第19話
次の日の放課後。
商店街の一画にある駄菓子屋『つきの』に足を運んだ。
店構えは歴史を感じさせる木造建築で、長年の雨風にさらされてきたであろう『駄菓子屋つきの』の看板は、どこか風情すら漂わせている。
店の入り口には『OPEN』と書かれた小さな看板がかかっている。
扉を開けて店内に入ると、年配の女性の話し声が聞こえてきた。
「近所の田中さんのところの息子さんがね、昨日お友達の佐藤さんに大怪我させちゃったらしくてね――」
僕の目当ての人物はカウンターにいて、彼女のマシンガントークを嫌な顔一つせずに聞いている。
彼が僕に気づき、「もう少し待って」とウィンクを送ってくる。
僕は無言で頷き、話が終わるまで店内を見ることにした。
『つきの』は地元唯一の駄菓子屋で、ありきたりな表現をするなら、古き良き駄菓子屋といったところか。店内に並ぶ駄菓子は、僕が幼い頃から知っている物もあれば、デザインが今風でお洒落な物まである。駄菓子も日々進化しているらしい。
「やあ、お待たせ」
話が終わったらしい。僕の目当ての人物、
「あらあら、ごめんなさいね。つい話が長くなってしまって」
年配の女性はそう言って僕に頭を下げると、店を出ていった。
店内は僕と月野の二人だけになる。
「久しぶりだね、粋利君」
「……お久しぶりです、月野さん。何の連絡もせず、突然来なくなってしまいすみませんでした」
「いやいや、謝らないでくれ。来るも来ないも君の自由さ。君が元気にしていたという情報は入ってきていたし、心配はしていなかったよ。こうして会えたのは素直に嬉しいけれどね」
月野は駄菓子屋の店長だが、俗にいう情報屋もしていた。初老の男性で、僕が謎解きを始めた頃からの付き合いだ。小学生の頃は彼のことを「何でも知っているお兄さん」だと思っていた。今となっては彼が「多くを知っているお兄さん」で、しかもその後ろに「※倒坂市限定」という注釈が入ることも理解している。
「今日はどんな情報をお求めかな?」
倒坂市について彼ほど多くの情報を持っている人はいない。
奥の手とは、彼から情報を買うことだった。
気が進まなかった「非常に個人的な理由」というのは、彼に対する後ろめたさがあったからだ。二年前まで謎解きに必要な情報を求めて『つきの』に足繫く通っていた僕は、あの悲劇を起こした後、謎解きをやめ、『つきの』に行かなくなった。今日までの約二年、一度も『つきの』に足を運ばなかった。『つきの』は本来駄菓子屋なのだから、店を訪ねて駄菓子を買い、彼に「謎解きはやめたので、今後情報を買いに来ることはありません」と一言伝えることもできたのに、そうしなかった。長年お世話になった月野に一言も挨拶をせず、勝手に距離を置いた。それが後ろめたかったのである、
「粋利君は常連客だからね、安くするよ」
月野は二年前と変わらず僕に接してくれる。
僕がこれ以上気後れしていたら、彼の好意を無下にすることになる。
僕はふうと息を吐く。
「二十八年前に粥波摩耶という女子高生が自殺しました。彼女の自殺について詳しいことが知りたいです」
月野は僕の顔をまじまじと見て、
「ふむ……。その事件なら知っているよ。粋利君が通っている桐坂高校の先輩だね。先輩と言っても、三十歳ほど年上の先輩だけれど」
「はい。彼女が生きていた頃は、桐坂高校の文化祭でミスコンを開催していたそうなんです。どういうわけか、その後ミスコンは開催されなくなり、その理由に彼女の自殺が関係しているようなんですが、いまいち繋がりが見えてこなくて……。彼女の自殺の件について詳しく知れば、ミスコンとの関係も分かってくるんじゃないかと」
「なるほどね。それで俺の出番というわけか。確かに二十八年も前の情報を得るのは簡単じゃないからね。ネットに情報を求めようと思っても、当時はそれほど整備されていなかったから、調べるのもすごく大変だ」
月野は「うんうん」と自身の言葉に繰り返し頷くと、
「確かに俺は粥波摩耶の事件について、それなりの情報を持っている。だけれど粋利君も知っての通り、俺の売る情報というのは、あくまでも人伝に聞いた話や、雑誌に書かれていた内容を主なソースにしている。裏取りはできる限りしているけれど、それらの情報が絶対に真実だという保証はない。それでも構わないのなら、取引に応じるよ」
初めて彼と取引するときにも同じ注意事項を言われた。僕の取引が二年ぶりだから、気を遣って再び説明してくれたのだろう。
「それでも構いません」
僕の返答に、月野は目を逸らした。
どうしたのだろう……僕が取引をやめるとでも思っていたのだろうか。
けれど、彼が目を逸らしたのは一瞬で、その後は普段の彼に戻っていた。
「それで、粋利君はどんな情報を取引に持ってきたんだい?」
月野は情報をタダで教えてくれるわけではない。彼から情報を得るためには、こちらも相応の情報を提供しなければならない。物々交換ならぬ、情報交換である。
欲しい情報に見合った情報を月野に渡す――それが月野のやり方だった。
