第21話 温泉
盗賊の襲撃をしのいだハルオたちは、宿場町へ向けて馬車を走らせていた。
「ベスさんはパーティとか、組んでないんですか?」
「あぁ、性に合わなくてね。――」
ベスは手綱を軽く引き、少しだけ遠くを見つめた。
「昔ね。相方が一人いたんだ。あたしがまだ、今よりずっと若かった頃さ。」
夕暮れの風が頬を撫で、草の匂いが流れていく。
ハルオは彼女の横顔を見ながら、言葉を待った。
「でも、どっか行っちまったさ。あたしは置いて行かれた。」
声の調子は淡々としていたが、その奥には小さな痛みが潜んでいた。
「……死んだんですか?」
「いいや。多分、どこかでまだ生きてると思うよ。」
ベスは口の端をわずかに上げて笑う。
「だから今は一人。楽だし、気も使わない。」
ハルオは拳を握りしめた。
「そうなんですね……変なこと聞いて、すいません。」
「ははっ、気にしないさ。」
ベスがちらりと彼を見て笑う。
短い沈黙が落ちる。
夕陽が傾き、道の先に宿場町の灯が見え始めた。
「もう少しで休めるな。」
ゴルドが荷台の奥から声を上げる。
「今夜は一番いい宿を取ろう。命拾いした祝いだ!」
ベスは苦笑して肩をすくめた。
「どうせあたしが交渉するんだろ? おっさんは口が軽いんだから。」
「へへっ、金は出す! ……といっても、やつらの金だけどな。」
「そりゃそうだ。今日はぱぁっとやろうじゃないか。」
結局、倒した盗賊たちからは金貨1枚と銀貨五十枚を得ていた。
「意外と持ってたな。」
「気に病むことはないさ。襲ってきたのはあいつらだ。」
馬車は笑い声とともに石畳の町道へ入っていく。
街灯がぽつぽつと灯り、旅の埃を包み込むように柔らかな光を落としていた。
三人は街で一番大きい宿屋の前に馬車を止めた。
扉の上に吊るされたランタンが暖かい光を放ち、窓からは煮込みの匂いが漂ってくる。
「ここなら風呂もありそうだな。」
ゴルドが満足そうに笑う。
「風呂? 本当に?」
異世界に来て以来、水浴びしかしてこなかったハルオは、思わず身を乗り出した。
「ちょっと待ってな。交渉してくるよ。」
ベスは笑いながら宿の中へ入っていく。
ほどなくして戻ってきた彼女の手には、宿の鍵が握られていた。
「部屋は大部屋が一つしか空いてなかった。三人一緒だけど、あたしは気にしない。いいだろ?」
ベスがにやりと笑い、ハルオの反応を面白がるように見つめる。
「え、えぇ……全然……」
(っていうか、選択肢ないし!)
宿の女将の案内で三人は部屋へ向かった。
年季の入った木の床が軋み、ランプの灯が淡く室内を照らす。
壁には狩人や旅商人の古い木札が並び、この宿が長く旅人たちに愛されてきたことを物語っていた。
「風呂は一階の奥だそうだ。」
ゴルドが笑って誘う。
「行ってこい、若いもん。遠慮してどうすんだい。」
ベスが軽く肩を叩いた。
ハルオはうなずき、風呂場へ向かう。
木の扉を開けると、石造りの湯船が目に入った。
湯面が淡い光を反射し、まるで夢のように美しい。
「……うわ、すげぇ……」
湯に足を入れた瞬間、全身がとろけるような感覚に包まれる。
冷え切った体が温もりを取り戻し、戦いの疲れが静かに溶けていく。
「ここの風呂は温泉だからな。疲れも吹き飛ぶよ。」
ゴルドの声が後ろから響く。
「ゴルドさんも風呂、好きなんですね。」
「あぁ。だが、こんな宿は滅多に泊まれねぇ。高いからな。」
「いくらだったんですか?」
「確か、一人銀貨三十枚だったか。」
(マジか……)
思わず心の中でつぶやき、湯に沈み込む。
思い返せば――矢、血、剣の閃き。
