第3話 ゴブリン

しばらく森を歩いていると、腹の虫がぐぅと鳴った。


「……腹は減ったけど、まぁ、何日かは耐えられるだろ」


社畜根性ここに極まれり。


サラリーマン時代は、ろくに休憩も取らずに働くのが当たり前だった。

水さえあれば三日は持つ――これは実証済みだ。


太陽は高く、まだ昼過ぎといったところ。

森の中は静かで、風の音だけが耳に届く。


そんなとき、ふと視界の端に“それ”が映った。


「……煙?」


木々の合間から、細い白煙が立ちのぼっている。

自然発火にしては小規模すぎる。誰かが火を焚いている?


人間か、それとも……?


「行くしかねぇか……」


慎重に足音を殺して近づく。

敵意を持った相手だったら、素手じゃどうにもならない。


とりあえず落ちていた太めの木の枝を拾っておく。

せめて棒くらいは持っておきたい。


やがて、木の陰からそっと覗くと――


焚き火を囲む小さな影が三つ。

背丈は小学生ほど。だが、明らかに人間ではない。


「……ちっさ。って、耳、長くね?」


やけに尖った耳、汚れた緑色の肌、ぎょろりとした目に尖った鼻。

どう見てもゴブリンだった。


彼らは焚き火の周りで、串に刺した動物らしき肉を炙っている。

毛並みからして、リスっぽい。


「……マジか。ゴブリンって本当にいるんだ……」


異世界確定。

火を扱えるあたり、それなりの知性もありそうだ。


もしかしたら、話が通じるかもしれない。

そう思って、藪の影に身を潜める。


……だが、すぐに現実を突きつけられた。


焚き火の向こうで、一番大きなゴブリンが金属製のナイフを拾い上げたのだ。


(……それ、人間のナイフじゃね?)


ゴブリンはそれを鼻先に近づけ、くんくんと匂いを嗅ぐ。


そして、まっすぐ――俺の方を見た。


(やべ、バレた!?)


「ギギ……!」


1匹のゴブリンが立ち上がり、棒を構えて突進してくる。


「ちょ、待て! 違う! 俺は敵じゃ──」


話が通じるはずもなく、いきなり木の棒で殴りかかってきた。


反射的に木の枝で受け止める。

バキッと音が鳴るが、意外と軽い。


(チビのくせに……いや、これならイケるか!?)


そう思った瞬間、横からもう1匹が飛びかかってきた。

木の枝を思いきり振ると、顔面に直撃。


「ギャギィッ!」


緑の体が転がり、1匹は戦闘不能。


だが――背後から殺気。


「ギャアアッ!」


ナイフを持ったゴブリンが襲いかかる。

とっさに手首をつかみ、腹に蹴りをぶち込んだ。


ナイフがこぼれ、ゴブリンは吹っ飛ぶ。


「ぜぇっ……はぁっ……あっぶねぇ……!」


だがまだ1匹、棒を構えたゴブリンが襲ってくる。


「やるしかねぇ……!」


枝を捨て、倒れたゴブリンのナイフを拾って構える。


ゴブリンが棒を横から薙ぐ。

それを後ろにかわし、棒をつかんで引き寄せた。


力比べなら、こっちが上。

そのまま引き寄せ、足の裏で顔面を蹴り飛ばす。


「ギャアアッ!」


3匹とも地面に倒れ、呻き声を上げる。

もう動けるやつはいなさそうだ。


(……終わった、か?)


そのとき、背後から声がした。


「おい! 大丈夫か!?」


振り返ると、そこには剣を構えた男と、杖を持った女が立っていた。


男は俺の前に立ち、ゴブリンたちを見下ろすと、剣を構えたまま言った。


「こいつら……お前が倒したのか?」


「え、あ……まぁ、なんとか……」


気が付くと手が震えていた。

初めての命のやり取り、そりゃ手も震えるさ。


女は一瞥すると、倒れたゴブリンと俺の手にしたナイフを見て呆れたように言った。


「まさか、それだけで応戦したわけ? 他に武器は?」


「……いや、それだけ。ていうか、ここ……どこ?」


二人は顔を見合わせ、男が口を開いた。


「ここはカーヴェルの森だ。……お前、冒険者じゃないよな?」


「冒険者?ああ違う。気づいたらこの森にいて、人を探してたらゴブリンに襲われて……」


「人?知り合いとはぐれたのか?」


「いやそうじゃなくって‥‥」

いきなり異世界人ですって言っても後々めんどくさそうだな、なんて答えるか


俺の顔を見て、女の眉がぴくりと動いた。


「ふぅん……。訳ありの迷い子ってことかしら」


「まあ、話は後だ。ここに長居は危険だ。ひとまず街へ向かうぞ。歩けるか?」


「……ああ、なんとか」

街があるのかそれは助かる。人にも会えたし何とかなりそうだ。


男は剣を下ろし、自己紹介を始めた。


「俺はロクス。冒険者ギルド〈ローレン〉所属、Cランク。こっちは――」


「リーナよ。魔法使い。で、あなたの名前は?」


「……ヤマ……ハルオ。ハルオでいい」


「じゃあ、こいつらは片付けていくか」


ロクスが剣を再び構えた。


「仲間を呼ばれても面倒だしね」


リーナも同意するように頷く。


二人は迷いなく、戦意を失ってうずくまるゴブリンの首を刎ねた。

静寂の森に、肉が断たれる音がやけに生々しく響いた。


こうして、俺――山野ハルオの異世界生活は、血と煙の中で静かに始まった。

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