第6話

 数分間を瓜子の胸の中で過ごし桃太は顔を上げた。子供のように泣きじゃくった己に情けなさを感じたが、しかし瓜子は慈母のような笑みで桃太を優しく見詰めていた。

「……取り乱してごめんよ」

「いいよ。しっかりして見えるけど桃太もまだ十二歳だからしょうがないもんね」

 同じ十二歳児である瓜子はけろりとした表情を浮かべている。岩で皿を叩き割って河童を殺害した直後であるというのに、息一つ乱しておらず落ち着いた態度だった。そのあまりの胆力に桃太は感心を通り越して畏怖を覚えた。

 瓜子は落ち着いた桃太から離れると河童の方へと歩み寄った。そしてその死を確認するように頭を覗き込むと、割れた皿の隙間から見える脳髄へと手を伸ばし、中のゼラチン質を一掬い指先にからめとった。

「ちょっと……」

「おいしいのかなこれ」

 言いながら瓜子はえぐり取ったゼラチン質を桃太の方へと示す。血に濡れたゼリーの残骸のようだった。

「何をおかしなことを……」

「おかしくないよ全然。河童だって妖怪なんだから食べたら何か御利益があるかもしれないもんね。人魚の涙程じゃないにしろ、ケガや病気治ったりするかもしれないじゃん。食べてみるよ」

 そう言いながら脳味噌を口に入れた瞬間、瓜子は「まっず」と顔を顰めた。

「世界で一番まずい。お母さんが晩御飯に出す梅干しよりずっとまずい」

「そりゃそうだよ……。体に悪いからやめなって」

「一応、飲み込んどく。良薬口に苦しだもんね」

 瓜子は嫌そうな表情で脳味噌を飲み下した。

「後はどこかな? 手を捥いで持って帰ってミイラにするのが良いのかな? 桃太は東京でなんか聞いたことない?」

「ないよ河童の食べ方なんて。それよりさ」

 桃太は血の気を引かせながら言った。

「その河童ぼくらが殺しちゃったんだよね。まずくない?」

 人が河童を殺害することは禁忌であり河童の怒りに触れた。過去に売り物にする為に河童を捕まえた男が河童たちにより死刑になったという話を聞いたばかりだった。

「ぼくら? 違うよ。殺したのはわたし。桃太は関係ない」

 瓜子はけろりとした表情で言った。その表情に深刻さはなくいたって平常心を保っている。その様子には豪胆と言うよりも、人並の情緒が欠落したような恐ろしさがあった。

「バレたらきっと河童に処刑されちゃうね。正当防衛とか河童に言ったって聞き入れて貰えるはずないし、まずいことになったねー。どうしよどうしよ」

 呑気な声で言う瓜子に、桃太は真剣な表情でこう切り出した。

「……ぼくが罪を被って河童に処刑されるよ」

 瓜子は目を丸くして、小首を傾げながら桃太の顔を見た。

 桃太は瓜子を命の恩人だと認識していた。その恩は何を犠牲にしても返さなければならない。それは桃太が父親より植え付けられた本能的な反射であり呪いだった。桃太は瓜子によって救われた命を瓜子の為に捧げることを誓った。瓜子の為になることなら如何なる責め苦にも耐え如何なるものも投げ出すと決めた。

「嫌だよ。何言ってんの変なの」

 瓜子は呆れたような表情を浮かべている。心底から桃太の提案を不条理に感じているのが分かった。

「せっかく命助かったのになんで死のうとするの? さっきまで泣いてた癖にさ。そんなん言われたらわたし助けた意味なくね? この河童殺したのわたしなんだから、桃太が処刑されるのは絶対変だよ」

「それじゃダメなんだ」

「桃太のいうことの方がダメじゃん。本気で言ってるしさ。変わったとこあるよね、桃太って」

「瓜子は自分が死んでも良いっていうの?」

「やに決まってんじゃん。だからわたしこれから村から逃げるよ。生き延びるにはそれしかないもんね」

 この村は東を海に西を山脈に囲われており、村から逃げ出そうと思えば山をいくつも越えなければならなかった。自動車でここにやって来た桃太達一家ですら山道をいうに数時間は走り続けており、子供が徒歩でそれを乗り越えるのは無謀としか言いようがなかった。

「ちょっと待ってね。瓜子が助かる方法考えるから」

 桃太は手を頭にやり、しばし目を閉じ沈思黙考した。

「……ぼくが犠牲になるのは瓜子にとってダメなんだよね?」

「うん。や。それは絶対変」

「村の人達に正直に事情を話して河童から匿ってもらうのは無理なの?」

「うん無理。村長だって河童と揉めるくらいなら子供一人くらい平気で差し出す。妖怪との間に波風立てるのは一番ダメなことだから」

「外の警察に泣きついても同じ?」

「同じだろうね。そもそも妖怪が絡んだ事件は人間の法で裁けないから、妖怪の出る村は妖怪絡みのトラブルをそれぞれで自治・対処することになっているんだ。たいていは妖怪の注文通りになっちゃうんだけどね」

