第12話 肉を食う

──鋭い咆哮が森を震わせた。


ゴブリンの棍棒が空気を裂き、木の幹に叩きつけられる。

その衝撃で木の皮が飛び散り、ハルオの頬をかすめた。


(速い――でも、見える!)


ゴブリンと戦うのは二度目。

けれど前回とは違う。

体の奥で魔力が脈打ち、筋肉のひとつひとつに熱が宿っていた。

まるで血液そのものが意志を持ち、戦っているようだった。


「はぁっ!」


踏み込み――一閃。

ナイフが弧を描き、最前列のゴブリンの喉を裂く。

緑の血が噴き出し、短い悲鳴とともに崩れ落ちた。


続けざまに、二匹目へ。

胸元に突き立てた刃が骨を貫き、ゴブリンごと木の幹に叩きつけられる。


「ぐっ……!」


手首に伝わる鈍い抵抗。

引き抜こうと力を込めるが、骨に食い込み抜けない。


その瞬間――視界の端で影が揺れた。

残りの二匹が同時に飛びかかってくる。

獣のような唸り声とともに、棍棒が左右から迫った。


「クソッ!」


ハルオは力任せにナイフを引き抜き、地面を蹴って後方へ跳ぶ。

抜けた勢いのまま、背後へ弧を描くように刃を振り抜いた。

風が裂け、金属の閃光とともに一匹の腹を浅く裂く。


「ギィィッ!」


断末魔が響く間もなく、もう一匹の棍棒が横薙ぎに迫る。

避けきれず、脇腹に衝撃が走った。


だが――痛みは一瞬で霧散した。

体の内側から、何かが爆ぜるように熱が走る。


(……通らない!)


確かに打撃は受けたのに、致命傷にはならない。

皮膚の下で魔力が膜のように震え、衝撃を吸収しているのがわかった。


「悪いな――もう慣れてきたんだ!」


体をひねり、反撃の体勢へ。

右足で地を蹴り、低い姿勢から一気に跳び込む。


「おおおっ!」


閃光のような一撃が、横薙ぎに走った。

ナイフの刃がゴブリンの首を捉え、そのまま切り裂く。


「ギ……ッ!」


短い声を残し、首が地面に転がった。


最後の一匹が血に濡れた棍棒を構え、絶叫を上げて突進してくる。

ハルオは息を整え、わずかに笑った。


(――悪い。今の俺、ちょっと調子がいい)


足元の枝を蹴り上げ、相手の注意を引く。

一瞬、ゴブリンの動きが止まる。

その隙にハルオは真横へ滑り込み、逆手でナイフを突き上げた。


刃が顎下から頭蓋を貫く。

ゴブリンの体がびくりと震え、やがて力を失って崩れ落ちた。


静寂。

風が木々を揺らす音だけが、森に戻ってくる。


ハルオは肩で息をしながら、血に濡れたナイフを見つめた。

震える指先で刃を拭い、深く息を吐く。


(……今の俺、確かに強くなってる)


そのとき、胸の奥で“ドクン”と強い鼓動が鳴った。

体の奥――魔力の源が脈動するように熱を発している。


(これは……?)


昨日、レッサーボアを倒したときも同じ感覚があった。

戦いのあと、体が軽くなり、魔力の流れが滑らかになった。

今、それがさらに強くなっている。


(まるで……“力が上がった”ような――)


体内をめぐる魔力が自動的に整い、呼吸に合わせて脈打つ。

視界までもが澄んでいくようだった。


「……これが、“レベルアップ”ってやつか?」


思わず漏らしたその言葉に、どこか現実味があった。

この世界で生きるということは――命を賭け、成長していくということ。


ハルオはゆっくりと立ち上がり、辺りを見渡した。

血の臭いが濃い。これ以上ここにいれば、他の魔物を呼び寄せかねない。


「さて……こいつら、どうするか」


ゴブリンの死体を見下ろしながら呟く。

ふと、ギルド掲示板の依頼を思い出した。

“ゴブリン見回り調査”――報酬は銀貨5枚。


(確か、討伐証明は“右耳”だったな……)


慣れない手つきでナイフを持ち替え、4匹分の耳を切り取る。

生温い感触に思わず顔をしかめるが、手は止めなかった。


「ふぅ……これで証拠は十分だな」


耳を布袋に詰め、森を振り返る。

陽は傾き、木々の影が長く伸びていた。


「今日はもう戻ろう。……セイランを採りに来ただけなのに、戦いっぱなしだったな」


苦笑しながら腰の袋を叩く。

そこには青紫の花がいくつも詰まっている。

目的は果たした。十分だ。


(レッサーボア、ゴブリン……どちらも想定外だったが、悪くない成果だ)


穏やかな魔力の流れを感じながら森を抜ける。

体が軽い。

今日の出来事が“偶然”ではないと、体が告げていた。


(この世界で生きるって、こういうことなんだな)


