#019 『迷宮を抜けて』


 セリカとの会話はそれきり無く、サナボラ樹海を抜けるまでの間、彼女はその圧倒的な力で異常事態イレギュラーによって発生したモンスター達を葬り去り続けた。

 俺にとっては一体一体が死闘を繰り広げる羽目になる相手でも、事もなげに薙ぎ払っていく彼女の姿を見て、俺と彼女の間にある果てしない差を実感せざるを得なかった。

 しばらくして、迷宮の出口に辿り着くと、セリカはこちらへと振り向いた。


「ここまで来れば大丈夫でしょう。私は迷宮内に戻り、再度生存者を探してきます。貴方は一度、冒険者ギルドに寄って異常事態イレギュラーの状況報告をお願い致します」


「ああ、分かった。……本当にありがとう。セリカが居なければ俺はあそこで死んでいた。このお礼は、いつか必ず返す」


「いえ、これが私の仕事ですので。それでは」


 やはり、あの会話以降から彼女の態度は素っ気なく感じる。

 どうやったらそこまで強くなれるのか。その質問は、きっと彼女の気に障る物だったのだろう。

 強くなれた理由を『憎悪』と表現した彼女の過去が気にならないと言えば嘘になるが、誰にだって知られたくない過去はあるものだ。安易に聞いてしまった俺が悪い。

 再び迷宮内へと戻っていく彼女の後ろ姿を見届けてから、カシュアの方を見ると、彼女は顔を背けた。


「……カシュア? どうしたんだ?」


『べっつにぃ~? ボクそっちのけでず~っと二人の世界に入り込んでた君達に対して嫉妬してたとかそんなんじゃないしぃ? 会話に入り込めなくて寂しかったとか、そんな事ないですしぃ?』


「……悪かった。でもカシュアと普通に会話してたらセリカに怪しまれるだろ。忘れてた訳じゃないさ」


 頬を膨らませながらそう言ったカシュアに対し、素直に謝る。

 カシュアは面を食らった様子で少しだけ顔を赤らめると、早口で話し出した。


『冗談だよ、冗談。本気にしないでくれ。まあ、不必要に彼女から警戒をされるなって言ったのはボクの方だしね。……そうだ、レイン君の魔法の上達が早ければ、思考で会話出来る魔法、【思考会話テレパシー】を優先して覚えるのも良いかもしれない』


「そんな便利な魔法があるのか?」


『正確には他人と魔力を繋ぎ合わせて思考を伝達させるっていう魔法なんだけどね。さっきみたいな状況でも、ボクと会話する事が出来るようになるから、かなり有用な魔法だ』


 確かに、ああいった状況でカシュアに判断を仰ぎたくなるような状況だと便利な魔法だ。

 だが、そんな便利な魔法があるとなると、新たな疑問も湧いてくる。


「でも、そんな便利な魔法があるのなら俺以外にも話しかけられたんじゃ……」


『残念ながら、そこまで融通の利く魔法じゃないんだ。【思考会話テレパシー】という魔法は、双方向で存在を認知していないと、一方的に言葉を伝える事は出来ない。これは人間が持つ最初から持つ特性の一つで、精神干渉系の魔法に耐性があるという所から来ている。ざっくりと言うと、無意識化で魔法を弾いている訳で……と、今は魔法教室をしている場合じゃない』


 ごほん、とカシュアは一つ咳払いすると。


『彼女に言われた通り、異常事態イレギュラーの件をギルドに報告しに行こう。執行騎士エグゼナイツからの要請を無視したら国に目を付けられる可能性がある。いずれ目を付けられるにせよ、こんな早い段階で目を付けられるわけには行かないからね』


