第8話

 父の話を聞いている内に、満作の裁判の準備は完了したらしかった。

 人だかりの中央で二十代半ば程の青年が「静粛にお願いします!」と口にすると、ざわめいていた人々は一様に沈黙し注目した。

「既に噂になっていることと思いますが、我が村の大切な未来ある子供である芝木満作君が、河童殺しの疑いを掛けられております。その為亡くなった河童の家族を含む数名の河童が、この通り村へ訪れております。これより河童達との話し合いを行いますので、皆さまどうかお静かに見守ってください」

 誰かが小声で「村長の息子の輝彦殿だ」と口にした。

 輝彦と呼ばれた男は精悍な顔をした長身痩躯の美青年だった。切れ長の瞳に細い顔の輪郭を持ち、落ち着いた声と喋り方からはどこか怜悧な雰囲気も漂う二枚目だった。多くの村人の前で発言するその姿は自然体であり、こうした場で仕切りを行うことに慣れている様が見て取れた。

「彼が事実上の村の最有力者だ。顔を覚えておくように」

 父が桃太にそう耳打ちをした。

「あきゃらくきゃら。くきゃららあきゃららら。くきゃら!」

 年嵩の河童の一人が興奮した様子で発言した。

「くきゃらきゃら。くきゃらきゃらあきゃら。あきゃらら。あきゃらららら! くきゃらあきゃらあきゃらきゃら。くきゃららら。くきゃらららら!」

 それは河童の言葉であり人間の桃太には何を言っているのかとうてい理解できなかった。しかし輝彦は「ふむ、なるほど……」と何度か頷きながらその話を聞き終えると、明朗な声で。

「こちらの河童の女性は、この度亡くなった河童の伴侶であるようですね」

 と河童の言葉を翻訳してのけた。

「こちらの『らうだう』という女性は殺された『ぐうがあ』という河童の伴侶のようです。彼女は満作君を伴侶殺しの犯人と疑っています。理由としては、現場には赤いハンマーが残されており、それは満作君がいつも持ち歩いているハンマーと酷似しているからだそうです。ごく最近、河童の子供の一人がそのハンマーを持った満作君に脅かされたとも仰っています」

 桃太は驚いた。河童の世界の独自の言語に触れたことと、輝彦がそれを翻訳して見せたおとに関心を覚えていた。

 らうだうの傍らには子供の河童が立っていた。見ればそれは、昨日の放課後満作が振るうハンマーに恐れを成して逃げ出していた小さな河童だった。彼は満作を指さして激しい声で鳴き始めた。

「くきゃらきゃらわきゃらかきゃらら。がががくきゃららら。らららがきゃらら。くきゃら!」

「……彼がその脅かされたと言う河童の子供です。赤いハンマーにも見覚えはあると言っています。ではこれより満作君に釈明の機会を……」

「……待つが良い輝彦殿。その訳では不十分ではないか?」

 そう言ったのは、人だかりの中で会話を見守っていた王一郎だった。

「その少年は満作に『脅かされた』のではなく『殺されかけた』と訴えているぞ? 必死で逃げ出さなければ自分もまた殺害されたに違いなく、そのように凶暴な満作が犯人であることは間違いないとまで言っている。何故それを訳さない?」

「…………因殿。この河童の子供には興奮が見られます。よってその言動にも誇張が入っているとみられ、それに応じた翻訳を……」

「我々人に矜持があるように物の怪にも矜持がある。水の妖魔は特に誇り高く一度怒りを買えばこの程度の小さき村瞬く間に川底に沈むこと必至であろう。よってその言霊には敬意を払うがこの地を収める貴様の使命のはず。何故正確を喫さない?」

「因殿。言いたいことは分かりますがこちらにも考えがありますので、ここは一つ私に一任していただけませんか?」

「ならぬ。元より妖魔との折衝はこの討魔師である我を交えるが必然のはず。若人よ、浅はかなる腹の内は容易く見破られるのみだと心得よ」

「翻訳の不十分さについてはそこの討魔師さんの言う通りだよ」

 と、しわがれた声が聞こえて来た。

 驚くべきことに、それは河童の内の一人の口から放たれていた。腰が曲がり、しわくちゃの顔をした河童である。家鴨のような大きな唇はしわがれ、ぬめりを帯びた皮膚は光沢を失いその全身が老いていた。だがその細い瞳の奥にある光は人を含めたこの場の誰よりも老練だった。

