第20話 盗賊
王都へ向かう街道の途中、ハルオは行商人ゴルドと護衛の女冒険者ベスに出会った。
気のいい二人は、護衛を手伝う代わりに馬車へ乗せてくれた。
穏やかな道のり――のはずだった。
矢が地面を抉り、砂埃が舞う。
ベスは即座に前転して茂みに身を滑り込ませた。
ゴルドは腹を押さえ、転がるように伏せる。
馬が嘶き、馬車がぎしぎしと軋んだ。
「ゴルド、大丈夫か!?」
「か、かすっただけだ……!」
再び矢が飛ぶ。今度は狙いが正確だった。
ハルオの足元の土が弾ける。
(やばい、狙われてる!)
「ハルオ、森の方へ下がれ! 三人、左前方だ!」
ベスの声に、ハルオは車輪の影へ飛び込んだ。
矢が唸りを上げて通り過ぎるたび、空気が裂ける音が耳を打つ。
手の中の短剣が汗で滑る。脚が震えた。
「……落ち着け。もう逃げるだけの俺じゃない。」
息を整えたその瞬間、ベスが飛び出した。
金属音が閃き、風を裂く。
「――一人、倒した!」
ゴルドも手斧を構えて叫ぶ。
「こっちも黙ってやられねぇぞ!」
だが荷車の陰から、黒い弓を構えた影が現れた。
フードの奥から、冷たい目がこちらを射抜く。
狙いは――ベス。
「ベス、後ろッ!」
ハルオの叫びと同時に、手が動いた。
ナイフが飛び、風を切って敵の腕を裂く。
矢が逸れて空を掠めた。
「よくやった。ハルオ……!」
振り返ったベスが微笑む。
その一瞬の隙を逃さず、敵の喉元へ剣が閃く。
倒れた男の胸から、赤が広がった。
静寂が戻るまで、ほんの数十秒の出来事だった。
「……本当に、盗賊なんているんだ。」
ハルオが息を切らす。
「油断するんじゃないよ。まだ仲間がいるかもしれない。」
ベスは剣を拭い、森を睨む。
その時、枝が揺れた。
「そこだ! 出てこい!」
茂みをかき分け、五人――いや、背後にも三人。
薄汚れた盗賊どもが現れた。
「なんだ女は一人か。しかも年増じゃねえか。」
「だが女は女だ。へっへっへ……」
ベスの目が冷たく光った。
「……八人か。面倒だね。」
男たちは下卑た笑いを浮かべ、じりじりと距離を詰めてくる。
腰に錆びた剣、手には棍棒や斧。
だが数の優位が、彼らを強気にさせていた。
「おい、おっさん! 荷を置いてけ!」
「女は置いていってもらおうか。楽しませてもらうぜ!」
ハルオの喉が鳴る。
「ベス……!」
「いい、動くな。あんたは馬を守ってな。」
ベスは一歩前へ出る。
風がマントをはためかせる。
「命が惜しいなら、今すぐ武器を捨てて逃げな。」
挑発の響きを帯びた声。
一瞬、盗賊たちの動きが止まったが、すぐ怒号が返った。
「てめぇ、なに様のつもりだ!」
先頭の男が突進。
ベスはわずかに体をひねり、剣を弾き飛ばし、腹を蹴り上げた。
「一人目。」
冷淡な声が、戦場を支配する。
二人、三人と同時に襲いかかる。
「くっ……厄介だね!」
ベスが防御に回る。
ハルオの体が勝手に動いた。
(助けなきゃ――!)