「……分かった」


『そうと決まればちゃちゃっと報告に行こうか。もう一波乱があるだろうけど、頑張りたまえ』


 カシュアがにやりと笑みを浮かべ、そんな彼女の様子に首を傾げる。

 どういうことだ? 迷宮を抜けたのにもう一波乱って……。


「……ああ」


 思わず顔を引き攣らせながら納得する。

 嫌だなあ、説教される事が確定している場所に行くの。





 冒険者ギルドに入ると、異常事態イレギュラーの影響か、職員達が慌ただしく走り回っていた。

 その中にナターシャさんの姿を見つけたので、彼女の下へと行き、異常事態イレギュラーの報告がしたいと伝えると昨日のように奥の部屋へと通された。

 最初の内は生還した事に喜んでくれている様子だったが、魔石を出した所で彼女の様子が一変する。


「私、言ったわよね。無茶をしないで欲しいって」


「……はい」


「で、これは何?」


「えっと、小さな死神リトルリーパーの魔石です」


 肩を縮めながらそう答えると、にこやかな笑みを浮かべながらナターシャさんはこちらの肩を鷲掴みにした。


「ねえ、レイン・シュナイダー君。小さな死神リトルリーパーって何ランクの魔物か分かる?」


「……E、ぐらいですかね……」


「Dよ、D。君、昨日までGランクだったわよね?」


「……そう、なりますかね」


「そうなります、じゃなくてそうだったのよ。二日連続で2ランクも上、昨日冒険者ランクが上がったばかりだから実質3ランク上の魔物を倒してくるなんて、君はほんっっっっとうに無茶が好きなのかな?」


「……そうしなければ死んでいたので……」


 い、胃が痛い。

 事実を述べているまでなのだが、確かに一般的な視点から見れば俺がやっている事は大分おかしい事なのだろう。

 俺には知識が豊富なカシュアが付いているからこそ初見の魔物に対応出来ているだけであって、本来のFランク冒険者ならDランクの小さな死神リトルリーパーの情報なんて知っている人間の方が少ないだろうしな……。疑いたくなる気持ちも分かる。


 顔を逸らしながら答えていたが、ナターシャさんはやがて諦めたように大きなため息を吐いた。

 そして、こちらに近付いてくると、ぎゅっと抱きしめてくる。


「でも、本当に生きてて良かった。異常事態イレギュラー発生時の冒険者の生還率は本当に低いの。しかも、異常事態イレギュラーによって出現した魔物と交戦して生き延びたなんて例はその中でも更に少数しかない。……君がSランク冒険者を目指したいっていう気持ちは分かる。でも、その為に生き急ぐ必要はないの。……だからお願い。無理だけは絶対にしないで」


「……はい」


 抱きしめられて、ようやくその事に気付いた。

 ナターシャさんの手が震えているという事に。

 彼女は職業柄、担当していた冒険者と死に別れる事も多いのだろう。だからこそここまで気にかけてくれているのだろうが、その気持ちが嬉しかった。

 親を失ったあの日から、孤児院に入って過ごした日々の中で、こうして俺一人だけを気にかけてくれる存在は居なかったから。

 じんわりと胸の奥が熱くなるのを感じながら、ナターシャさんに笑みを向ける。


「──大丈夫です。……俺は死ぬつもりはありません。一人にしたくない人が居ますから」


 冒険者なんて職業は、いつ命を落としたっておかしくは無い危険な職業だ。

 だから、『絶対』なんて保証は出来ない。それを言えるだけの力は、今の俺には無いから。


(それでも)


 死ねない理由がある。憧れた理想がある。

 カシュアを絶対に一人にしないとあの時誓った以上、簡単に死んでやるつもりはない。

 はっきりとそう告げると、ナターシャさんは驚いたように目を瞬かせた。

 

「そっか。……そこまで君に言わせるなんてその人は幸せ者だね」


「ナターシャさん、そこには貴女も入ってますよ」


「えっ!?」


 俺が目指す理想の英雄像は『誰かを一人にしない』事だ。俺が関係する事で、出来る限り悲しい思いはさせたくはない。

 例えそれが昨日出会ったばかりの人だったとしても、その人が俺の事を少しでも思ってくれている以上は例外じゃない。

 ナターシャさんは何故か顔を赤らめ、数秒間停止した後、指先で頬を掻いた。


「残念だなあ、君がもう少し大きかったら良かったのに……」


『レイン君、君ってもしかして天然たらしかい?』


 そこまで沈黙を保っていたカシュアがジト目になりながらそんな事を言う。

 なんでだよ、と思いながらカシュアを見つめ返すと、彼女は呆れたようにため息を吐いた。


『まあ良いけどさ。それが君の目指したいものなんだもんね。君の理想を否定するつもりはないさ』


 それから、ナターシャさんに異常事態イレギュラー発生時の状況について報告した。

 探索中に小さな死神リトルリーパーと遭遇した事、遭遇した後、何とか撃破した事。その後、大量の小さな死神リトルリーパーや、パラサイト・タイタンボアに遭遇した事。

 死に掛けたその瞬間、執行騎士エグゼナイツであるセリカに助けられた事。

 一通り聞き終えた後、ナターシャさんはテーブルに肘を突きながらぼやく。


「レイン君って、基本的に運が悪いけど土壇場の運は良いよね。まるで、何かに導かれているみたい」


「あ、あはは、そんな事は……」


 核心を突いた発言に思わずビクリとなりながらもなんとか誤魔化す。

 幸いにもこちらの様子に気付かなかったナターシャさんは、ペンをくるくるしながら呟く。


「それにしても、本当に運が良かったわ。執行騎士エグゼナイツの面々が丁度この国に帰ってきているタイミングで異常事態イレギュラーが起きたから、救援要請が出せた訳だし。普段ならこうは行かなかったから」