「……が、そこの村長の息子も別に悪いことをしているとは思わないね。そこの容疑者の子供を弁護する上で、今強い言葉をそのまま伝えて動揺させるのは得策ではないと判断しただけだね。だからいちいち訂正しなくて良いよ、討魔師さんよ」

「……そうか分かった。ねねこ殿、失礼した」

 流暢な日本語を操る河童の出現に桃太は衝撃を覚えていた。そのねねこと呼ばれた老婆が河童の中でもかなりの実力者であることは、討魔師である王一郎が容易く引き下がったことからも明らかだった。

「……ではこのまま私が翻訳を行ってもよろしいでしょうか?」

 輝彦は恭しくねねこに言った。

「いいやあんたにも任せておけないね。ボケる前にゃあ、雷蔵には散々一杯食わされたもんだ。息子のあんたも信頼できない。かと言ってそこの討魔師は人柄こそ愚直だが気が触れてるのが難点だ。他に河童の言葉が分かる奴はいなそうだし、ここは一つあたしが両方の翻訳をするよ」

「しかしそれでは、あまりにも村にとって不利なのでは……?」

「ふん。あんたら人間と違ってこっちはこすっからい手は使わないよ。どの道あんたらは河童の言葉は分かっても喋れないんだし黙ってな」

 ねねこはそう言うと、満作の方に視線を向けた。

「坊や。ぐうがあの頭の前に転がってたハンマーは確かにあんたのだそうだ。ハンマーにはぐうがあの皿の破片や血や脳漿がたっぷりついていた。これについての釈明を聞かせてくれないかい?」

 桃太は満作のハンマーを川原へ持ち込んだ後、河童の死骸の頭部を何度も叩き壊し損傷していた。それはハンマーに殺害の証拠を残す為の偽造工作だった。

「し、知らねぇ。俺は今日は夕方までずっと店番してたし河童なんて殺してねぇ」

 目に涙を浮かべながら満作は言った。

「ならハンマーはどうやってぐうがあの頭元にたどり着いたんだい?」

「あ、あのハンマーは同じ奴がたくさん店に売られてるんだ。その内の一つであって、俺んじゃねぇっ」

「そうかい。人間は同じものをたくさん量産する技術を持っているんだったね。じゃあぐうがあを殺したハンマーが坊やのじゃないとして、坊やのハンマーはどこにあるか持ってきてくれるかい?」

「……それが。無くなってるんだ」

「なんだって?」

「ねぇんだよ! いつの間にか、俺のハンマーは無くなってるんだよ!」

 満作は涙ながらにそう訴えた。

「……くきゃらら。きゃきゃらくきゃらわきゃらら。がきゃら」

 ねねこがらうだうに翻訳すると、らうだうは興奮した様子で満作に詰め寄った。そして鍵爪の付いた手を振り上げて満作を威嚇しつつ叫んだ。

「くきゃららら! がきゃら! ががががきゃらわきゃらががきゃらががきゃらら!」

「沈まれ妖魔よ!」

 王一郎が満作の前に立ち、らうだうを制した。

「まだ有罪が決まった訳ではない! 貴様も誇り高き水神の現身ならば、妄挙は控えよ!」

 らうだうは尚も興奮していたが、ねねこが「がきゃーら!」と叱責すると、納得のいかない様子を見せつつも表面上引き下がった。満作は恐怖のあまり顔面を蒼白にさせ尻餅を着いた。

「……正直に言うとね。河童側としては、別に坊やがぐうがあを殺したという確証がなくたって構わないんだ」

 ねねこは低い声でとんでもないことを口にした。

「ただ河童と人間との間にある掟として、河童が人間に殺された時またはその疑いが強い時は、誰でも良いから人間の命を一つ河童に差し出さなければならないというものがある。これを守ってくれるのなら少なくとも掟上は何の問題もない。ただあたしの主義として、できる限り犯人である人間を殺した方が、河童にとってと言うより村にとって納得ができるだろうと思うから、そうしてるだけだ。そしてそれすら時と場合によって簡単に覆る。それは分かるね?」

「はい。……理解しております」

 輝彦は沈んだ声で言った。信じられないがそれはねねこにとって当然の感覚であり、またそのことに村の代表者である輝彦は納得しているらしかった。公然と交わされるそのやり取りは、河童に対し人間がどれほど無力で立場の弱い存在なのかを物語っていた。

