第29話 旅装束の少女
オルド峠を抜け王都に到着した一行は宿屋に向かっていた。
街の中心部へ向かうほどに、賑わいはさらに増していった。
石畳の両脇には灯籠が並び、魚を焼く香ばしい匂いと、磯野香りが入り混じる。
どこかから楽団の笛の音が流れ、人々の笑い声と混ざり合って夜の王都を彩っていた。
「まるでお祭りみたいですね……」
ハルオが感嘆の声を漏らす。
「王都はいつでもこんなもんさ。」
ベスが言いながら、街の明かりを見上げた。
「旅人も商人も兵士も集まる。戦の噂が絶えねぇ世の中でも、ここだけはいつも活気があるんだ。」
ゴルドが頷き、馬車を左に曲げる。
「見えたぞ。“風の宿”だ。」
角を曲がると、二階建ての石造りの建物が現れた。
入口には小さな木の看板が掲げられ、“風の宿”の文字と風を模した紋章が描かれている。
窓からは暖かな光が漏れ、外まで笑い声が響いていた。
「着いた着いた。ここの料理と酒は絶品だぞ。」
ゴルドが満足そうに馬車を止める。
ベスが先に降り、ハルオに手を差し出した。
「ようこそ王都オルディアへ、今夜くらいはゆっくりしな。」
「……ありがとうございます。」
ハルオはその手を握り、軽く頭を下げた。
宿の扉を開けると、木の温もりと人の気配が迎えてくれた。
暖炉の火がぱちぱちと音を立て、旅人や商人たちがテーブルを囲んで笑い合っている。
空気には酒とスープの匂い、そして街の一日の終わりを祝うような温かさがあった。
店主が笑顔で迎える。
「おや、ベスじゃないか! 久しぶりだな。
そちらは見ない顔だね。新しい仲間かい?」
「そうさ。峠で拾ったんだよ。」
ベスが言うと、店主は目を丸くした。
「拾った?よくわからんが歓迎するよ。」
ゴルドが笑いながらテーブル席を指さす。
「まずはエールを三つだ。腹も空いてる、肉料理も頼む!あと魚もだ」
「へい!」
店主が奥へ声を張る。
ハルオは椅子に腰を下ろし、胸の奥から小さく安堵の息をついた。
旅の疲れがようやく抜けていくような、そんな感覚だった。
ベスがジョッキを掲げる。
「さて、無事に王都までたどり着いた記念に――乾杯だ。」
三人のジョッキがぶつかり、澄んだ音が響いた。
その音はまるで、長い旅の一区切りを告げる鐘のように感じられた。
(……ようやくここまで来た。)
ハルオは心の中で静かに呟き、エールをひと口飲んだ。
今までで一番うまい一口だ。
ゴルドが豪快に笑いながら、肉の皿を豪快に切り分ける。
「ははっ、見ろよハルオ! これが王都名物“赤牛の炙り”だ。干し肉とは比べもんにならん!」
ベスもパンをちぎりながら頷く。
「ここに来るたび、これを食うのが楽しみでね。旅の苦労も報われるってもんさ。」
香ばしく焼かれた肉の匂いが鼻をくすぐり、ハルオの腹が思わず鳴った。
「……いただきます。」
そう言って口に運ぶと、肉汁が弾け、香辛料の刺激が舌の上で広がる。
「うまい……!」
思わず漏れた感想に、ゴルドが満足げに笑う。
「だろ? 峠の冷気に晒されたあとに食う肉は格別だ。」
店の中はどんどん賑やかになっていく。
別のテーブルからは旅人たちの笑い声、酔っぱらいの歌声、誰かが弾くリュートの音。
外では波の音が遠くから微かに聞こえ、窓の向こうで港の灯が瞬いていた。
「ハルオ。」
ベスがふと真面目な声を出す。
「魔法学園で学んだあとのことは考えてるのかい? 王都には冒険者も仕事も山ほどあるけど……流されてるとあっという間に食い尽くされる街だよ。」
ハルオはジョッキを見つめたまま、少し考えてから答えた。
「‥‥いえ何も、でも俺には何もないので多分冒険者を続けると思います」
ベスは少しだけ眉を上げた。
「“何もない”ねぇ……そう言う奴ほど、何かを見つけるもんさ。」
彼女は笑ってジョッキを傾ける。
「俺もそうだった。最初はただ生きるために商売をして。とにかく必死だった」
「ところでハルオの里はどこないんだい?親父さんやお袋さんがいるだろ?」
「そういや、聞いてなかったな両親も冒険者か?」
(困ったな‥‥異世界の日本でサラリーマンでしたなんて言っても)
ハルオは困った顔をして固まってしまった。
ベスとゴルドが顔を見合わせる。
「……おや、何か訳ありかい?」
「いや、いいんだ無理に話さなくてもな。」
ベスがそう言って笑い、空になったジョッキを軽く掲げた。
「冒険者ってのは皆、何かを置いてきた奴らさ。家族か、夢か、過去か。
この街に来る者の半分は、どこかから逃げてきた連中だよ。」
ゴルドが頷き、フォークを皿に置いた。
「王都はでっかい口を開けた化け物みたいなもんさ。
食われちまうか、それとも牙を持つか……ハルオ、どっちになるかはお前次第だ。」
ハルオはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……そうですね。でも、逃げてきたわけじゃありません。
ここで“生きてみたい”って思ったんです。」
その言葉に、ベスが目を細めた。
「ほぉ、いい目だ。だったら応援してやるさ。」
「おう、そうと決まれば明日から店の手伝いでもしてもらうか!」とゴルドが笑う。
「馬鹿言うじゃないよ。こいつは魔法学園にいくんだよ」
そのとき、店の扉がぎぃ、と音を立てて開いた。
冷たい夜風が吹き込み、笑い声が一瞬だけ止まる。
入ってきたのは、旅装束の少女だった。
フードを深く被り、肩口には風に靡く青い布。
その瞳は、まっすぐハルオの方を見ていた。
そして、静かに言った。
「……あなた、“ハルオ”ね?」
ジョッキを持つ手が止まり、ベスとゴルドが同時に彼を見る。
ハルオの心臓が、強く一度跳ねた。
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