それでも今、こうして湯に浸かっている。
この世界は、恐ろしくも美しかった。
湯から上がると、用意された麻の服に袖を通す。
さすが高級宿屋だ。部屋着まで用意されている。
廊下の先からは、笑い声と食器の音が聞こえてきた。
食堂に入ると、ベスがすでに席に着き、ジョッキを掲げていた。
テーブルには肉の煮込み、焼きパン、香草のスープ。
「お、やっと来たか! ハルオ、風呂はどうだった?」
「最高でした。……あんなに温かい湯、初めてです。」
ベスがにやりと笑う。
「ふふっ、初風呂記念ってやつだね。そりゃ明日死んでも悔いはないだろ?」
「縁起でもないこと言わないでください!」
そのやり取りに、ゴルドが腹を抱えて笑った。
「ははっ、いいじゃねぇか! 生きてるって実感できたなら、それで十分だ。」
三人のジョッキが軽くぶつかる。
「生きて王都へ行けたことに――乾杯!」
「どうしたハルオ? 飲まないのか?」
「お酒……飲んでいいんですか?」
「何言ってんだい、十五は過ぎてるだろ?」
「たぶん……」
「たぶんってなにさ。飲め飲め、酒は生きてる証さね!」
ハルオも笑い、ジョッキを掲げた。
どこか懐かしく、どこか新しい。
そんな温かさが胸に灯っていた。
ベスはグラスを傾けながら、ふと窓の外を見た。
「……この町も、随分静かになったなね。」
「え?」
「あんた、気づかなかったかい? ここ数年、盗賊が増えてる。
でも最近、妙に奴らの動きが荒いんだ。まるで誰かがまとめてるみたいにね。」
ゴルドが眉をひそめる。
「まさか、組織化してるってのか?」
「さぁね。だが明日、トリスに着いたらギルドで確かめてみるさね。」
ベスの声がわずかに低くなる。
冒険者の顔に戻っていた。
ハルオは真剣な表情でうなずく。
(また――何かが、動いているのか。)
食堂の明かりがゆらめき、夜の静寂が少しずつ町を包み込んでいく。
そして――
明日は南都トリスを目指す。
しこたま飲んだ三人は、ふらつきながら部屋に戻り、
灯りを消すなり倒れるように眠りについた。
――夜中。
外はまだ暗く、鳥の声がかすかに聞こえる。
ハルオはふと目を覚まし、喉の渇きを覚えた。
魔法の袋から水の瓶を取り出し、静かに一口。
冷たい水が体に染み渡っていく。
「……結構飲んだけど、不思議と二日酔いにはなってないな。」
そう呟いたとき、背後からかすれた声がした。
「ハルオ、水をおくれ。」
ベスがむくりと起き上がり、乱れた髪をかきあげながら近づいてきた。
彼女は水袋を受け取り、喉を鳴らして飲み干す。
「ふぅ……。」
隣ではゴルドが豪快ないびきをかいている。
どうやら完全に潰れてしまったらしい。
ベスは苦笑して肩をすくめる。
「まったく、あの調子じゃ昼まで起きないね。」
「濃い一日でしたね。」
ハルオが笑うと、ベスはゆっくりうなずいた。
「そうだね。命を賭ける戦いに、熱い風呂、酒に飯……。
旅ってのは、こういう日々の積み重ねでできてるのさ。」
そういうとベスはハルオを押し倒し上に馬乗りになってくる。
「でもまだちょっと物足りないね。ハルオあんたもだろ、相手しな」
「え?ちょ‥‥‥‥ん…」
抵抗す間もなかった。
ベスは体格がよく背も高い、だが美人だ。年は四十前後。
ちょうど前の世界の俺と同じくらいだ。
異世界での初がもう一つ増えてしまった。
(こういうのって美少女とかもっと若い女の子が定番じゃないのかよ‥‥)
夜が明けようとする街でもう一つの戦いが始まり、終わろうとしていた。
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