「いくら人間が汚らしい手段で海神様に縋っていてもその掟だけは変わらないんだ。ぐうがあの妻であるらうだうが、これほど強くそこの坊やの処刑を望んでいるのなら、こちらとしちゃ処刑する相手はそこの坊や『でもいい』んだよ。そっちが納得して坊やを差し出してくれれば裁判はすぐ終わるよ。出来ればそうしてもらいたいんだがどうだい?」

「……それでは村は納得しません。日数をいただければ、こちらでできる限りの調査や聞き込みを行い、満作君が犯人で間違いないか調べられます。どうかお時間を……」

「無理だね。河童は人間ほど同じことに時間をかけないんだ。その日のことはその日に済ませるし、済ませられないならそれはしなくて良いことさ。今夜中に一人処刑しなくちゃらうだうも納得しないだろう」

「一日だけで構いません。明日の晩またここに来ていただければ、こちらもより確信を持って真犯人をそちらに突き出すことができます。我々も満作君のことは重要な参考人としていますが、しかし確実に犯人だと断定できないでいます」

 満作は「俺じゃねぇ、俺じゃねぇ」と涙ながらに訴えており、その様子は傍目にも嘘を吐いているようには思えなかった。実際それは真実だと桃太は知っていた。

「俺、工具屋に買い物に行った時満作が店番をしているのを見たぞ。時間は四時半だ」

 野次馬の一人がそう証言をした。桃太はドキリとした。工具屋に客は一日に数人しか来ないというので油断していたが、まさか証言者が向こうから現れるとは。

「ふん。人間は汚いから嘘を吐いて庇っている可能性があるね」

 しかしねねこはそう言って男の証言を一蹴した。桃太は胸を撫でおろした。

「そもそも、凶器を現場に置いて帰るのはおかしいじゃねぇか!」

 満作の父が息子を庇ってそう発言した。

「それはあたしも気になるが、しかし殺しをした後は異常な精神状態になって、信じられないミスを犯すことはありうるんじゃないのかい? 増してやそこの坊やは幼い子供だろう?」

 ねねこは悩まし気な口調で言った。

「いずれにせよ、確証はないと言うことではないのでしょうか? どうかお時間を……」

 輝彦が言う。議論は紛糾し終わりが見えなかった。

 ある時、桃太は自分の尻のポケットの中が濡れているのに気が付いた。

 思わず中に手を入れる。ポケットに入れて来ていた河童の皿の破片の中から、水が染み出しているのが分かった。

 どうやらこの皿の中には幾ばくかの水分が含まれているらしかった。問題はそれがどの程度の量かということだった。河童の破片があくまでも物理化学に従って水分を含んでいるだけならばその水の量はたかが知れていた。しかしこれは何せ妖怪が絡むことなので、この染み出した水が何か恐ろしいことの予兆でないとも言い切れなかった。

 桃太は裁判見物に夢中になっている父親から離れ、瓜子に近付いて耳打ちした。

「ねぇ瓜子」

「わっ。こそばっ」

 瓜子は驚いた様子で桃太の方を振り向いた。

「耳元ふーふーされるのこそばっ」

「そ、そんなふーふーなんてしてないだろ?」

「わたし耳敏感なの。でも気持ちいーからちょっと好き。で何?」

「河童の皿の破片ってさ、中にどのくらい水分を含んでるの?」

「ん? いっぱいだよ?」

「いっぱいって……どれくらい?」

「え? うーんとね……」

 瓜子は傍にいる王一郎の袖を引いて無邪気に尋ねた。

「ねーねーお父さん。河童のお皿ってどのくらい中にお水あるの?」

「風呂一万杯分だ」

 王一郎は瓜子の質問の唐突さを意に介さず淡々と答えた。風呂一万杯という数字に具体的な意味はおそらくなく、『とにかくたくさん』ということを子供に伝える為の表現だと思われた。

「だってさ。でもそれがどうしたの?」

「いや……河童の皿の破片、持ってきちゃってて」

 そう言うと、瓜子は目を丸くして困った声で言った。

「えーダメじゃんそれ。そんな量の水溢れてきたら大変なことになるよ!」

「そうなんだ。どれくらいの時間でそれってあふれ出すんだろう?」

「聞いてみるね」

 瓜子は再び王一郎の腕を引いて尋ね、答えを聞き出して桃太に耳打ちした。

「河童の頭に乗ってる状態の皿の水分は河童にコントロールされてるけど、破片の場合およそ五時間したら一気に水があふれて来るって。水がちょっとずつでも滲み出したらそれは予兆だから、すぐ逃げなきゃ大変だって」

