を指差すと、そこには京弥と宗隆の姿があった。

 満作の取り巻きを務めていた二人のいじめっ子である。腕力・暴力性ともに満作には及ばないものの、そのいじめっ子としての残虐性は十分なものがあった。

 二人の手には太い木の棒が握られており、それらはすぐに穴の中で尻餅を着いた瓜子に振り下ろされた。頭や肩が木の棒によって殴られる鈍い音が響く。瓜子は思わず頭を下げ、両腕を頭上にやって繰り返される殴打から全身を庇った。

「やめろっ」

 桃太は京弥と宗隆の前に飛びだそうとした。すると綾香からの「沙耶っ! 梓っ!」という号令によって飛び出した二人の女子により進路を妨害される。そこに綾香が加わり両腕を取られ、三人がかりで羽交い絞めにされる。女子と言っても小学六年生時点での体格は男子とあまり差がなく、汗だくで格闘した挙句、結局桃太はその場で組み伏せられた。

「ちょっと綾香。友達に戻れたんじゃないの? 流石にこれは酷いんじゃないの?」

 瓜子は顔中を傷だらけにしながら綾香の方に縋るような視線を送る。

「……誰が誰と友達に戻ったって?」

 桃太を組み伏せるのを二人の子分に任せ、綾香はずぶ濡れの瓜子を見下ろし、端正な顔に嗜虐的な表情を浮かべる。

「良くもそんな風に思えたわね? 私の姉さんを殺しておいて」

 そう吐き捨てた綾香の表情には、残忍さの中に心底からの怒りと憎しみ、そして哀しみが滲んでいるかのようだった。

「あんたなんか一生いじめ抜いてあげるわ。皆もそれを望んでる。無視と仲間外れで済ませてた満作の時と違って、私はもっともっと酷いことをあんたにたくさんしてやるわ」

 そう言って、綾香は京弥と宗隆に顎をしゃくった。

「ねぇあんた達。今からそいつの顔に小便しなさい」

 そう言われると、京弥は「おい」と隣の宗隆を肘でつついた。すると宗隆は「ああ」と言ってその場でズボンを降ろし始めた。

「ちょっと待って。それは流石に嫌!」

 言いながら、瓜子は穴から出ようともがきはじめる。しかしその穴は瓜子の半身程もある上泥でぬかるんでおり、さらにその腕や肩に腕や肩には京弥の木の棒が振り下ろされる為、脱出は不可能だった。瓜子は最後には覚悟したように唇を結んで俯いた。

「やめろっ! やめろぉっ!」

 叫びながら、桃太はその場にあった土を一掴みし、沙耶と言われていた女子の顔に投げつけた。それに動揺した沙耶の右手の拘束が緩んだ瞬間、桃太は渾身の力で女子二人の拘束から脱出することに成功した。

 すかさずに桃太は宗隆に近寄り、ズボンを降ろし丸出しになったその股間を蹴り上げた。たまらずその場で蹲った宗隆の手から木の棒を奪うと、それを持って京弥の方と対峙する。慌てて構える京弥の隙だらけのその手首に、道場に通っていた頃の得意技だった『小手』を放った。

「ぐあっ」

 手首を一撃され木の棒を取り落とす京弥の胴を、桃太は鋭く打ち据えた。その場で蹲り動けなくなった京弥を尻目に、桃太は泥だらけの瓜子に手を差し伸べた。

「さあ。手を取って」

「う、うん」

 目を丸くして、瓜子はその手を借りて落とし穴から這い出した。その全身は泥だらけの上、裂傷を起こしたアタマからは出血が見られ、あちこち痣を作ったその姿はズタボロであるとしか言いようがなかった。

「あーあー。助けちゃうのー? つまんないなあ」

 綾香がそう言って肩を竦めて桃太の方を見た。

「でもそれで良いの桃太くん? あんたさ、クラスに馴染みたいとか思わない訳?」

「それとこれとは話が別だ。誰がどう考えたってこんなことやめさせるべきだ」

「いやさぁ桃太くん。瓜子をいじめないってことは、私の敵ってことなんだよ? ちょっとは腕っぷしもあるみたいだけど、東京のお上品なお坊ちゃんが、私達田舎のクソガキのいじめに耐えられる? 今すぐ瓜子をその穴に叩き落して顔におしっこかけてくれたら、私のお友達にしてあげても良いんだけどな?」

「君みたいな卑劣な人間の友達なんて願い下げだよ」

 桃太は啖呵を切った。それはクラスメイト達との決定的な決裂を意味していた。今日この日から級友たちは桃太の敵に回り、様々な場面で自分を苛むことに違いなかった。

 だとしても桃太が瓜子を裏切ることは考えられなかった。彼女は桃太にとって命の恩人であり、すべてを捧げても忠義を尽くすべき対象だった。

「あっそ。ねぇ桃太くんあんたそいつが何したか知らないの?」

「関係ないよ。何をしていたって構わない。瓜子はぼくの命の恩人だからね」

「何よ恩人って。もういいや。行こう、皆」

 そう言って、綾香は三人の女子を取り巻きにその場に背を向けた。一瞬だけ倒れ込んでいる京弥と宗隆に視線を向けると、「使えない。満作いなきゃ何もできない」と吐き捨てて、綾香は少女達を従えてその場を離れて行った。

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