「そうなんですね……」


「いつもこれぐらい早く対応出来れば冒険者の生還率も違うんだろうけどね。……異常事態イレギュラーの発生原因も特定出来ていないし、平常時は執行騎士エグゼナイツのメンバー達は各地に散り散りになっているから……」


 確かにそれを聞くと、本当に運が良かったんだな、俺は。

 たまたまとは言え、拾い上げた幸運に感謝しないとな。

 ふと、その時先ほど置いた小さな死神リトルリーパーの魔石が視界に入った。それを持ち上げながら、湧いた疑問を投げかけてみる。


「因みに今回の騒動の最中に小さな死神リトルリーパーを倒したんですけど、Eランクの昇格って出来たりするんですか?」


 昨日、Fランクに昇格した時はパラサイト・タイタンボアを倒した事と魔力を扱えるという点から昇格に足ると判断して貰えた。

 もしかしたら今回も……そう思ったのだが、ナターシャさんはゆるゆると首を振った。


「ごめんね。小さな死神リトルリーパーを倒した君の実力を疑う余地は無いんだけど、冒険者のランクはひとえに実力だけで判断している訳じゃ無いの。どれだけギルドに対して貢献しているか、そう言った部分も含めてランクアップの判断をしているの。あまりにも突出した実力があればまた話は別なんだけどね」


「そうなんですか……」


「でもね、逆を言えばギルドへの貢献さえあれば君のEランク昇格が認められる、という事でもあるの。だから、落ち込まないで頑張って欲しいな。私は、君は将来大成する冒険者だと思ってるから」


 にこにことした笑みを向けながらそう言うナターシャさん。

 大成する、と言われ内心嬉しい気持ちになりながら、一つ頷く。


「Eランクに上がれないのは分かりました。その代わりと言っては何ですが……もし、ギルドに対して指名依頼が来たら優先して回して貰えると嬉しいです」


「指名依頼……? ……分かったわ。もし、君に任せられそうな指名依頼があったら、打診してみるわね」


「ありがとうございます」


 カシュアから聞いていた、アヤラルという国で行われる【族長の試練】。少しでもその試練に参加出来る確率を上げる為にも、予め根回ししておいた方が良いだろう。

 ちらっとカシュアの方を見ると、少し感心したような表情になっていたので、俺の判断は間違っていなかったらしい。机の下で小さく拳を握り、そのままナターシャさんとの問答を続けた。





 ギルドでの事情聴取を終え、宿への道を歩いている最中、カシュアが何やら神妙な顔をしていた。


「……カシュア? どうしたんだ?」


『……さっきの話、おかしいと思わなかったかい?』


「何がだ?」


執行騎士エグゼナイツの本来の仕事は、罪人の征伐だ。──そんな彼女達が異常事態イレギュラーが発生したとは言え、低ランクの迷宮にあれほどの戦力を投入してまで介入するとは思えない。……何か、別件のと考えるのが妥当だろう』


「言われてみれば、確かに……」


 【執行騎士エグゼナイツ】はこの国の最高戦力。そんな彼らが言ってしまえばGの迷宮に複数人投入しているのは違和感がある。

 勿論、国内の問題を解決する為に投入されたと言われればそれまでだが、多忙の身であろう彼らがあの場にあれだけ集っている事自体がおかしいのだ。カシュアの言う通り、何か別件があってこの国に集まっていたのだと考えるのが自然だ。


 カシュアとそんな話をしていると、周囲の様子がにわかに騒がしくなり始める。

 最初は俺と同じように困惑しているようだった人達も、騒がしくしていた人達に何事か聞くと興奮したように広場の方へと駆け出して行った。

 駆け出して行った人には聞けなかったので、その場に残っていた男性に尋ねてみる。


「あの、何があったんですか?」


「ん? あぁ、子供には刺激が強いから見に行かない方が良いぞ」


「……刺激が強い?」


 眉根を顰めながら首を傾げると、男性は少し躊躇った様子を見せてから小声で呟いた。



「……迷宮殺しダンジョンスレイの処刑だよ」



 その言葉を聞いた途端、ぞわ、と鳥肌が立った。

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