──陽が西に傾き、森の出口が見えたころ。


土の匂いに混じって、街の空気が鼻をくすぐる。

長い一日を思い返しながら、ハルオは肩の力を抜いた。


「ふぅ……やっと戻れる。」


腰の袋にはセイランの花。肩にはレッサーボアの毛皮と肉。

さらに討伐証明のゴブリンの耳が四つ。

どれもずっしりとした手応えがあった。


ギルドの門をくぐると、夕方のざわめきが迎えてくれる。

スープの香り、木の床の軋み、冒険者たちの笑い声――。

ああ、“帰ってきた”という感覚が胸に沁みた。


受付には、今朝はいなかった受付嬢が立っていた。

彼女はハルオの姿を見るなり、目を細めて言う。


「ハルオさん。遅かったですね。大丈夫ですか?」


「はい。……ちょっと、予定外の連中に出くわしまして。」


ハルオは腰の袋から、セイランの入った布袋を取り出した。

「薬草採取の分です。それと――」


続けて、レッサーボアの肉と小袋を机の上に置く。

中にはゴブリンの右耳が四つ。


受付嬢は驚いたように目を見開き、息を呑んだ。

「……これ、全部お一人で?」


ハルオは苦笑して肩をすくめる。

「偶然見つけたんです。薬草を採ってたら、森の奥でレッサーボアとゴブリンの群れに遭遇して。……まあ、なんとかなりました。」


受付嬢は小袋を開け、慎重に中身を確認する。

机の上には乾きかけた血の跡が残る耳が四つ。

その表情がわずかに引き締まった。


「……確かに討伐証明として間違いありません。レッサーボアの素材も状態がいいですね。ずいぶん丁寧に処理してあります。」


「初めてにしては、うまくいった方ですかね。」


「いえ、かなり上出来ですよ。」

受付嬢は帳簿をめくりながら笑みを浮かべた。

「薬草採取の報酬が銀貨2枚、レッサーボアの素材買い取りで……肉と毛皮合わせて銀貨10枚。合計で銀貨12枚になります。お疲れさまでした。」


ハルオは目を瞬かせた。

「……えっ、そんなに?」


受付嬢は小さく笑みを浮かべ、うなずいた。

「はい。レッサーボアは肉も毛皮も人気がありますから。」


そして、少し声を落とした。

「ゴブリンの件ですが、正式な報告書を提出していただければ、調査依頼の報酬として銀貨5枚をお渡しできます。討伐数の確認も兼ねて、明日の午前中にお願いしますね。」


「わかりました。……報告書の書き方を教えてもらえますか?」


「もちろんです。明日の朝、カウンターに来てください。私が担当します。」


彼女は柔らかく微笑んだ。

金髪をまとめた髪が、ランプの灯りを受けてほのかに輝く。


「それと――」


声の調子がわずかに真剣になる。

「今日みたいなケースは、あまり無理をしないでくださいね。ゴブリンもボアも、相手を間違えれば命取りになります。……初依頼で戻ってこられなかった方も、多いんです。」


ハルオはその言葉に息を呑み、静かにうなずいた。

「……気をつけます。」


受付嬢は安心したように微笑む。

「ええ。では、本当にお疲れさまでした。」


「ありがとうございます。」


ハルオは軽く頭を下げ、銀貨の袋を腰のポーチにしまった。



依頼を終えたハルオは、ギルド併設の食堂にいた。


木のテーブルに腰を下ろすと、今日の特別料理らしい皿が運ばれてくる。

いつもの固いパンと薄いスープに加え、今日は焼きたての肉が一枚。

香ばしい匂いが立ちのぼり、空腹だった胃が鳴った。


(……肉か。異世界に来て、ようやく“それらしい”食事だな)


レッサーボアの肉だという。

銀貨1枚。少し高いが、今日の稼ぎで余裕があった。

自分の力で稼いだ金で食う飯――それが、こんなに嬉しいものだとは思わなかった。


ナイフを入れると、じゅわりと肉汁があふれ出す。

口に運べば、噛むたびに旨味が広がり、疲れた体に力が戻っていく気がした。


「……うまい。」


味付けはシンプルに塩と香草だけだが久しぶりに食べる肉は格別だった。

(これ自分でも作れるな、ボアの肉をギルドに出さずに自分で消費する手もあるのか、でもあの量‥‥保存する場所がないな)


食事を続けていると後ろのテーブルの冒険者の話が聞こえてくる。


「近々ゴブリンの大規模討伐があるらしいぞ」

「もうそんな時期か?あいつら数だけはいるからな増えるのもあっという間だ」


ハルオはスープを口に運びながら、耳をそばだてた。

(……ゴブリンの大規模討伐?)


後ろのテーブルの冒険者たちは、酒を片手に声を潜めながらも興奮気味に話している。


「東の森の奥で、巣が見つかったらしい。」

「マジかよ。あそこ、街から近ぇじゃねぇか。放っといたら農地がやられるぞ。」

「だからこその大規模討伐さ。上位ランクの連中も動くらしい。Aランクの“金の鷹”が参加するとか聞いたぜ。」


「金の鷹……」


ハルオは小さく呟いた。

普段は金にならないゴブリンの調査依頼が出されていたのはこれが理由だったのだ。

昨日、自分が遭遇した群れは、ただの前哨だったのだ。


(……運が良かったな。あの時、少しでも遅れてたら)


考えたくもない結末が脳裏をよぎり、ハルオは息を吐いた。

テーブルの上の皿には、もう一切れの肉が残っている。

冷めかけたそれを噛みしめながら、彼は静かに決意を固めた。


(俺も……もう少し、強くならないと、あと装備が必要だな。明日見に行ってみるか)

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