情報を取引するわけである。それも倒坂市に関する情報でなければならない。
けれど、情報を渡す以外に、もう一つだけ情報を得る方法があった。
「駄菓子だと何円分になりますか?」
ここは駄菓子屋。相当の駄菓子を購入するのである。
僕が小学生で謎解きを始めたばかりの頃は、それこそ月野に渡せる情報など持ち合わせておらず、駄菓子を買うことで情報を受け取っていた。
「今回の情報は中々に貴重だからね。駄菓子での購入となると、十万円と言ったところかな」
昔はどんな情報でも十円の駄菓子で取引してくれていた。今思えば、破格の取引だった。色を付けてくれていたのだろう。
街の色んなことを知って、駄菓子に頼って取引する必要がなくなってからは、いつも参考程度に駄菓子の値段を聞くだけになった。
お手頃価格なこともあれば、今日みたいに高額なときもあった。
一度、月野に情報の値段は何で決まるのかと聞いたことがある。
彼の答えは、「希少価値の高さ」だった。例えば、倒坂市の面積などネットで調べれば誰にでも分かるような情報は安く、僕の全身のほくろの数など本人でさえ分からないような情報は値段が高い(もちろん月野が僕の全身のほくろの数を知っているとは思えない。あくまでも例えばの話だ。……もし知っていたら、恐怖で月野の顔をまともに見られなくなる)。
継続的に値段を聞くと、己の情報収集能力を測るバロメーターになる。もし安価な値段を提示されたら、その情報の入手は比較的簡単で、月野に頼ることなく自分でも知ることができたかもしれない情報というわけだ。
今回の情報は、十万円相当。二十八年前とかなり古い情報で、手に入りにくい情報だから値段が高いのだろう。月野に頼ったのは間違いではなかったようだ。
「情報同士の取引を希望します」
月野との取引の材料として、僕は個人的に色々な情報を集めていた。昨夜、二年ぶりに開いたあのノートに書かれていたのがそれである。過去の取引で使ってしまった情報も多かったが、手つかずのものもまだあった。
倒坂市随一の心臓破りの坂――『
倒坂市長の毎朝のランニングコース。
倒坂神社の参道の石段の数。
――などなど、倒坂市についての情報を色々提示してみたが、
「もっと希少価値の高い情報でないと」
と、月野に一蹴される。
二年もの間、情報取集をサボっていたのが中々に痛い。
愚痴をこぼしていても何も始まらない。今は昨日頭に叩き込んできた情報で勝負するしかない。
昨日目を通した情報の中から、ある意味最も希少価値が高いと言える情報をテーブルに乗せる。
「……五年前の五月十四日、餅見ひまりの昼食のメニュー」
その日は休日で、小学五年生だった僕らは出先で偶然にも顔を合わせ、昼食を二人で摂ることになった。しかも単なる外食ではなく、ひまりが外で食べようと持ってきていたバスケットの中身を、僕らは公園のベンチに座って食べた。その日の公園は静かで、僕ら以外に人はいなかった。
五年も前の話だ。その日の昼食のメニューを覚えているのは、僕くらいのものだろう。ひまりも忘れてしまっているに違いない。
希少価値の高さという意味で、これほど価値の高い情報はないだろう。
「取引成立だ」
月野は即答した。
餅見ひまりが僕の幼馴染であることも、五年前の五月十四日に外出先で偶然出会ったことも、ひょっとしたら僕らが公園のベンチで昼食をともにしたことも、彼は知っているのかもしれない。
そのうえで、昼食のメニューが何なのか、その情報の希少価値の高さを理解している。
だからこその即答――僕の考え過ぎだろうか。いや、おそらくそうではないだろう。
彼は倒坂市の多くを知るおじさんなのだから。
「少し待っていて」
月野はそう言って、店の奥の暖簾をくぐって姿を消した。
三分ほどで彼は戻ってきた。手に一冊の雑誌を持っている。
「それは?」
「粥波摩耶は人気の女子高生モデルだったからね、当時の週刊誌が彼女の事件を取り上げていたんだ」
ネット検索で引っかからなかったが、やはり週刊誌はあったのだ。
月野は当該ページを開いて、カウンターの上に広げた。
見出しには『人気女子高生モデル、なぜ自殺?』と大きく書かれていた。見開き一ページが粥波の記事に割かれている。粥波の顔写真も載っていた。
「さっきミスコンとの関係を調べているって言っていたよね。それならここに載っているよ」
彼が指差したところに目を通す。
――同校の生徒たちに話を聞いたところ、「ミスコンで負けたから自殺したのではないか」という意見が複数あった。粥波さんの学校では、同日に文化祭でミスコンが開催され、彼女も出場していたと言う。人気モデルとして将来を嘱望されていた彼女にとって、学内ミスコンでの敗北は、自らの命を絶つほど恥ずかしいことだったのか――
読んでいて不快になる文章だ。自殺の原因がミスコンにあるのではと発言した生徒の軽率さもだが、特に最後の一文に吐き気がする。
学内ミスコンでの敗北は、自らの命を絶つほど恥ずかしいことだったのか――だと?
