第33話 アリシア・ヴェル=クロード

入学早々、適性検査で異常な魔力反応を示したハルオは、副学長ライゼルの目に留まる。

自由と競争に満ちた王立魔法学園での新生活が始まり、同室の先輩クレインとも打ち解け始めた矢先――

食堂に現れた“特別上級課程”の少女が彼の名を呼び、運命の歯車は静かに動き出す。


少女の声が、ざわめく食堂の空気を切り裂いた。

一瞬で静まり返る空間。視線がすべて、ハルオと少女に集まる。


「……はい、僕がハルオですけど」

戸惑いながら名乗ると、少女は無表情のままわずかに頷いた。


「やはり。副学長から直接話を聞いているわ」

その声には一片の揺らぎもない。冷たく、機械のような正確さを感じさせた。


「おいおい、副学長直々って……どういうことだ?」

クレインが眉をひそめるが、少女は答えず、静かに杖を傾けた。

淡い光が杖の先に宿り、空気がぴりりと張りつめる。


「私はアリシア・ヴェル=クロード。研究課程所属――学園生徒会の副会長でもあるわ」

名を告げたその瞬間、周囲の学生たちが息をのむ。

アリシアは続けた。


「あなた――ハルオの行動と魔力を、一定期間観察するよう命じられているの」


「観察……ですか?」

ハルオの声が少し震える。


アリシアの瞳は氷のように澄んでいたが、その奥にはわずかな迷いが見えた。

「あなたの魔力は、制御を誤れば周囲を巻き込むほどの力を持っている。

だから、正しく扱う術を学ばなければならないの。――早急に、ね」


「俺の魔力が……?」

(やっぱり……普通じゃないんだ)


アリシアは小さく息をつき、わずかに表情を緩めた。

「安心して。私はあなたを敵として見ているわけじゃない。ただ……観察対象として見ているだけ」


「いや、それ全然安心できないんですけど」

ハルオが困ったように笑うと、クレインが吹き出した。


「だよな。一定期間観察とか言われてビビらねぇ奴なんていねぇよ」


一瞬だけ、アリシアの唇がわずかに動いた。

それが笑みか皮肉かはわからない。


「……ふふ、面白い人たちね」

「ほら、笑ったぞ。さっきまで氷像みたいだったのに」

「調子に乗らないことね、クレイン・ラザフォード。あなたの素行記録はすでに確認しているわ」

「げっ、見られてたのかよ……!」

クレインが情けない声を上げ、ハルオは思わず吹き出した。


だがその空気は、すぐに張りつめる。

アリシアの杖が淡く光を帯びると、食堂の中の魔力の流れが一瞬で変わった。


「まずは基礎を学びなさい、あと三食しっかり食べて歯も磨くこと――」


彼女の瞳が鋭く光る。まじめなように見えて少し抜けているのかもしれない。


クレインが思わず吹き出した。

「お、おい……今の注意、最後だけ母親みたいだったぞ」


「なっ……!」

アリシアの頬がわずかに赤く染まる。

「ち、違うわ。これは生活面の指導も含めた生徒会業務の一環よ!」


「へぇ~、“歯も磨け”が業務内容とは知らなかったな」

「クレイン、あなた本当に減点対象にするわよ?」

「やべ、副会長こえぇ!」


食堂のあちこちからくすくすと笑いが漏れた。

緊張に包まれていた空気が、少しだけ和らぐ。


ハルオも小さく笑みを浮かべながら言った。

「……でも、ありがとうございます。なんか、少し気が楽になりました」


アリシアは一瞬きょとんとした顔をして、それから視線を逸らした。

「礼を言われるようなことはしていないわ。私はただ――任務を果たしているだけ」


それでも、その横顔にはほんの一瞬、柔らかな表情が浮かんだ気がした。


クレインが立ち上がり、手を叩く。

「よし、堅い話は終わりだな! ハルオ、副会長殿が帰る前にデザートでも頼もうぜ。ここ、プリンがうまいんだ」

「‥‥一緒にどうですか?」

「遠慮しておくわ」

アリシアはそっけなく答えたが、その視線はほんのわずかにメニューの方へ流れた。


(あ……ちょっと気になってる顔だ)