「……も、もう水分溢れ出しちゃってるんだけど」

「何とかする方法聞いて来たから大丈夫。破片貸して?」

 言われるがまま桃太はポケットの中の破片を周囲に見えないように瓜子に差し出した。瓜子はそれを受け取るとひょいと口の中に放り込んだ。

「ほへへはいほうふ(これでだいじょうぶ)」

「な、何? どういうこと?」

「ふひほははほはひへっはほほほひはっははひふははふへふほほはふっへ」

『口の中とか湿ったところにあったら水が流れるの止まるって』と言っているのがなんとか聞き取れた。一先ずの対応策が取れたことで、桃太は安堵した。

 そして頭の中で一つの引っ掛かりを覚えた。確か、村にある破片は、瓜子の口の中にある一つだけではなかったはずだ。

「あんたもしつこいねぇ。たかが子供一匹どうしてそんな庇うんだい? そいつじゃなくてもどうせ誰かが殺されるのにさ」

 裁判の方に意識をやると、ねねこは心底理解できない様子で輝彦に迫っていた。その言動と主張からは、人間との価値観の違いが如実に表れていた。

「我々人間は公正さを重んじます。犯人であると確信を持てるまで誰のことも差し出したくありません。せめて自白してからでないと」

「だったら拷問でもして口を割らせな」

「尋問は致します。その為にも一日だけで良いので調査の時間が欲しいのです。どうかお願いいたします」

「無理だね。待てても夜明けまでが限界さね」

「では夜明けまででも。それだけあればできる調査はいくつかありますから」

「ねぇねぇ。なんか怪しい雲行きだけど、これちゃんと満作が処刑になるんだよね?」

 瓜子は桃太に耳打ちして来た。桃太は答える。

「……さっきの瓜子の話の通りなら、なると思うよ。っていうか、口に入れてた皿の破片はどうしたの?」

「他の湿ったところに移した」

「他の湿ったところって?」

「いやんえっち」

「え? 何どういうこと?」

 その時だった。

 満作らの背後にある工具屋兼一家の自宅の建物から、何か水の流れるような音が響いた。やがて建物の壁から大量のあふれ出し、たちまち人々の足元へと流れ出し水たまりを作り始めた

「これは……。いかんっ。皆逃げろ! 高台だ!」

 王一郎が叫び、瓜子の腕を引いてその場を逃げ出した。

「小さな子供は抱きしめろ! 命に係わるぞ早くしろ!」

 突如として足元に流れ出した水に、人々はそれぞれ訝し気な表情を浮かべていた。水の勢いは凄まじかったが現時点での水量は靴の裏を濡らす程度であり、王一郎の言葉にも機敏に反応できていなかった。

「悪童よ! 皿の破片を家に持ち帰っていたな! 愚かなり!」

 王一郎は忌々し気に言いながら、瓜子を小脇に抱えたまま近くの建物の屋根へと忍者のように跳躍した。

「わっ、わ。お父さん突然何?」

「皆! 逃げろ! 逃げろおおおおおっ!」

 その時だった。

 満作の家の建物が途端に弾け飛び中から大量の水があふれ出した。それは鉄砲水の如き勢いで人々に襲い掛かった。それはどう見ても『風呂一万杯』を上回っており、家屋を中心に津波のように広がって行った。

 発信源の間近にいた人々にとって向かい来る水流は『面』であり『水の壁』であった。迫る水に打ちのめされた人々は呼吸を失いあちこち体をぶつけながら流されて行った。

 放射状に広がる水流は徐々に水位を下げつつ一帯を巨大な泉へと変化させた。もっとも長い者で十メートル近くは流されたのではないだろうか? 満作らの家の建物は最早原型を失くし、そこから生じた壁や天井だった木片は人々の肉体にぶつかりつつ周囲一帯に散らばった。

