第1話 スターダスト
山野晴夫(やまの・はるお)、四十歳。
どこにでもいる、ただのサラリーマンだ。
今日も終電帰り。
スーツの襟はよれて、カバンの中にはしわくちゃの書類。
ネクタイは昼の会議のときにゆるめたまま。
ポケットの中では、未開封の栄養ドリンクが転がっている。
駅の改札を抜けると、夜風が頬をなでた。
冬にしては生ぬるくて、どこか街の排気を含んでいるような風。
街灯の明かりが濡れたアスファルトに映り、
人影は、もうほとんどなかった。
──誰も待っていない部屋に、今日も帰る。
かつては家族がいた。
けれど離婚して、もう五年。
子どもは元妻のもとで暮らし、連絡も途絶えた。
最初のうちは週に一度は電話をした。
だが、そのうち返事もなくなり、
いつの間にか番号を押す指も止まった。
仕事にしがみつくうちに、何もかも擦り減っていった。
上司の顔色をうかがい、同僚の愚痴を笑って流す。
出世競争からはとうに外れ、
「便利な中間管理職」として扱われる毎日。
それでも辞める勇気はなかった。
辞めたところで、どこへ行く?
家にも職場にも、自分の居場所なんて、もう残っていないのに。
気づけば、昨日と同じ今日をただ繰り返していた。
朝起きて、電車に乗り、パソコンを開き、ため息をつき、
気づけば夜になっている。
そうして一日が終わり、また次の日が始まる。
どこにでもいる普通のサラリーマンだった。
「……ま、こんなもんだよな」
晴夫は自嘲ぎみに笑い、コンビニの灯りに足を向けた。
店内の蛍光灯がやけに眩しくて、
手にはいつものカップ麺とビール
カップ麺を買って家で食って、ビール飲んで寝る。それで終わり。
テレビをつけても、誰もいない部屋には音だけが浮いている。
箸を動かしながら、ふと箸の先を見つめた。
このまま年を取って、
いつか誰にも気づかれずに死ぬのかな──
そんな言葉が、ふと頭をよぎった。
「……あー、ダメだ、考えると鬱になる」
ため息をついて、立ち上がる。
カップ麺の容器をゴミ箱に投げ入れ、
消えかけた蛍光灯の下を歩き出した。
人生って、いつまで続くんだろう。
ふと、そんなことを考えた。
その時だった。
──まるで昼間のように部屋が明るくなる。
窓の外を見ると明るく輝く流れ星が無数に落ちていく。
「流れ星?火球か、珍しいな、しかもあんなにたくさん」
流れ星を見るのなんていつぶりだろうか。
そういえば子供のころに流星群とかみたことあるな。
だが、その中でひときわ大きな一つが、街の上空をかすめた。
外がさらにまぶしく光ったと思った次の瞬間
「……は?」
火球の1つが晴夫に向かって落ちてきた。
瞬きしたその一瞬で、視界が光に包まれ真っ白になる。
地面が跳ね、身体が浮く。
轟音のあとキーンという耳鳴りと共に、世界が遠ざかっていく。
“え? これ死んだ?”
そんな考えが頭をよぎる。
けれど、不思議と怖くなかった。
むしろ少しだけ、心が軽かった。
でも隕石に当たって死ぬなんて、どんな確率だよ。
宝くじが当たるより低い確率だぞ。
……俺の人生、最後までツイてねぇな。
笑える。
いや、笑うしかねぇ。
光が目の奥に突き刺さる。
熱い。皮膚が焼ける。
息を吸おうとしても、肺が動かない。
真っ白だった視界が暗くなり、音を失う。
何も感じないのに、痛みだけが鮮明だった。
「……ああ、終わるのか」
身体が軽くなる。
重さも、恐怖も、何もかもが剥がれていく。
ただ暗闇のなかで、ゆっくりと沈んでいく感覚。。
最後に浮かんだのは、
子どもが笑っていた小さな記憶。
もう声も思い出せないけれど、
その笑顔だけは、はっきりと残っていた。
──あれが、俺の人生のいちばん明るい場所だったのかもな。
意識が薄れていく。
白が、黒に飲み込まれていく。
世界が、溶けるように消えていった。
……
……
──まぶしい。
瞼の裏に、また光が差し込んだ。
眩しさに顔をしかめ、ゆっくりと目を開ける。
「……え?」
青い空。
見たこともないほど、澄んだ青。
木々が光っている。
風が、甘い。
湿った土の匂いが、やけに鮮やかに感じられる。
そして何より──全身が軽い。
体の痛みもいつのまにか消えていた。
「……夢か?」
呟いた声が、森の奥に吸い込まれていく。
遠くで、水の流れる音。
風に混じって、どこかで小さな羽音がした。
虫……? いや、違う。
見上げると、光の粒が空に舞っていた。
まるで──
空から、星の欠片が舞い降りているようだった。
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