ハルオは心の中でそう思い、笑いをこらえた。


「じゃあ、もしまた話があるなら――いつでも来てください」

「……必要があれば行くわ。しっかり頑張りなさい」


そう言い残し、アリシアは静かに踵を返した。

青いマントが揺れ、月明かりを反射して白く光る。


扉が閉まったあとも、ハルオの胸の中には妙な余韻が残っていた。


(冷たいのに……どこか優しい人だな)


クレインが肘でつつく。

「おい、顔がにやけてるぞ。まさか惚れたか?」

「ち、違うよ!」

「はいはい、わかってるって。そういうの、だいたい否定するときほど図星なんだよな~」


「クレイン!」

「おっと、怖い怖い」


二人のやり取りに、周囲の学生たちの笑い声が再び広がる。

食堂のざわめきが戻り、いつもの学園の夜が流れ始めていた。


その夜、寮に戻ったハルオはベッドに横たわりながら、天井を見つめていた。

胸の奥が、妙にざわついている。


(アリシア……あの人、なんなんだろう)


冷たくて、でもどこか優しい。

あの瞳の奥にあるものを思い出そうとすると、胸の鼓動が少しだけ早くなる。


「惚れたな」


突然の声にハルオは飛び起きた。

見ると、隣のベッドでクレインがニヤニヤしている。


「ま、わかるけどな。あれだけ美人で頭がキレて、しかも副学長直属だろ? 誰だって気になるさ」

「そ、そういうんじゃないって!」

「はいはい。青春してんなぁ、異世界ボーイ」


「……もう寝ます!」

布団を被ったハルオの背に、クレインの笑い声が響く。

けれどそのあと、不思議と静けさが戻った。



翌朝。


窓の外から、鳥のさえずりと鐘の音が重なって聞こえてくる。

ハルオはまぶたを開け、ゆっくりと上体を起こした。


(……夢みたいだな)


昨日まで自分がいた世界ではなく、

魔法と塔と空中灯のある「新しい日常」。

そう思うと、胸の奥が少しだけ熱くなった。


「おい、起きたか?」

既に制服姿のクレインが、パンをかじりながら振り向く。


「おはよう。……早いな」

「早くねぇよ。授業は自由だけど、今日は顔出しとけって先輩から言われてんだ。

でもそのあとはサボりだ」


「それフォローになってない」

そう言いながらも、ハルオは苦笑して立ち上がった。

机の上には昨日支給された学生服がきちんと畳まれて置かれている。


白と紺を基調にした軽い布地で、胸元には学園初級課の紋章が縫い込まれていた。

袖を通すと、どこか背筋が伸びる気がした。


「似合うじゃねぇか。お、ちゃんと“学園生”の顔してるぞ」

「からかうなよ」

「いやマジで。昨日の田舎坊主から見たら進歩だ」


軽口を交わしながら、二人は寮を出た。


「おまえ授業は明日からだろ。今のうちに王都でも観光しとけよ」

「たしかに、まだ王都はゆっくり見てなかったな」

クレインはパンを飲み込みながら肩をすくめた。

「この学園に通ってると、案外王都のこと知らねぇまま終わる奴も多いんだぜ。授業と研究で一日が終わる。お前みたいに“余裕”あるうちに見とくのが正解だ」


「そうなのか……じゃあ、今日は少し歩いてみようかな」

「それがいい。東区の中央通りは屋台が並んでて見どころ多いぞ。あと、午後になると今日は“魔具市”が開く。新入りにはおすすめだ」


「魔具市?」

「魔導士向けの露店市だ。杖や触媒、魔石、それに古い呪文書まで売ってる。掘り出し物もあるし、だが詐欺も多い。見るだけでも楽しいさ」


「なるほど……気をつけて行ってみるよ」

「おう。俺は図書塔に顔出さなきゃいけねぇから、夜に飯でも行こうぜ」


「わかった」

軽く手を振って別れると、ハルオは学園の正門を抜けた。

朝の王都はすでに賑わい始めており、行商人の声と活気が入り混じる。

遠くには城の尖塔が見え、白い雲の切れ間から光が差し込んでいた。


(……あれが、この国の中心か)


通りには冒険者風の男や、杖を持った魔導士、見習い兵士の姿まで混ざっている。

皆が何かに向かって動いている。

その活気が、ハルオには心地よかった。


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