短剣を構え、背後の敵へ斬りかかる。
刃が肉を裂き、血が飛ぶ。
「ぐあっ!」
初めて切る人の肉。
それでもハルオは目を逸らさなかった。
「ハルオ! 下がれ!」
「俺も戦えます!」
叫びながらもう一人へ斬りかかる。
攻撃はかわされたが、動きを止めるには十分だった。
ベスの剣がその喉を断つ。
残り五人。盗賊たちに焦りが走る。
「バケモン女め……!」
「引け! 引けぇっ!」
「逃がすわけないだろ」
ベスが足を蹴り出す。
砂埃が舞い、二人の背後に瞬時に回り込んだ。
「なっ――」
驚く間もなく、銀の閃光が走る。
一人が崩れ、もう一人は木に叩きつけられた。
「あと三人。」
冷静な声。
残った三人が怯え、後ずさる。
「お、お前ら何してる! 囲め! 一人は女、一人はガキだ!」
三人が突進。
「ハルオ、右!」
ベスの声。ハルオは即座に反応し、棍棒を受け流して足を斬る。
片足がなくなり、悲鳴を上げて倒れこむ。
「残り二人……!」
ベスの剣が唸り、二人目の喉を裂く。
最後の一人が尻もちをつき、両手を上げた。
「ま、待ってくれ! 俺たちはただ、食うものが――」
ベスの表情は微動だにしない。
「……嘘だね。」
次の瞬間、首が飛んだ。
その後、まだ息のある者たちにも静かに刃を下ろす。
血の匂い。沈黙。
ハルオはその光景を見つめていた。
だが不思議と、恐怖よりも冷静さが勝っていた。
(……これが、命のやり取りか。)
「さすがだベス、坊主も助かったよ」
斧を構えたまま馬車の陰に隠れていたゴルドが、安堵の笑みを浮かべて声をかけた。
その手はまだ震えていたが、命があることへの実感がこもっている。
ベスは剣の血を拭い、肩で息をしながら応えた。
「ふう……まったく、八人も出てくるとはね。でも雑魚で助かったよ」
ハルオはその場に立ち尽くし、荒い息を整える。
血の臭いが鼻を刺し、耳の奥ではまだ戦いの音が鳴り止まない。
「……俺、本当に人を……」
ベスが振り返り、静かに言った。
「初めてだったのかい? 向こうが殺す気で来た以上、手加減したら死ぬのはあたしたちだ」
その声は淡々としていたが、どこか優しさが滲んでいた。
ハルオは深く息を吸い、混ざり合う血と土と風の匂いを胸に刻む。
(これが、この世界の現実か……)
「ちょっと手伝いな」
ベスはそう言うと、倒れた男たちの死体を道の脇へ引きずり始めた。
「金目のものがあったら取っときな。まぁ、大したもんは持ってないだろうけどね。空だろうけどゴルドはあっち荷馬車を見といてくれ」
ハルオも立ち上がり、恐る恐る手伝う。
土の上を滑らせるたび、手に血のぬめりが伝わった。
全員で数えると十二人――死体の山と言っていい。
「……これ、どうするんですか?」
ハルオの声は少し震えていた。
「そのまま放っとくのもアレだ。腐れば獣が寄る。」
ベスは無造作に油袋を取り出す。
「燃やすよ。埋める時間なんてない」
言葉通り、火をつけると、乾いた草に炎が走り、すぐに熱風が吹き上がった。
赤く照らされる死体、焼ける肉の臭い。
ハルオは思わず顔を背けたが、ベスは表情ひとつ変えずに立っていた。
「これが後始末さ。誰かがやらなきゃ、他の旅人が同じ目に遭う」
炎の中で、ベスの横顔がわずかに揺らめいた。
その背中には、戦いに慣れた者の静かな覚悟があった。
「……強いですね、ベスさん」
「慣れただけさ。これでもBランクだからね」
彼女は燃える炎を見つめながら、低く呟く。
「でもね、誰かを守るためなら、汚れ仕事だって悪くないと思ってる」
ハルオは黙って頷いた。
燃え盛る炎がぱちぱちと弾け、空へ黒い煙が昇っていく。
やがて炎が落ち着いた頃、ベスが背を向ける。
「さ、行こう。陽が沈む前に、宿場町まで行きたい。」
ハルオとゴルドは頷き、馬車へ戻った。
背後で風が吹き、灰を巻き上げる。
それは、彼らが越えた“ひとつの境界”の印のようだった。
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