 水の流れが収まった時、立っていたのは素早く避難した王一郎と彼に救助された瓜子の他は、泳ぎの達者な数人の河童を残すのみだった。

「……やっぱり。坊やの殺しに間違いないみたいだね」

 そう言ってねねこは横たわっている満作に近付き、水かきの先端に付属した鍵爪を向けた。

「もう話し合いの余地はないだろう。こいつの命を貰っていくよ」

 満作は水を吐き出してから、ねねこに向けて反論した。

「待てっ。本当に俺じゃない! 信じてくれ!」

「あんたの家にぐうがあの皿の破片があったんだから、あんたが犯人で間違いないだろう。河童の皿は人間にとって貴重品だから持ち帰った。そうだろう?」

「違うんだっ。助けてくれっ! これは罠だ! 誰かが俺を嵌める為の罠だっ! そうだあの時の……」

 滂沱の涙を流しながら命乞いをしたが、ねねこは意に介さなかった。

「問答無用だよ」

 ねねこは鍵爪を振り上げる。

「死にな」

 満作がそれ以上口を開く前に、鋭い鍵爪がその首と胴体を泣き別れにさせる。

 鮮血が飛び散り、意外なほど大きな音と水飛沫を立てて、満作の首が水たまりの中に沈んだ。




 後日談。

 満作の家にあった皿の破片が洪水を起こしたのを目の当たりにした村民たちのほとんどは、最早満作を犯人だと疑っていなかった。一部村として改めて捜査をやり直すべきだと主張する者も少数ながらいたが、人事上のコストの問題などからその意見が可決されることはなく、満作が店番の途中で抜け出し犯行に及んだということで事件は幕を下ろした。

 桃太はひとまず胸を撫でおろした。自分の行った偽装工作の全てが子供の浅知恵に過ぎず。綱渡りの中で運良く成功したに過ぎないことは理解していた。しかし上手く行ってしまえばどんな浅知恵も天才的策略も同じことであり、瓜子を守り抜いたことは桃太にとって輝かしき勝利だった。

 とは言え不安と罪悪感は残った。満作はいじめっ子であったとは言え、それは死に至らしめなければならない程の咎とは言えなかった。そもそも例え仮に満作が数百人を殺した殺人鬼だったとしても、桃太が己の勝手な都合で罪人に仕立て上げたことは明確なる邪悪に他ならなかった。また満作が犯人だとすると不可解な点も多いと言う事実に気付く村人も少数ながらおり、その存在も桃太にとって大きな不安材料となり眠れぬ夜が続いていた。

 しかし。

「やったーっ。処刑されずに済んだー。桃太ぁ、ありがとーっ」

 事件の翌日、瓜子はそう言って屈託なく無邪気な様子で桃太に飛びついて来た。

「生きてるって幸せーっ。もう最高! またマシュマロやチョコレートや八宝菜やけんちん汁が食べられる!」

 言いながら万歳をする瓜子の表情は喜色に溢れていた。その笑顔に一点の曇りもなくただ自らの生とそれを齎してくれた桃太への感謝が充満していた。

「そ、そう……。良かった。平気みたいだね」

「平気って、何が?」

「い、いやさ。満作に対する罪悪感とかで、悩んでないか心配してたんだけど……」

「何それ? そりゃあ満作は可愛そうだし悪いことしたけど、命が助かって嬉しいのと比べたら、そんなの全然どうでも良いよ。満作は別に死んで欲しくなかったけど、それでも自分が死ぬより百億倍良いもんね」

 けろりとした表情でそう言ってのける瓜子の表情は無邪気そのもので、桃太は少し薄ら寒かった。心からまったく悩んでなどいないことはその振る舞いから見て分かる。明日からは満作のことなど綺麗さっぱり忘れ、思い出したとしてもそこに痛痒など感じないに違いなかった。

 その様子から桃太はあることを悟った。

 この少女には確かな思いやりと親切心が備わっているが、その本質は決して善ではなかった。しかし悪であるとも言い切れず、生まれたての赤子に倫理が意味を成さないのと同様に、その魂はひたすらに無垢で純粋だった。

「でも桃太ってさぁ。結構悪い奴だよね。満作に罪擦り付けるなんてさ」

 瓜子は笑顔のままそう言った。

「……幻滅したかな?」

「え? なんで? 桃太が悪い奴のお陰でわたし命助かったんだから、そっちの方が良いに決まってるじゃん」

「まあ、そうなのかな?」

「そうだよ。わたし桃太大好きだもんね。そしたらさ」

 瓜子は桃太の腕に自分の腕を絡め、満面の笑みを浮かべて言った。

「満作死んだから今日学校休みでしょ? お葬式出るのつまんないし、すっぽかして一緒に人魚探しに海行かない? 行くよね?」

 そう言われ、桃太は若干の戸惑いを覚えつつも、命の恩人たる瓜子の言葉に逆らうということは考えられず、「もちろんだよ」と言って微笑みを返した。

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