学内ミスコンを程度の低いものと決めつける記者の態度がそもそも気に喰わないし、「恥ずかしいこと」だと言ってのける記者の気が知れない。この文章を粥波の親族が読んだら、間違いなくいい気はしないだろう。
記事をこれ以上読みたくない気持ちでいっぱいだったが、折角手に入れた貴重な情報源だ。掲載されている情報を盲信するのは危険だが、僕の知らない情報も眠っているはずだ。
気力を奮い立たせて、他の文章も読んでいった。
結果、当時の状況を詳しく知ることができた。ネットでは簡単な情報しか載っていなかったから、この点ではかなり助かった。
粥波は、桐坂高校の屋上から飛び降りたらしい。
警察の調べによると、死亡推定時刻は夜八時半過ぎ。同時刻には、後夜祭としてキャンプファイヤーが行われており、多数の生徒たちが運動場に集まっていた。粥波が飛び降りた場所は、実習棟を挟んで運動場と反対に位置する中庭だった。第一発見者は、人目を避けるために中庭にいたカップルで、バンッという重い物が落ちたような音を聞き、現場を見に行くと、粥波の死体が横たわっていたそうだ。なお、カップルの二人は相手に夢中だったため、粥波が飛び降りる瞬間は見ていないとのこと。
警察の調べで遺書は発見されなかったが、脱ぎ揃えられた靴が屋上にあったことや、死体に顕著な着衣の乱れが認められなかったこと、また死体の状態から推測される飛び降り時の姿勢などから、彼女は自殺だと判断された。
「これらの情報は正確ですか?」
先の不快な文章を書いた記者が執筆したのかと思うと、どうしても情報の正確性を疑う気持ちを抑えられなかった。
「おそらく正確だよ。この街の事件ということもあって、当時は住民の耳にも色んな方面から情報が入ってきたからね。週刊誌だけじゃなく、地元の新聞などでも事件が取り上げられた。粥波さんの死体を発見した生徒から直接話を聞いた、なんて自慢げに言って、聞いた話を言いふらす人もいた。各方面から得た情報と、ここに書かれた情報は、矛盾していない」
裏を取っているということだ。
「それに、確かに週刊誌によっては、読者の興味を引くために、敢えて過激な表現をしたり、デマかもしれない情報を載せたりするところもあるけれど、この週刊誌は比較的正しい情報を載せてくれていることが多い。まあ、たまに記者の想像力が逞し過ぎて、書かなくてもいいようなことを書いてしまうケースはあるけれどね」
僕は苦笑する。月野もまた、先の一文を不快に感じたのかもしれない。
「粋利君が望んでいた情報――粥波さんの事件とミスコンの中止がどう関係しているのか――については、取り敢えずはっきりしたと思うけれど、満足かな?」
僕は首肯する。
「そうかい。それじゃあ教えてもらおうかな、五年前の五月十四日、餅見ひまりの昼食のメニューが何だったのか」
「……サンドイッチのようなものです」
僕の返答を聞いた月野は、
「ふむ……。それは、個性的なメニューだね」
それだけ言うと、彼はそれ以上その話に触れようとしなかった。僕が付け足した六文字の意味を正しく理解してくれたのだろう。味は推して知るべしといったところか。……うん、今思い出しても中々に強烈なサンドイッチだった。美味しいものを作ろうと努力はしたのだろうが――いや、これ以上は言うまい。ひまりの沽券にかかわってくるからな。
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