「そっか。……でも待てよ? それって逆に言うと、人間によるちゃんとした科学調査や裁判は行われないってことなんじゃない?」

 その時桃太の頭の中に一つの閃きが浮かんだ。それはまさに十二歳の子供の浅知恵であり、まともな人間の大人を相手にするなら、すかさずに看破される愚考に他ならなかった。

 しかし今回の相手は人間でなく河童だった。その知能の程度如何によっては、挑戦する価値はあるように思えた。

「証拠隠滅して逃げ切ろうっていうのは無理だと思うよ。河童はアタマ悪くて倫理観とかもあんましだから、ちゃんとした証拠がなくても疑わしかったら罰して来るよ?」

 瓜子は言う。

「河童の裁判ってどんな風に行われるの?」

「まず河童の誰かが死体を見付けたら、『ねねこ』って名前の河童の長老みたいな人に伝わって、その人が村長のところへ来るの。そして村長と話し合って疑わしい人を集めて、一晩話し合って誰が犯人かを皆で決めるの」

「一晩で犯人が決まっちゃうんだ……。『皆』っていうのは?」

「村の有力者と河童たち。でもたいてい河童が犯人だと指名した人が罪人になる。冤罪もあるけどそれは事故みたいなもんで、皆ある程度しょうがないって諦めてる」

「それで、河童の調査能力はどのくらい?」

「分かんないよそんなの。でも桃太のいう科学調査っていうのはないかも。アリバイとかは村長が聞いて回ることもあるけど、基本的に河童は人間を信頼していないから、アリバイを主張しても庇い合ってると判断するのがほとんど。基本的には状況証拠と河童たちの印象で決まるかな」

「そうか。……それは都合が良い。いけるかもしれない」

 桃太はそう言って立ち上がり、瓜子に向けて言った。

「なぁ瓜子。君は家に帰っていて欲しい。そしていつものように、何食わぬ顔で生活をしていて? なるだけ普段と違うそぶりは見せないようにね。……君ならそれはできると思う」

「……? 桃太が言うならそうするけど、なんか考えあるの?」

「一か八かの浅知恵だけどね」

 桃太は苦笑しつつ言った。

「でも、何もせず処刑されるよりは良い。そう思わない?」

 尋ねると、瓜子は自身が置かれた危機的状況など意に介さないかのように笑って、「それはそーでしょーっ」と元気良く口にした。




 瓜子を家に帰らせた後、桃太が向かったのは満作の両親がやっている工具店だった。そこは工具店であると同時に満作ら家族の住居も兼ねていた。

 昨日満作が言っていたとおり、その店内のレジには満作が一人やる気なさげな様子で椅子に腰を付けている。一日に数人の客しか来ない店の番を、用事のある父親に代わって行っているという話だった。それは桃太にとって極めて都合が良いことでもあった。

 桃太は満作に気付かれないように建物の裏手に回り、木の裏に隠れつつ手にした岩を居住スペースの窓ガラスに放り投げた。

 激しい音を立てながら、窓ガラスは砕け散った。

「何しやがる! 誰だ!」

 ガラスが割れる音を聞くなり、そう怒鳴りながら満作が店を飛び出して来る。ガラスを割った不届き者をその手で捕まえようと店番を放り出して外に飛び出して来たのだ。桃太は満作が店の出入口から見て右回りに窓ガラスの方へと走るのを確認すると、反対方向から店の入り口に回り込んだ。

 満作は犯人を捜してあたりを見回し、近くの木の陰や茂みの裏を確認し始める。それを確認するなり、桃太は店の入り口から店内に入り込んだ。

 ここで桃太が取る判断は主に二通りだった。一つ目は店に売られている赤い槌と黒い柄のハンマーを一つ万引きして立ち去るというもので、これは比較的危険の少ない代わりに見返りも少ない安全策だった。もう一つは満作がしばらくこの建物に帰ってこないことに賭け、店内から居住スペースへと移動し満作の自室を物色するということだった。これは危険度は極めて高いが成功した時の見返りは莫大だった。

 そこで桃太は「ちくしょう! どこだ!」と言う満作の声と、遠くへ走り去っていく足音を耳にした。ガラスを割った犯人を捜すべく満作が走り出したのが分かった。これを千載一遇のチャンスと見た桃太はリスクもリターンも大きな行動に出た。

 桃太は店内を見回して一枚の扉があるのに気が付くとそれに手を開け放った。そこは店内から居住スペースへ繋がる扉になっていて細い廊下が現れた。桃太は靴を脱ぎ捨てると居住スペースへ侵入した。

 屋内は平屋であり桃太の家とは比べ物にならない程小さかった。よって満作の部屋を見つけ出すのも一瞬だった。小汚い四畳半に衣類や漫画本が散乱し黄ばんだ万年床の傍に丸いちゃぶ台があった。壁には野球や釣りの道具が立てかけられておりその隣には赤い槌と黒い柄のハンマーがあった。

 使い込まれた様子のそのハンマーをかっぱらい、桃太は足早に家を立ち去ろうとする。その時だった。

 桃太は床に敷きっぱなしの万年床に足を取られて転んだ。ポケットの中でバリっと固いものが砕ける音がする。それは砕けると同時に桃太の太ももに食い込んで痛みを齎したが、いつ満作が帰って来るかも分からない状況でその痛みにかかずらっている暇はなかった。

 桃太は一目散に工具店を後にした。現場へこれを持ち帰りいくつかの工作を済ませた後は、運を天に任せるだけだった。

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